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自分とどう向き合うべきなのか

幸せになるためには

人生の選択を迫られたり、将来をどうしたいのかを考えた時に、自分と向き合わなければいけません。その向き合い方ひとつで、未来は大きく変わっていくものです。

そうやって、自分の心の中見えた時に、自分を知ることができます。そこで、自分の価値観を理解することができ、自分がこうしたいという欲を受け取ることができるのです。

自分の価値観とは、社会の中で、人との関わりの中で、生まれてくるものであり、自分と向き合わない限り、深めていくことは出来ないものなのです。
だから、自分と向き合うことは、幸せになるためにとても重要なのです。

どういうことなのかと言うと、僕の両親はふたりとも、漁師の家系の中でうまれました。おじいちゃんもそのまたおじいちゃんも更には親戚も皆、海と関わりがある、仕事だったり、環境で生活していました。その中で、育った、僕の父は、やはりそんな周りの環境や人の影響を受けて、海に関わるお仕事を選んだのでした。

そんな中、生まれた僕も、もちろん周りや環境が海に関わりのあるものだったために、順調にいけば、海に関わるお仕事に就いていたものだとおもいます。そんな時に、父親の会社が倒産して、僕は人生の選択を迫られたのでした。なんだかんだで、僕が選んだ職業は料理人だったのです。僕は学生ながら、人生の選択を迫られたことが、きっかけで、自分と向き合うことができたのでした。

その時にテレビで観た、料理の鉄人に憧れ影響を受けたこと。そのことが、自分の夢に変わったことを、向き合うことで知れたのでした。何もなければ、向き合うこともなく、海のお仕事にモヤモヤしながら、働いていたのかもしれません。

自分を信用できる?

僕も、ずっと追いかけてきた、一流の料理人になる夢を諦めたときに、周囲の反対の声を浴びました。「ここまで、やっているのにもったいない。」「後悔するぞ。」「これまでの苦労が水の泡じゃないか。」沢山のご指摘と、お叱りのようなものまで受けたのです。時にはひどい言われ方もしました。

その影響を受けたためなのか、自分の心の声も、いつの間にか、周囲と同じになっていたのでした。僕は、新しい事に飛び出していこうと決心していたのですが、大きく心は揺れて動揺したのでした。

結局、僕が選んだ道は、調理の仕事でした。料理人の夢は諦めるにしても、施設や病院でご飯を作るしごとだったのです。その道を歩んでいる中で、僕の気持ちはモヤモヤしていたし、違和感を感じてしまうものだったのです。本当は全く違うお仕事をしたかったのではないか。そうやって、疑心暗鬼になった時に、自分という人間を信用出来なくなってしまったのです。

周囲の影響に毒されて、義務教育や社会の常識の縛りの中で、自分の本音を、心の奥底に閉じ込めてしまった、僕の本音は、周りや社会に合わせたものになっているのではないかと思ってしまったのです。

例えば、僕が美味しいと口にしているものも、本音はそうじゃないものかもしれないのだと言うことです。流行りは周りに合わせて言っているだけで、本当は、どう感じているのか分からないもの。ましてや、美味しいだけでは表現できないことだってあります。

本当はもっと、味が繊細な部分といった部分が好きだとか、自分の持っている言葉では表現できない部分を感じているのに、美味しいという表現しか知らないために、美味しいと言っているだけなのかもしれない。

そんな、答えのない自分探しを、永遠に繰り返してしまいそうなくらい自分が信じられずに分からなくなってしまったのです。

僕自身、周りに合わせて自分の本音を隠してきたのです。その方が、あらそい事にならないと感じたためでした。幼い頃から、両親に気を使い、友人にきを使い、たくさんの大人たちに気を使ってきた、そんな自分が今更、自分自身に素直な気持ちを打ち明けるとは、思えませんでした。

自分の中の正しさとは?

こうした中で、僕自身の話では、ありますが自分の中のこれだと思うことがあります。皆さんそれぞれの部分だとはおもうのですが、参考になればと思います。

それは、直感を信じてみることです。直感はいい加減なものではありません。これまでの経験から湧き上がるものなので、直感といえど、侮れない部分があります。これだと思い、その道をいくことは、純粋に自分の感情のままの行動だと感じるのです。

とはいっても、直感でさえ、脆くもブレてしまうものでもあります。そんな時は、子供の頃の自分を隣に立たせてあげるのです。お子さんがいらっしゃる方は、子供さんでも構わないと思います。

純粋のままの自分に対しては、僕は見栄や嘘はつきたくありません。ありのままの自分でいたいと踏ん張ることも出来ます。それに、自分の内面を良く知ることもできます。子供の頃の自分って、ワクワクやドキドキといったものに、凄く敏感なのです。だから、ありのままの感想というべきなのか自分のこころと直結しているような返答が返ってくるような気がします。

これは、楽しそう。これは、つまんない。凄い!かっこいい!やってみたい。続けたい。やりたくない。それが、まさに自分が望むものような気がするのです。そうやって、想像することで、迷う時は、自分の中の正しさを導いています。

これは、社会的立場の自分を決して否定するものではありません。そうした、判断こそ、必要なときもあるからです。

もし、自分という人間がどういう人間なのかわからなくなったとき、人生が行き詰っていると感じた時。自分と向き合って、その自分が信じられなくなったときに、役立つのではないかと考えています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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