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生きるために食べるのか、食べるために生きるのか・・・

10月末、義母が100歳で天寿を全うした。

大往生とは言え、手の届くところにいた人が、手の届かないところにいってしまったのは、とても寂しい。

明るいことが好きだったので、今頃は向こうの世界で、懐かしい人たちと賑やかに宴会でも開いているにちがいない。

 一方、見送った家族は4人の親を送り出し、直接的・間接的にも介護が通算18年続いた。これが習慣化していてどうも疲れが取れない。

もう少し時間が必要だ。

 
思えば
人は、生まれてすぐに母乳や人工乳で口から栄養を摂り、保育園・幼稚園給食、小学校・中学校給食、学食・弁当、事業所給食、病気で入院すると病院食、福祉施設の食事等、当たり前のように口から食べ続けてきた。

 
なのに
人生最後と思える前に食事が止められ、つまり禁食を言い渡される。
家族にとってはこれが一番つらい。

医療側は、食べられなくなると誤嚥性肺炎を危惧し、安全を大前提として経口摂取から点滴等の栄養に切り代えることが多い。
それは仕方のないことだ。

そういう場面を病院勤務時代には幾度も見てきた。

禁食と言われて食事が止まり、点滴の栄養も受け付けなくなると、家族は最後を宣告されたように感じるのだ。
「生きている、口を動かしている、食事を止めないで」と、危険を顧みず無理な懇願をしてしまう。

できれば最後に好きだった酒を、郷里の料理を食べさせてやりたかった。
と、思う家族の気持ちは痛いほどわかる。

本人が食べられなくても、家族が食事提供を望む場面を何度も見てきたのだ。

できるだけ、何か口に入るものを、少し湿らすだけでも、そうだスープ1口だけでもあげて欲しい。

だが、それが誤嚥性肺炎を引き起こし、生命の危険になるのだ。

義母さんもそうだった。

命ある限り口からとってほしい、は正解の無い永遠の課題だ。
と私は感じている。

 
管理栄養士・栄養士の仕事は大きく分けて
臨床栄養管理
 個々の栄養状態を臨床検査値や身体的状況などから評価する
栄養食事指導
 健康維持や病気回復のために、正しい栄養バランスの食事と摂取方法を説明する
食事管理
 健康的な食事を調製して提供する。又栄養バランスなどを説明する

 の三点がある。

中でも基本なのは食事管理で、安全な食材を使って調理し、料理として口から食べてもらうことで栄養を確保する。これが最も多くの人に対して行っていることだ。

 ひとたび病気をして一時的に経管・経腸栄養が行われても、その後は病気回復のために経口栄養に移行する食事が重要となる。
また、病人食の正しい食事のあり方を説明し、理解してもらう栄養食事指導も大事だ。

病院の食事は、定時に提供されることで朝・昼・夜の時間帯を感じてもらえる。
だが、患者さんの体調が悪いため、食事を美味しく感じられない場面も多々ある。

だから、病院食は、栄養はもとより、切り方、味付け、彩、見栄え、温度や食器、盛り付け方等々、普通の食事以上に心を込めて美味しく食べてもらえる工夫をする必要がある。

人生の最後になるかも知れない食事が、心のこもった内容でなくてはならないのだ。

 
再び病院勤務時代を思い出すと

終末期に禁食となる場面では、医療者側は当然安全を考えて判断がなされる。食事時間に食事が出てこない場面は、家族にとって本当につらい。
できれば1日でも長く安全で個別に合った経口できるものを出してほしい。
食べることは生きている証なのだから、と家族は言う。

生きるために食べる、それもあるが、
食べるために生き、生活をしている。
私は、最近そのようにも思えてならない。

だから、管理栄養士の役割の中でも、食事管理を一番大切な使命と考えている。

 誰もが「食べる」で自然に健康的になるように、そんな思いでこれからも食について発信していく。

今年もあと数日。
来年が少しでも健康で良い年になりますように、と願っている。

 

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