見出し画像

個性的でなくてもいいんです

多様性を認めているうちに

自分らしくありたい。そう思うからこそ、多様性という言葉に魅力を感じるものです。誰もが、自分の意に反したことをやらされた経験があるのではないでしょうか。こうしたいと思っていても、誰かの目を気にして出来なかった経験があるのではないでしょうか。人と違うことに、とまどい、隠してしまったことはあるのではないでしょうか。

僕自身も少なからず、自分を消さないといけないと思っていたことがありました。人の視線、世間の目、多数派の意見、そういうものに負けて、自分の気持ちを裏切ってしまっていたんです。

だから、ずっと自分の中にわだかまりのような気持ちがありました。どこか納得できていないような不満を、よく分かっていないまま、モヤモヤしたものとして抱え込んでいたんです。

こうして今思えばですが、世間体を第一に考えていた両親とそりが合わなかったのは、僕が、自分らしくありたいと強く願っていたからだということが原因だったのかもしれません。

そんな僕だったから、誰からも縛られることなく、自分らしく自由に生きている人に憧れるのは、必然だったのかもしれません。

その方とは、2年くらい同じ職場で働きました。かつて勤めていた会社の設立メンバーのひとりで最年長者なんですが、肩書きはありませんでした。誰もが認めるような才能を持っていたのにも関わらず、いい加減な勤務態度だったので、会社からは疎まれていたのかもしれません。ですが、僕を含めた下っ端の人間からは、絶大の人気を誇っていました。

話は面白いし、為になることもストレートに言ってくれます。交友関係も幅広く、誰にでも気さくなんです。格好も個性的で凄くおしゃれだったのです。

僕も心から尊敬し憧れました。憧れるあまりに、その方を真似るようになったのです。

ですが、いくら真似て個性的な格好をしてみても、いくら話し方や仕草をまねしてみても、同じようにはなれなかったし同じように上手くはいきませんでした。人に気さくに話しかけても仲良くはなれませんでした。それに、全然楽しくなかったし、全然、モヤモヤしている気持ちが拭いきれませんでした。むしろ、自分で何をしているのか分からなくなってしまいました。

真似事は、所詮、真似事でしかありませんでした。

ですが、ずっと僕の中で、根付いてしまっていたのかもしれません。多様性が受け入れられていく中で、自分らしく生きるということは、ある意味、個性的でないといけないと。

ずっと、僕は自分に個性がないことを、悔やんでいたし、気負いに感じていました。結局、僕は自分を認めることが出来なくなってしまっていたのです。

個性的でなくてもいいんです

きっと、僕はずっと誰かになろうとしていたんだと思います。僕は、ずっと誰かを目指していたのかもしれません。個性的な人間に魅力を感じて、個性的な人を真似していたのです。それこそが、多くの人から受け入れられるものであると思い込んでいたのですから。

ですが、誰かの仮面をかぶった姿は、本当の僕であると言えたのでしょうか。

自分でも自分が分からなくなってしまっていた僕は、自分らしく生きることを強く願っていながら、真逆の方向へ突き進んでしまっていたのですから。

その後、色んなことを経験し、紆余曲折な人生を歩みました。そして、何よりも自分らしく生きていないことを悔やみ続けたのです。

でも、ようやく気が付くことが出来ました。

何も個性的でなくてもいいんですよね。

何も特別でなくてもいいんです。

誰かと同じでもいいんです。誰かと違ってもいいんです。

誰もがかわいいというものを見て、かわいいと思ってもいいんです。全然可愛くないと思ってもいいんです。

何を選んでも構いません。何かを選ばなくても構いません。でも、後悔だけはしないで。いや、後悔してもいいのかもしれません。後悔した分、成長できるからです。

何を信じても構いません。何を信じなくても構いません。でも、何が何でも自分だけは信じて欲しい。

自分が自分として存在することが、重要なのですから。

お知らせです

お悩み相談はじめました!

人生に迷った時、どうしたらいいのか分からない時、誰にも相談できずに、苦しみました。いつか、僕自身も誰かに寄り添い、背中を押すことが出来たらと思い続けてきました。
だから、あなたのお悩みに、寄り添いたいのです。
どの記事でも構いませんので、コメント欄にてお待ちしております。

詳しくは、こちらを読んでください。

相談される方は上の記事内にある注意事項を読んでから、ご相談下さい。



最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?