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やみくもには頑張れない

最近、あらためて思うのですが、何故それをやるのか、どうしてそれが必要なのか、その仕事にはどんな意味があるのか。「何の為に」という意味を考えるようになってから、自分の中の意志や決意みたいなものが、強くなれたように感じられるようになりました。自分の行動も、積極性が生まれたように感じるのです。

やみくもに頑張るには限界がある

過去に、大きな挫折をしたことがありました。追いかけていた夢を失ってしまった時の話です。何もかも失ってしまったかのように思えて、僕は喪失感でいっぱいでした。気力も体力もなく、ただただ、毎日過ごすだけで、精一杯でした。家の中にこもっては、過去を悔やみ、後悔ばかりしてくよくよばかりしていたのでした。

時間が経てば、お腹が空くように、僕は次第にこのままじゃいけないと思えるようになりました。しかし、もう一度、自分のやりたいことや目標を持つ気にはなれなかったのです。そうしたもやもやした思いを引きづっていたのでした。

「何でもいいから、とにかくやらなければ。」

僕の中で、自問自答し続けて、出した答えがこれでした。

何か行動しているうちに、前向きな気持ちが、戻ってくると思えたからでした。

思ったことは何でもやってみよう。そう決意して、やっとの思いで色々とやってみたものの、過去を引きづっていた僕は、挫折の繰り返し。何をやってもダメだったのです。そんな自分は、本当なら悔しがるものだと思っていたのですが、心とは裏腹に、僕は虚しさばかりを感じるのでした。

「こんなことやっても、何の意味があるのか。」

やみくもにやろうとしも、どこからともなく、聞こえてくる心の言葉。確かに何の意味があるのだろうと納得してしまう自分。自分の夢を諦めた弱い僕が、また何かしたところで、また失敗して挫折する。また、あの辛い気持ちを味わうのではないかと思うと、怖くてたまりませんでした。


そんな時に、うだつが上がらない僕をみかねて、友人が食事に誘ってくれたのでした。店舗を構えたたこ焼き屋さんでした。元気の良い接客に、人懐っこい感じで、気持ちの良い接客。とても気前の良い大将で、初めて来たからと言って、たこ焼きを1つおまけをしてくれました。僕は満足しました。なんだか、元気が貰えるきがして、僕はそのお店が気に入ったのです。

それから、何度か通うようになって、ひとりでも行くようになりました。そうすると、常連さんとも会話するようになったのです。常連さんから話を聞くと、たこ焼き屋の大将は、この地域に色んな形態の飲食店をいくつも経営しているそうで、どのお店も、非常に繁盛しているそうです。更に、地元を愛してやまない人だそうで、その地域のお祭りや行事にも、積極的に参加しているとのことでした。そんなお話しからも大将の人の良さがうかがえたのですが、そんな話をしていると知った時の大将が照れながら、言った言葉は、今でも僕の心に残っています。

「私は、人に喜んでもらうのが、何よりも好きなんですよ。」

その言葉は、僕の中で、忘れてしまっていたものでした。

夢を持つことが出来て希望しかなかった頃、僕が頑張ることで、少ない人数であっても、喜んでくれることが、僕は何よりも嬉しかったのでした。中には、お礼をきちんと言ってくれる人もいました。それが、僕の中で大きな喜びで、僕の根幹となっていました。そうでないと、厳しい世界だったので、辛い気持ちが先行してしまうものだったからです。生きる上で、人の喜びが、僕の原動力となっていたのでした。

今、思い返してみても、結果を出している人って、思うに「人に喜んでもらいたい」と言う気持ちが、強いように思えます。そこに、人は集まるものだから、経済価値も生じるものだと。

僕は、大きな挫折を繰り返すことで、僕の中にある大切な目的と喜びを忘れてしまっていたのでした。その失った心を取り戻したときに、僕は、生きる意味や希望を持つことが出来ました。再び、僕の中の情熱が生まれたのです。

そして、今、何より共に笑ってくれる人が目の前にいること。僕が大切にしたいと思う人が喜んでくれること。これが僕の幸せであると、感じることが出来るのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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