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ぶれない心

他人の目線が気になる自分が嫌過ぎて

かつて、同窓会に参加したことがありました。久しぶりに再会した同級生たちは、皆が皆、生き生きしていて輝いているように僕の目には写ったのでした。

いくつもの会社を経営している人もいれば、自分のお店を持っている人もいました。大きなプロジェクトを任されるようになったと言っている人もいました。日本中を飛び回っている人もいたし、立派なお医者さんになっている人もいました。みんな何かを成し遂げていたように見えたし、好きな事をしては、自由を手にしているようにも見えたのです。

それなのに、僕自身は、未だに上司にこき使われては駆け出しのようなことをしていました。自由もなければ、何も成し遂げてはいませんでした。さらに、当時の給料と言えば、高卒の初任給の平均程度だったのです。

僕だけが、取り残されているような感覚になったのです。

その時に、凄く心が揺さぶられたのです。何よりも仕事が出来なくて、人生が上手くいっていない惨めな奴だと思われたくありませんでした。僕は、よく思われたいと見栄をはったのです。並べきれないほどの嘘を並べて。

それから、随分と長い間、心がすさんでしまったのでした。

あの時の、手に汗握るほどの、気まずいような居心地の悪さや、見栄や嘘を付いてしまった自己嫌悪は、トラウマになるくらいのものでした。

あれから、同窓会は何かと理由をつけては断るようにしました。

もう二度と、ぶれてはいけないと自分に言い聞かせていたんです。自分のこだわりを貫き通せるような人間になりたいと、頑固になったし、ヒステリックにもなりました。あの時に会った同級生たちに追いつくまでは、何が何でもやってやると息巻いていましたから。

ですが、僕自身の中身は何も変わらなかったために、気持ちだけが先行して、現状を変えることは出来ませんでした。それはどんどんと焦りを生み出しては増大させていきました。そして、簡単に人の言葉に流されて、進路を変えてしまったのでした。そうした心のスキをいいように利用されて、僕は壊れてしまったのでした。

当時の自分を思い出しても、自分を責め続けてばかりでした。自責の念がどんどんとエスカレートしていくのでした。自分に責められては、生きた心地がしていなかったくらいです。

ここまでで、ちょっとした見栄で、ここまで自分を追い込んでしまったようにみえるかもしれませんが、僕の心がぶれてしまったのは、それがきっかけであって原因ではありません。僕は自分との関係がずっと険悪なものでした。自分のことを誰よりも信頼していなかったし、自分のことをとっくに見放していたんです。自分に何度となく裏切られていたからです。

ぶれない心というものは

ぶれない心と言うものは、間違いなく自分との信頼関係の中で、確立されていくものです。人の目線を気にすることなく自分らしくいられるのは、自分を信じることが出来ないと、成し得ることは出来ません。

それには、自分のことを受け入れる心の広さが必要な訳です。柔軟な心を持ち合わせていないと、自分を受け入れることなんて出来ないものですから。心が未熟なままだと、かつての僕のように、意固地になってしまうのです。

つまり、矛盾しているようですが、ぶれない心を持つためには、柔軟な心を育むことが大切なんです。

それは、自分の中にある固定観念や思い込みといったものにとらわれないというもの。それは、たくさんの自分を許していく必要があるのです。

あれから、たくさんのことが、僕の人生に降りかかってきました。きっと、これからもです。ですが、ひとつひとつ自分と向き合い、凝り固まってしまった心をほぐしていこうと心に決めています。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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