人生を楽しむために
人生を楽しむために、僕は努力しないといけないと思っていました。でも、そうじゃないと学んだ時に、凄く自分の人生に希望が持てたような気がしたのです。これまで、重くのしかかっていた幸せが、急に、風船のように軽やかに感じられたのでした。
人生を楽しむために、必要なこと。
それは「照れない」ことなのです。
受け取れない
謙遜という言葉があります。控えめな慎ましい態度でふるまうことの意味になります。僕は、昔から謙遜する人に、憧れを感じていました。何か良いことをして、お礼を言われた時に、「そんな大したことではありませんよ。」そう言って、お礼を受け取らない大人の姿がカッコ良く見えたからです。
それが、僕の中で理想の大人の姿であり、正しいあり方になりました。だから、何に対しても謙遜するようになってしまったのです。それでもって、人から褒められたり、賞賛されると、スルーをしてしまうのでした。
それは、今でもお礼を言われると、自分の中では抵抗を感じるくらいです。
でも、僕の心の奥では、人から認められたいことを望んでいて、その為に、一生懸命一生懸命に頑張ったりしているのです。でも、いざ周りから認めてくれそうになると、急に照れてしまい、受け取らないのです。更に言うと、受け取らないだけでなく、受け取れないように問題まで起こしてしまうのです。
例えば、良いことはするのだけれど、周りをからかうような発言をしたり、真面目な話を茶化したり、あるいは、助けた人の文句を言ったり。照れ隠しといえば、好きな人にちょっかいをかけるといったようなことです。
こういったことは、かなりの矛盾となっているのです。認められたのに、認められないと悩んでいる自分。でも、本当は、自分自身が受け取っていないだけだなんて、信じられないものです。
この矛盾は、とても気づきにくいものであり、いまいちピンと来ないかもしれません。しかし、とても重要であると感じるのです。
意識的に味わう必要がある
思うに、感謝というものは、あらゆることに感謝することが出来るものです。その感謝の気持ちを持ち続けることこそ、幸せだと感じることに繋がっているものだと思うのです。
もう少し深堀りすると、しかしながら、あらゆることに感謝することなので、それは自分自身も感謝される存在だということなのです。それが、受け取れないということは、自ら幸せを手放しているようなものと言っても過言ではないということです。
シンプルに考えて、受け取っていいものを受け取ることが出来ることが出来ればいいだけのことのように思います。だって、素敵じゃないって、せっかく言ってもらえたのに、いやいや自分はこんなところがあって残念な人間なんだって、自分を落とそうとするのは、あまりにも悲しいことです。
社会の中で、僕らは生きています。支え合ながら生きています。誰かの支えになっている。誰かの役に立っている。誰かが、喜んでくれているっていうことが、この上ない喜びになっていることをもっと理解する必要があるのだと思います。
それは、単に働くことで、成り立つものではありません。例え、働いていなくても、笑顔ひとつでどれだけ人を笑顔にしているのかというのを、実感している人は多くはいないものだと思います。自分というう存在がどれだけ多くの人を喜ばせている、もしくは、喜ばせてきたのかっていうのを意識的に味わうというのは、とても大事なことなのです。
あなたのことを認めてくれたことに対して、ありがとうって、ちゃんと言ってくれる人はたくさんいるけれど、ほとんどの人は多少はうけとっているものの、スルーしてしまっているんです。ついつい照れちゃうものだから。
その反面、自分に対するクレームやダメ出しは、拡大するくらいしっかりと受け取っていたりするものです。
つまり、褒めてくれたことや喜んでくれたことを、僕らはびっくりするくらい味わっていないものだということ。だから、自分という存在がどれだけの人に喜ばれているものなのかを想像してみることは大事なことあるし、そのおかげで、自分は存在が確立していることに感謝してみることも、大事であるのだと強く感じます。
そして、まさにそういったことを味わうことこそ、人生が楽しくなる秘訣であるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー
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