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心の声を聴く

自分を「みる」ということ

僕たちが「みる」という行動は、一見視覚だけでみている感覚になっていますが、様々な方法で物事をみているものなのです。

例えば、鏡がなくて顔に汚れがついているときは、誰かにどこが汚れているのか見てもらいます。これを「みる」ということに視点をおくと、他人の目をとおして自分の顔を見ていることになります。

他にも、その場の空気を読むことも、肌で感じたことを頭で状況を「みる」ということになります。でこぼこ道などは、足の裏で感じたことで、状況を把握したりもします。これも足の感覚てみていることになるのだと考えられることも出来ます。

このことから何を伝えたいのかというと、心の声を聴くということは、色んな方法で自分をみるということです。それは、質問に答えることで自分をみることも出来るし、表情からも自分をみることが出来ます。そして、体からのサインで自分をみることもできるのです。

体の反応は心の声

心と身体は表裏一体です。まぁ、同じひとりの自分なんだから、当然と思えば当然のことなんですが、心が元気だと体の方も調子良く感じたりするもので、ネガティブな状態でいると体の方も調子を崩したりします。逆に、体が元気だと心の状態もポジディブでいられるし、病気になってしまうと、ネガティブに陥りやすくなります。誰もが思い当たるのではないでしょうか。

自分の気持ちを確かめようとしても、自分のこころは、こうでありたいという思考があるために、非常に分かりにくい部分があります。心と頭は表裏一体とはいかないみたいです。

しかし、体は素直に自分の気持ちに正直に反応します。

心が疲れたと言っていても脳ががんばらないといけないと自分の中では頑張ろうと決断するのですが、体調を崩してしまうといううことがあります。それが、まさにそうだと思います。

つまり、自分の体からのサインで自分をみると、自分というものが分かりやすいということなのです。

僕の体のサインと心の声

僕は過去にいじめやパワハラ、過重労働のせいで心が病気になってしまったことがあります。今振り返ると、自分の悲鳴や助けてといった心の声を僕自身が見て見ぬふりをしていたからだと反省しています。その後遺症は何年経った今でも、僕の中でしぶとく残っています。

当時、過食症にもなってしまったことからも、ちょっとしたストレスを感じてしまうと、今でも食に対する欲求が激しくなります。

更に、仕事が忙しくなったり、嫌なことが起きてしまったり、精神的に追い込まれてしまうと、眠れなくなる睡眠障害や手が震えたりします。ひどい時は、何も起きていないのに勝手に涙が溢れてきます。また、当時の会社の近くにいこうとしたら、足が動かなくなってしまいます。

この症状が出てしまうと、僕は焦ってしまいます。とっくに立ち直り、忘れたつもりでいた過去に引き戻される気がしたからです。戻ってしまうのが怖いのです。

その過去は僕の中では消してしまいたいのです。当時の人間関係は、今は誰とも関係ありません。今の人間関係の中では、当時の僕を知る人は誰一人いません。それくらい覚悟を持って消し去った過去なのに体は正直に反応しています。

それが嫌で嫌で仕方なかった僕はまた体の反応を見て見ぬふりをしていたのです。ところがある日、あんなに押さえ込んでいたのに、限界がきて我慢できなくなって狂ったように叫んでしまいました。

体のサインを無視して自分をみようとはしなかったから。心の叫びを聞かなかったから。あの時みたいに自分の心を酷使したからか。僕ははっとしました。あの時の僕のままではないかと。

それから僕は自分に目を背けるのをやめました。ちゃんと自分をみようと思い直しました。そして、今の自分をちゃんと認めようとおもったのです。眠れない睡眠障害が起きた次の日は、忙しくてもきちんと休憩するようにしました。手が震えたら、自分の好きな音楽聴いたりやドラマを見たり、ちょっとしたことでも自分を癒すようにしています。自然と涙がでたら、涙が止まるまでちゃんと泣いてみます。足が進まない場所があるなら、他の行きたい場所へ行ってみるようにしています。

こうやって、僕は体のサインを感じてちゃんと自分と向き合い、自分と上手に付き合っていけるようになりました。

自分の心の叫びを一番キャッチできるのは自分自身しかいません。体の反応が、どんなこころのサインなのかを自分で見極めていくことは、とても大事だと思うのです。ちゃんと自分を観察して、ちゃんと自分を守ってあげる。そうやって自分を大事にすれば、ちゃんと自分も答えてくれるものだから。

最期まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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