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幸せの証明は必要ですか?

SNSと僕

僕は時々思うことがあります。自分の価値とは?幸せとは?そんな答えがないことを考えてしまいます。

以前の僕は、SNSが嫌いでした。自分が誰かと比べては、物悲しい気持ちになるし、自分も良く見せたいと思う見栄っ張りな自分が見えてしまうからです。今はもちろん楽しみながらやっています。

ただ、昔は苦しかった。あるアパレル会社が経営するレストランの店長兼シェフを任された僕の大事な仕事のひとつにSNSで集客するという課題があありました。

会社の指示は、見栄えのいい料理、見栄えのいい人脈、見栄えのいい格好、見栄えのいい店内をアップすることでした。確かに現代においては必要なのかもしれません。しかし、仕事量がありすぎて追いつけませんでした。

提供する料理とは全然違う見栄を張った料理、そんなに親しくないのに一緒に撮っただけの見栄を張った凄い人達との写真、好きでもないのに流行っているからと買ったオシャレなお洋服、SNSばかりに時間をとられ、そうじが行き届いてない店内。

そういったものえをSNSでアップするたびに僕はみじめになっていました。


自分だけは真実を知っている

よく見せることは、簡単に出来るのかもしれない。本当に良いかは別の問題ではないでしょうか。

だって、僕自身は真実を知っているのです。見栄を張ってリアルとはかけ離れた自分をSNSでアップしたところで、どんなに「いいね!」がついても、それは、幸せの証明にはならない。

もちろん、人生の瞬間を記録したり、共有したりすることは、とても素敵なことだと思います。だれかに幸せだねと認めて貰えるのは嬉しいものだから。

だからと言って、そこに、心と時間を消耗してしまうのは、なんだかやるせない。だったら、現実の自分を磨いていくほうが価値があるのだからです。

普段の生活の中でも言えるのではないかと僕は思う。何もSNSに限ったことじゃないと思うのです。誰かが見ているから、見られているからと、その時だけ良い人を演じている自分がいるから。そんな演出は人生の物語には必要がないと思うのです。

誰もいない時でもゴミを拾えるような自分でありたいと思う。誰も見ていなくても募金が出来るような自分でありたい。そうであれば、自分自身が自分にとびっきり特大な「いいね!」をあげられるのだから。

なぜなら、自分自身が誰よりも自分をみているのだから。そうすることで、誰よりも自分の心が喜んでいるのが分かるのです。


何よりも大切なのは自分の心

何よりも大切なのは自分自身がどう感じるか。自分がみじめに思ったり、辛く苦しいなら、良い人を演じることも、幸せであると証明するように見栄を張る必要なない。

他人によく見られるよりも、大事にしなければならないのは自分の心に良いことなんです。

人間関係で大事なのは自分と自分の関係です。自分と自分との関係が上手くいかないと、誰とでも上手く関係は作れないものです。更に、自分と自分の関係が上手くいっていないと、何かにどんなに頑張ろうとしても、上手くはいかないし、例え上手くいったとしても長くは続きません。

自分の行動は誰よりも自分が見ているのだから。自分の心が喜ぶことを大事にしていこう。素敵にみられなくても大丈夫。自分が誰よりも分かっていてくれるから。

僕が目指したいのは、見栄えが良いのに味がいまいちな料理より、素朴でも心から美味しいと思えるような料理。

だから、僕は文章を書くときはありのままでいようと決めている。赤裸々に感情を書いている。その方が、僕にとって価値があるものになるから。その方が、大事に書くことができる。

そして、何よりありのままの僕を書くことで誰よりも自分自身を喜ばせることが出来るのだから。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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