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まず、「自分の心」が無事であることを

自分を認められなくなってしまうのは

いつの頃からか、僕は自分自身を認めることが出来なくなっていました。自分では、必死になって頑張って生きているつもりだったのに。努力は人一倍しているつもりだったのに。自分を認めるって、簡単なように思えるけれど、思う様に自分を認めることが出来ないものでした。

その原因は、自分なりに分析したみれば分ったのです。

何と言っても、自分で設けたハードルがあまりにも超えられないところまで高くなってしまっていたのだということ。

仕事では、人よりも多くの成果を望むようになっていました。お金も、あればあるほどいいものだと考えていました。それは、制限を持たないようで、どこまでも稼がないといけないという無制限の制限として、いつも、不安を抱え込む要因となって自分を追い込むものになっていました。家族に対しても、高い理想像を描いていたんです。どれだけ仕事で嫌なことがあっても、失敗してこれ以上ないくらい落ち込んでいたとしても、いつも、笑顔で家の扉を開けるのです。家族の前で、いつもにこやかな姿を思い描いていたからでした。

こう書いてみて分かったのですが、どうやら僕は、完璧な人間を目指すようになっていたのでした。

だから、自分を全然認めることが出来なかったのだと気が付くことができたのでした。

人生の選択において必要で大事なこと

人生を旅と置き換えたときに、完璧な人であろうとするのなら、どんな困難も完璧にこなそうとするあまりに、どんなことにも対応しようとするあまりに、これ以上ないくらいの荷物を抱えて準備するものだと言えます。

ですが、そもそも、その旅に完璧な準備が必要なものなのでしょうか。そこに見栄や優越は必要なものでしょうか。

旅とは、自分の生きたいところに、自分の赴くままに、心を安らげる旅をすること自体が目的であるのではないかと思うのです。

なのに、僕らはいつの間にか、持っていくものはあの人の持っているものよりも高価なものでないといけない。人よりも遠くに行かないといけない。人よりも目立たないといけない。もしくは、皆が言っている場所に自分も行かないといけない。みんなが持っているものを、自分も持っていかなくてはいけないと、求めてしまうようになっているものです。

その結果が、なんでも完璧な落ち度のない旅でないといけないと思うまでに至ってしまうのです。それでは、心休まるどころか、どんどん苦しくなってしまうものです。

人生は旅のようなものなのです。自由なのです。自分が良いと思うなら、自分の身ひとつでもよいのです。行き先が決まらないのなら、気の向くままにぶらぶらしても構わないのです。休みたかったら休めばいいし、行きたくなくなってしまったら、途中であっても辞めたらいいのです。その方が、心が安らかでいられから。

いつだって自分の心を案じていいものなのです。だから、求める心が外に向かっているうちは、心に安らぎはありません。決して無事ではないのです。極端なことを言えば、何も求めることがなくなったときこそ、本当に心は安らぎ、無事であると言えるのです。

だとするのなら、人生の中において必要なことは、辞めるや休むという選択を持つこと。あるいは、選ばないという選択肢を自分の中で持つことが大事であり、自分の心が安心するためには必要なことであると言えるのです。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
今日と言う一日が皆さまにとって最高の一日となりますように。
メルシー

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