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親切にすると自分が幸せになる?

親切にすることで、心は満たされると言われています。だからこそ、僕は人に優しくなろうと決めていました。人として良い人であることが必ず幸せにつながると思っていたからです。


以前の自分と今の自分

ところが以前、通りすがりのご年配の方が、買い物袋を落とされました。買った商品が地面に散らばったので、僕はそれらを集めて渡しました。その方は大変喜んでくれてお礼を言ってくれました。ところが僕の心は何も感じませんでした。

僕の中で、これは当たり前なことで当然なことだと思い、「とんでもないです。お礼を言われるまでもありません。」と返したことを覚えています。

せっかくお礼を言ってもらい感謝して頂けたのに、僕はその方の顔もあまり見ていなかったと思います。振り返ってみると、その時に、自分自身が親切にしたことでそこまで幸福を感じることは出来ませんでした。

そして、これはついこないだのお話しです。スーパーで買い物をしようとした時のお話しです。カートを取ろうとしたときに、バックがかかっていたのです。さっき、すれ違った人かもしれないと、僕は急いで、引き返して呼び止めました。すぐに持ち主が見つかってバックを届けることが出来ました。

その方は、穏やかそうな女性で60歳前後。凄く喜んでもらえたのでした。「本当にありがとう。」と笑顔で言ってもらえました。

その笑顔を見た時に、僕は自分のこころが動いたのを感じたのです。「こちらこそ、ありがとう。」と僕は自然にお礼の言葉が出てきたのでした。そして、じわじわと幸福を感じてきました。今でもその方の笑顔は、今でも思い出せるくらいです。

親切にした僕がこんなにも幸せになれるなんて思ってもみませんでした。これまでだって最初のお話の時のように親切であろうとしていたし、親切をしてきたはずなのに。どうして、その時のことがこんなにも幸せを感じさせてくれるのか。


親切にすることは

一見同じように親切をしたにも関わらず、なぜ幸せを感じられなかったのかというと、僕自身の問題でした。僕が返した言葉にも表れたように、心が感じたことを僕自身が感じ取れなかったのです。

なぜなら、そういう幸せや自分の感情というものに関心がなかったからです。意識したことで、こんなも感じ方が変わることに気が付けたのでした。

幸せは気づくものとはまさにそうで、幸せと言うものは、自分の心が動いたときにちゃんんと味わうことが大切なんです。

自分の心にしっかりと耳を傾けないといけないのです。心が喜ぶから、喜びを感じる。心が悲しんでいるから辛いと感じる。心が動いたときに、それをありのまま感じることが出来るように。

そして、何より以前の僕は自分の心が満たされていませんでした。根本的な親切の捉え方を間違っていたのです。親切にすれば僕は満たされ幸せを感じるものだと。

もし、今あなたが嬉しいと感じているのに、謙遜してしまっていたり、泣きたいほど辛いのに自分に我慢させたり、自分の気持ちに蓋をしているのなら、例えどんなに親切にしても幸せを感じることはないのかもしれません。それは、自分の心が満たされていないから。

親切にするから心が満たされ、幸せを感じるのではなく、満たされた心で親切にするから、幸せをかんじられるのです。自分が満たされていないと、ありがとうだって受け取れないのですから。

きっと幸せは日常生活の中にこそ散りばめられている。そこに、どれだけ、自分が幸せに気づき感じられるかなのです。

目の前に幸せはあるのに、そこに気付くことが出来ずに日々嘆いているのは、もったいない気がしてなりません。

そこに気づくことが出来るかどうかは自分を満たすことが出来るかどうか。

自分を大切にしようと今はよく言われているけど、それは、自分を満たすことが出来るから。そうすることで、自分の心の動きをちゃんと感じてあげられるのだから。

親切にすると幸せを感じる。それは、素敵な映画を観て涙を流すのと同じようなもの。僕は今、悲しいと涙を流すことも出来るし、許せないことがあると怒ることもできる。嬉しいことがあると、ちゃんと喜びありがとうが言える。それは、自分の心が満たされている、何よりの証拠。それが、何よりも嬉しく幸せをかんじられるのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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