アンチテーゼ 共感なんていらない
あのときわからなかったことが、少しずつわかるようになってきて、その事実を受け入れられるようになる
僕はずっと考えるし、諦めるし、忘れないし、また思い返します
”思い出す”と”思い返す”というのは、微妙にニュアンスが違っていて、思い出すは主に印象と事実の結びつき、思い返すは過去の事実と現在の状況、理解を元に検証するという違いがあると、僕は考えます
あのとき、なぜ、あの人はそうしたのか、あんなことを言ったのか
乱暴に結論付けることを僕は良しとしません
だからそれについては憶測や推測で人と話すことは”必要最低限”に留めます
避けて通れないということもあるので、ある程度の”答え”を導き出しながら、どこか辻褄が合わない、欠けたピースについて、決して”なし”にはしないのが、信条というわけではなく、どうしようもなく、そこに拘りたいのです
それを執着というのであれば、そうでしょうし、それによって得られた答えは妄執かもしれません
僕はそこに共感を求めず、つねにアンチテーゼを提供できる引き出しを増やしていきたいと――これは多分信条なのだと思います
思い返せば父は僕に常にアンチテーゼを示してくれました
”これって、こういうことだよね”という一般的解釈に対して、”そうとばかりはかぎらないよ”、”こういう見方もあるよ”とそれが少数派、マイノリティ、確率的に低いことであったとしても、”ものごとに絶対はない”という道を示してくれました
あれは、なんだったのだろう?
父の生きてきた道と言うのは、平凡であったと思います
昭和一桁の生まれなので、戦争を体験していますが、凄惨な体験談などは聞いた記憶があまりなく、本棚にあった分厚い『資本論』と書かれた本も、読んでいる姿をみたことがありません
主義者でもなく、疎開を体験していても、理不尽極まりない体験をしたわけでもない
しかし大勢に身を置き、すべてを委ねることを良しとしない”気概”にも満たない、”意地”をはるほどでもない、ただ少し立ち止まって物事を観るという癖を、父は持っていたように思います
ああ、この文脈だとすでにこの世にいない風ですが、存命ですよ
とはいえ、老いた父が物事についてアンチテーゼを示すことは、もうほとんどありません
すべてを受け入れる時間帯に入っているのかなと、結論ではなく、仮説を立てていますが、なにより受け入れがたい母の死を受け入れて、自由に動くことができなくなった自身の手足の様を受け入れて、なお、アンチテーゼを示すことなど、なかなかにできない事なのだろうと、想像するばかりです
だから会いたくない
そこで思い返すのです
僕自身もそうであるように、誰かと話をするときに、アンチテーゼは議論を深め、理解を深めるのに不可欠であると――いや、そこで話が進まないような、或いは物別れになってしまう人とは長く付き合えないのだということを、直観的にわかる、或いはその人たちの中に身を置くことに違和感を感じる性分なのだということ
共感なんていらない
このアンチテーゼは扱いが難しと解っていても、やはり提示しなければいけないと、僕は考え、感じ、思います
共感は人間社会、或いはもっとパーソナルな人と人の関係において、恐らくもっとも需要な感覚に違いないのです
だからこそ
だからこそ、人は共感をあまり表に出すべきではないと提示したい
そもそも、その機能は備わっているのだし(ここに例外があることは今回はあえて無視します)、共感って素晴らしいって言い出し始めると、そうでない相手、つまり共感できないものをはじき出すロジックに陥ります
感覚をロジックに落とし込み、それをシステムとして構築するとどうなるか
強固な社会が形成される――それはもはや昆虫の世界です
というアンチテーゼと極論をぶん投げて、その球を取るなり、打ち返すなりしてくれる人と接することで、僕は自分の思考や感覚や思いに偏りがないかをチェックすることができる
そうすれば、どうなるか
父のように平凡に生きることができるのではないか
凡庸であることは非凡であることよりも時に難しい
さて、僕はこのような思考を繰り返しながら、あのときわからなかったことが、少しずつ受け入れられるようになって、ああ、自分にはない”こうしたい”、”こう言いたい”という”共感のできない行動原理”を知ることができるのだと考えます
だから共感に頼ることなく、アンチテーゼを示すことで、より深い共感にたどり着くことができるのだと、今は信じています
それは批判でも批評でもなく、感覚をロジックだと勘違いするなという自分への戒めなのです
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