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感情との付き合い方

信じられないかもしれませんが

感情の中には、出来れば味わいたくない感情ってあるものです。例を挙げて見るなら、悲しみ、不安、孤独感、喪失感、焦りだとか。

こういった感情が湧いてきたときに、ありのまま感情を受け入れ、ちゃんと味わうことが出来たら、その感情は和らいでいくものなのです。

感情というのは、味わえば味わうほど、次第に解放され和らぐと言われています。これは本当に驚きです。だからといって、感情の全てを受け入れてしまうとどうでしょうか。

僕は、過去に一度にすべてを失ったことがありました。夢、仕事、家族、地位、お金、家、財産。何もかもでした。まあ、それは、色んなことから逃げ続けたからであり、全て自分のしたことが返ってきたのかもしれません。

その時、押し寄せてきた喪失感や絶望感といった感情を、もし受け入れていたらと想像しようとしても恐ろしすぎて、想像することすら出来ません。

当時の僕は、その時の感情とどう向き合ったのか振り返ってみました。

心に蓋をすることも大事

あまりにも苦しい感情や、感じると飲み込まれてしまいそうな感情は、無理に受け入れてしまうと、心のバランスは崩れてしまい、情緒不安定になったり、心に相当なダメージを受けてしまい、大きな傷を残してしまうものです。

全てを失った時の僕は、きっと自分自身を守ろうとし、とっさにあらゆる感情に蓋をしてしまったのだと思います。フリーズしてしまったように何も感じることが出来なくなりました。

何もかも失ってしまったのですから、絶望してしまうのは当然なはずなのに。しかし、心に蓋をしたことで、絶望感からは避難出来ていたと思えます。笑えなくなっても、まだ、生きる希望を探していましたから。

しかし、当時の僕は、それを良しと思いませんでした。自分自身と、また向き合うことから逃げてしまっているのではないかともやもやして、その居心地の悪さに耐えきれずに、傷も癒えていないのに、感情と向き合おうしてしまったのです。

そうして抑えきれなかった感情は、何もしていなくても勝手に涙が出てきたり、体調の異変となって表れてきました。過食や頭痛、それに毎晩、悪夢となって色んな影響を及ぼしてしまったのです。

その結果、電卓をうてないくらいまで、思考がおかしくなって、ある日うつ病だと診断されたのでした。それでも、感情はおさまりきれずに、僕は、叫び続けたり、誰かをののしったり、たくさんの人に牙をむきました。

自分の感情と無理に向き合った結果でした。

心に蓋をしてしまうことは、良くないようなことを言われたりします。自己啓発の本や動画では、安易にありのままの自分を受け入れていこうと伝えています。

しかし、今は向き合いたくないという気持ちこそ、正直な気持ちではないでしょうか。ナイフを持った相手に立ち向かうことだけが正しいのでしょうか。逃げることも必要です。心に蓋をすることで、自分を守ることだって出来るのですから。

心を解放するということ

僕は、自分自分となり過ぎてしまい、自分の世界に閉じこもってしまっていたことに気がつきました。

ふと思えば、災害や突然の悲しみに見舞われた方々の心のケアはどうされているのか気になりました。

様々な災害の心のケアのマニュアルを読んでみたのです。そのどれも、傾聴することが大切だというとでした。

落ち着いた気持ちで接すること。相手の気持ちをそのまま受け止め、安心出来るように努めていくことが必要だということです。

傾聴といっても、ただ話を聞くだけではなくて、相手のことを良く知ること。状況をよく考えてあげることだそうです。

もう少し身近な状況に置き換えてみると、失恋したときに似ているように感じました。自分の状況や自分のよく分っている人に、ただただ、自分の話すことを聞いて欲しいだけ、ああだこうだと言われては、落ち込んだ自分の心が持たない。だから、そっと聞いてくれるだけでいい。

そうやって、自分で話しているうちに気持ちが落ち着いてくるというものです。

1990年代に心理的デブリーフィングという心理的援助法がよく用意られたそいうです。トラウマとなった体験の詳細やその時の感情を語ってもらい、医療者は共感的に聴取していくことで、ストレスの緩和を目指していくものだそうです。しかしながら、現在では、トラウマの反応を強化してしまったり、心の回復を遅らせてしまうとされ、逆に悪化してしまうという結果を招いてしまうとされたそうです。

僕も、心の傷が深いうちに、様々な自己啓発本を読んでも、その時は感銘し、共感もできるのですが、自分の気持ちを発散しようとすると、心がえぐられるよな気がして、すぐに自分には無理だと拒否してしまっていたのです。

ただ、単に自分の気持ちを吐きだそうとすることも、感情を解放することはできないのです。

自分の感情が飲み込まれてしまいそうな時やどうにもできないくらい打ちひしがれてしまった時には、自分が向き合っても大丈夫だと思えるくらいまで、向き合うことは避けてもいいということなのです。

多くの自己啓発に書かれているよりも、何でもかんでも、前を向き、自分と向き合い続けなさいと言うものではありません。まさに「機は熟して待て」ということなのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー




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