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INFJの私。幼少期から大人になるまで。

こんにちは。めんたるよわよわです。
春になって気候も穏やかになってきましたね。

春日和の気持ちの良い日は、やっぱり散歩が一番です。
朝から散歩してたらついnoteの更新を忘れてしまい、今日はこの時間のアップになってしまいました。

最近はノウハウのまとめ記事が多かったので、今回は私の備忘録を記事にしてみようと思います。

1.INFJの私

この記事を読んでいただいてる皆様はMBTI診断に興味があるか、すでに診断を受けたことがある方が多いと思いますので簡潔に。

上記の記事によれば、INFJは「気高き変人」
感情の起伏が激しく他者に共感する能力が高いので、優しく思いやりがある一方で対人的なストレスを抱えやすい傾向にあります。

INFJの人が重んじるのは「高潔」「名誉」「信頼」
他者との調和を大事にする一方で、自分の理想は頑として曲げない頑固な性格を持っています。

2.私の備忘録

誰得な情報ですが、私の過去についてINFJの特徴と絡めながら振り返って行きます。

⑴幼少期

幼少期は非常に大人しい子供で、引っ込み思案で恥ずかしがり屋。
明るく天真爛漫な姉と比べ、自己主張も口数も少ないので、両親や姉からも「大人しくて何を考えているか分からない人」というイメージを持たれていたと思います。

小さい頃は一人遊びが好きで、本を読んだり絵を描いたり、レゴブロックで遊ぶのが大好きでした。

幼稚園では友達と遊ぶこともあったのですが、基本的には一人で黙々と遊んでいる空気の読めないタイプでした。

⑵小学校

小学校に入学すると、幼少期とは打って変わって明るい性格になったような気がします。
ほとんどは友人の影響で、少年野球チームに所属したり、学童クラブでクラブ長を務めたりなど、少しずつ活動的になってきました。

が、元々の根暗な性格は変わっていないので、学校終わりに友人から遊びに誘われるのは少々遠慮していました。

当時は意識していませんでしたが、自分のペースを乱されるのが嫌だったのかなと思います。

⑶中学校

中学では軟式野球部に所属していました。
野球部のメンバーは明るくお調子者が多かったので、彼らの話に混ざるのは面白かったものの、少し引目を感じていました。

中学2年頃からゲームにゲキハマりし、モンスターハンターやパワプロなど様々なゲームを遊んでました。

当時も部活終わりに友人から遊びに誘われる機会も多かったのですが、正直家で一人でゲームしてる時間が何よりの至福だったので、ほとんど断っていました。(野球部のみんな、ごめん笑)

ゲームばかりしていたので勉強は全くできず、中学3年の4月に受けた校外模試では、偏差値45くらい。

幸か不幸か、学校では学級委員長やピアサポーター(学校に馴染めない下級生の相談に乗る役職)についていたので、「真面目だけど勉強できない奴」という残念な人でした。笑

⑷高校

中学時代は勉強が全くできなかったのですが、部活を引退した後に一念発起し、なんとか進学校に滑り込むことができました。

その高校は地元でも有名な高校で、医者や弁護士、経営者の息子が多かったので、一般家庭で育った自分とは価値観が違う人達もたくさんいました。

1年生の時は全くクラスに馴染めず、昼休みはぼっち飯する毎日だったので、寂しくてしんどかった。笑

2年生でクラスが変わってからは数人の友人ができたので大変救われたのですが、高校くらいから「自分は人付き合いが苦手なのか」と痛感するようになりました。

⑸大学

高校は友人と遊ぶことも少なかったので、とにかく勉強していました。
そのお陰で現役で志望順位の高い大学に入ることができたのですが、最初は不安しかありませんでした。

地元を離れて上京。一人暮らしできるお金も無いため学生寮で生活。
同級生はみんな垢抜けている印象で、自分はインキャの芋学生。

「本当にこんな環境でやってけるのかよ・・・」と大きな不安を感じつつ、4年間を精一杯過ごしておりました。

母校に入学して本当にありがたかったのは、他の大学に比べて図書館の蔵書数が非常に多かったこと。

暇さえあれば、大学の図書館に通い、興味のある書籍や文献を読みあさっていました。

そんな私でしたが、大学では友人に恵まれ、サークルやアルバイトなどで心を通わせられる友人が数人できました。

彼女も何人か出来ましたが、長続きせずすぐ別れてしまうことが多かったです。(別れた直後はメンヘラ化してました笑)

⑹社会人(1社目)

新卒入社した会社では、企業の経営層にアドバイザーを紹介する営業に従事してました。
人材会社をファーストキャリアに選んだ理由としては、苦手なコミュニケーション能力を鍛えたいということと、いろんな人や世界に触れて、自分の価値観の幅を広げたいという理由でした。

この選択は今でも間違いではなかったと心から言えますが、メンタルダウンして仕事が手に付かなかったり、営業としては鳴かず飛ばずで焦りを感じることが多かったりで、非常に苦心した時期でした。

当時はコロナ禍ではなかったので、退勤後の家路に着くまでに、一人反省会をしながら営業のトークスクリプトを練習してたのが懐かしいです。

分かる方には通じるのですが、ニャースが人間の言葉を覚えるために夜な夜な練習してたみたいな感じです。笑

⑺社会人(2社目)

先ほどの人材会社は丸3年くらい働いて転職しました。
転職の背景は、より専門性の身に付く仕事がしたいという気持ちがあったのですが、人材営業はとにかく沢山の人と毎日コミュニケーションを取る仕事だったので、一生続けていくのは厳しいと感じたのがきっかけです。

自分がINFJだと気づいたのもこの頃で、転職を機にいろんな自己分析ツールを受験する中で分かったことでした。

現在は営業職から離れ、完全リモートの仕事をしているため、対人的なストレスはだいぶ減った気がします。

MBTI診断を受けたことで自分の特性について理解を深めることができたので、それまでと比較するとだいぶ生きやすくなったのかなと思います。

3.過去を振り返ってみて感じたこと

過去を振り返ってみて気づいたのは以下の3点です。

⑴自分のペースが何より大事

私が何より大切にしているのは、自分のペースなんだなと自覚しました。
誰かと同じ尺度かつ、同じ速度で進むことを求められるのは非常にしんどいと感じます。
受験勉強や営業職などはまさにその典型かなと思いました。

⑵やっぱり人付き合いは苦手

大学くらいから人と話すのは割と好きになったのですが、やっぱり自分は器用にコミュニケーションできるタイプじゃないなと感じます。

感情を素直に表すのも苦手だし、相手の発言や行動の裏を読もうとしちゃうので、被害妄想で苦しむことが多いです。

⑶正義感が強い

ここで言う正義感は、一般的な正義感の定義とは違う気もするのですが、自分は正義感が強い人間だなと感じます。

道にゴミを捨てる人間も許せないし、店員さんに横柄な態度の人を見ると辟易します。

人にはそれぞれの正義があるので自分の信念が絶対に正しいなんて思っていませんが、自分の中に「揺るぎない信念」があるんだと自覚しました。

自分の正義を振りかざして他人を抑圧することはしたくないですが、自分が大事にしたいものは何なのか?ということは、今後の人生で一生考えていくものなのかなと思います。

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