見出し画像

メンタルが弱い自分を認める「乗るのが怖い 私のパニック障害克服法」長嶋 一茂

長嶋一茂がパニック障害に苦しんでいたなんて、まったく知らなかった。パニック障害や、うつ病のど真ん中でも、バラエティー番組では「天然キャラ」として、いじられつつ明るく振舞っていたのだ。今でも現役で活躍するタレントが、ここまで赤裸々に自分の弱さも語れるっていうのがすごい。そして、彼が、十数年かけて、這い上がってきた軌跡は、同じ問題と闘う人にとって大いに励みになるはずだ。

私はパニック障害ではないけど、軽度の不安障害に苦しんだ(参考:不安障害は簡単には治らない。何度もぶり返し、繰り返す戦い。)一般的には「軽度」だけど、自分では、もうどうしようもないような、身の置き所がないような気持ちに苦しんで、苦しんできた。そして、結局はペースダウンしなきゃいけないんだということに気づいた。魔法のように苦しみを取り去る方法なんてない。一歩一歩、「気づき」を得るしかないのだ。

たどり着いたノウハウは、かなり似ている。なんだかホッとする一冊。

人生のどん底を見る時

一茂氏が、パニック障害を発症したのは30歳の夏。1996年は巨人軍の劇的な復活劇と、長嶋茂雄の「メークドラマ」という言葉が話題になった。その陰で、一茂氏は、突然発症したパニック障害に苦しんでおり、シーズン終わりには、戦力外通告を受けることになる。パニック障害を発してから、一度も選手としてプレーすることはできなかったのだ。

その後も、パニック障害との長い戦いは続く。飛行機に乗ったり、新幹線に乗ったり、逃げ場のないところで起こる過呼吸。アクアラインの長いトンネルもパニック発作との戦いだった。それに加え、度重なる眩暈や、うつ病と苦しみ続けた十数年だった。一度は良くなったかもと思ったのに、何度も、何度も再発?する病。一時期は薬の副作用から自殺衝動と闘い続けた。

そんな最悪の時期に、一茂氏は、テレビタレントやドラマ出演などで、全く別の道を切り開いていたのだ。はた目から見ると、苦しんでいる人の姿って順風満帆に見えることさえある。完全に折れ切ってしまわなければ「強い人」と見られることもあるけど、そうじゃないよね。苦しみながら、なんとかかんとかやってきたんだよねってことが分かる。

元には戻らない

うつ病になったり、不安障害を患う人の多くが、普通以上に頑張る人だ。そして、どこかで限界を超えてしまう。では、一時期休んだとしたら、また職場復帰したら、前と同じようにバリバリ働けるのか。そうではない。結局、同じような過酷な環境で、同じように働くと、また再発するだろう。一茂氏は、このことをよく分かっていると思う。

「たとえば、私が仕事を辞めて、二年くらいハワイでのんびり遊んできたとする。それでパニック障害の症状が治まって、日本に戻ってきても、おそらく仕事に復帰したとたんにぶり返してしまうだろう。なぜなら、逃げるだけでは、本当には自分が変わっていかないからだ。もちろん、パニック障害を一つのきっかけにして、自分の人生を考え直し、その結果、潔く新天地を目指すというのなら、話は別だ。」(P145)

引用:乗るのが怖い 私のパニック障害克服法 (幻冬舎新書)長嶋 一茂 (著) 

パニック障害も、不安障害も明らかに体からの限界を知らせるシグナルなのだ。それは、人生を変えなければならないという声なのだ。そんな一茂氏が語るパニック障害への対処法は本質的だ。

力を抜くこと

それにしても、長嶋茂雄の子供であるというプレッシャーは大きいものだっただろう。一茂氏は、子供の頃からプロ野球選手を目標に、プロ野球選手になってからは500本のホームラン王を目標に、やがて監督になる夢を持って努力し続けてきた。なかなか成果が出ないと、自分を打ちたたき続けてきた。しかし、パニック障害を発症してから、強制的に立ち止まらざるを得なくなった。本当に大事なことは何かを考えたのだ。

一茂氏の言葉で、印象的なコメントをいくつか書き出してみる。

「スーパーマン症候群からの脱皮」(P97)

「引き算をして、自分を削りシンプルに。・・不安を消すには引き算が一番いい。・・不安を抱えている人の多くは、足りないのではなく、過剰な何かがあるのだ。だから、その過剰な何かを取れば、不安はなくなる。」(P90)

「もしも明日死ぬんだったら、今、自分には何が必要なのか」(P171)

「いかにしのぐかということを、私は提唱したい。「しのぐ」ということは、別に「逃げる」ことではない。・・私はほどほどの人生観とともに、「まあいいや、だいたいで」という言葉を言い続けることを提案したい。」(P181)

引用:乗るのが怖い 私のパニック障害克服法 (幻冬舎新書)長嶋 一茂 (著) 

一言で言えば「力を抜く」ということなんだろう。一茂氏は、おそらく幼い時から人並み外れた努力をし続けて来たはず。天才肌の父親を見ながら育ってきた。苦しかったと思う。でも、今は、一茂氏は別のフィールドでしっかり立ち位置を持つようになった。

ここにたどり着くまでの葛藤が、まさに、パニック障害を克服するための「考え方」、ひいては「生き方」の変化なのだ。時に逃げてもいい。勝てるところで勝てばいい。力を抜いたときだけ見える地平がある。私の好きな為末大氏の本をおすすめしたい(参考:目標を変えるべきか?【書評】諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない 為末 大

こういう基本的な考え方を、わかりやすく説いた上で、各論(具体的な方法)をしっかり扱っているのが、一茂氏の本の魅力だ。

メンタル不調を脱する方法

各論の中でも、私も同意する方法をひとつ挙げてみたい。

夜十時前に三日連続して寝る

「漢方や東洋医学の世界には、『体調が悪い時は、夜十時前に三日連続して寝ろ』という言い伝えがある。・・パニック障害やうつなどを患っている人は、やっぱり、生活のリズムは不規則であってはならない。まずは、規則正しい生活のリズムを取り戻すことが一番。そして、できる限り「早寝早起き」を心がけることだ。「そうは言っても、仕事が忙しくて、、、」という人は、まだ本気で治す気になっていないのだと思う。」(P110)

引用:乗るのが怖い 私のパニック障害克服法 (幻冬舎新書)長嶋 一茂 (著) 

早寝早起きは侮れない。私もメンタル不調を抱えるようになってから、生活習慣の改善に取り組んだ。睡眠日誌(マガジン)を見ていただければわかるように、かなり規則正しく生きている。

一日7時間半~8時間は睡眠時間を確保している。睡眠時間を確保しつつ、朝早く起きようと思えば、夜に早く寝なければいけないから夜の過ごし方が変わる。夜には時間がないと思えば、日中の時間の過ごし方、意識が変わる。

結果として、早寝早起きは人生を本気で変える。私は、まだ早起きと言えるほどではないけど、6時台に起きても8時間眠れているくらいの生活スタイルを送ることを目標に生きている。これはメンタル不調に悩む人に、まず第一に勧めたい方法だ。

特に私の場合は、スマートウォッチで日々の睡眠時間や心拍数、歩数、体重など、あらゆる数値を記録し始めたのが良かった。おかげで自分を客観的に見て改善すべきところは改善できるようになった。(参考:毎日、睡眠日誌を書く理由。自分だけの睡眠取扱説明書を作る。)

壁を乗り越える秘訣はシンプルなところにあるのかもしれない。

感想まとめ

一茂氏はパニック障害により、人生を見つめなおすことができて、病気に感謝してさえいる。パニック障害になってから、それまで「野球バカ」だった一茂氏は、足しげく書店に通うようになり、読書漬けの日々を送るようになる。過呼吸で病院に運び込まれたとき、母親に「あなたは傲慢なのよ」と言われたことを思い起こし「自分は傲慢だった」と内省する一茂氏。実際には人間としての幅はよりいっそう広く・大きくなったんじゃないかな。

私も、自分の思うように体が動かなかった時の、あの辛さ、苦しさは、ほんとに、やるせなかった。でも、あの痛みがなければ、もっともっとブレーキが壊れた車みたいに、破滅するまで走っていたかもしれないなと思う。そう考えれば、感謝もできるってものだ。そう、こうやって「感謝」できるってこと自体が、ひとつステージが上がったってことの証拠なのかもしれないって思うんだ。

#乗るのが怖い   #私のパニック障害克服法 #長嶋一茂 #パニック障害 #不安障害 #書評 #読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq