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『パワハラ』の科学

パワハラ防止法が、2022年4月より、中小企業でも対応が必須となり、4つの義務が課せられることとなりました。

「パワハラ防止法」における事業主の義務
1.事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発
2.相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備
3.職場におけるパワーハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応
4.1~3までの措置と合わせて、相談者・行為者等のプライバシーを保護すること、その旨を労働者に対して周知すること、パワハラの相談を理由とする不利益取扱いの禁止

厚生労働省

パワハラにおいて最も難しいのは、どこまでがパワハラでどこからがパワハラではないのかという境界線です。
しかし、明確に境界線を定める事ができないというのが本質的な答えでしょう。『パワハラ』について深く理解するためには、それ自体を科学し、パワハラをしてしまう人の心理的状況、そのパワハラが起きている現場にいる人の関係性や構造などを紐解いていく必要があります。

この記事では、『パワハラ』というものがどのようなメカニズムで起きているのか、それを科学し、『パワハラ防止だ』と言う時代を早く終わらせ、『持続的な繁栄のための人間関係』という論点に社会を持っていくべく、書いていきます。

この記事は三人の登場人物の対話形式で進めていきます。
りお:若手人事担当
持続的に繁栄できる強い組織にするべく、あらゆることを探求し、人事活動に活かしていきたい若手人事。少し捻くれている。
としぞう:精神科医
個人の行動変容や組織全体の行動に詳しい精神科医
わたるん:仙人
複雑な事象を整理し正確に言語化してくれる。たまにしか出てこない。

りお>
私の友人の会社では、パワハラが起こってしまってるそうです。
友人がパワハラを受けているわけではないのですが、上司も見て見ぬふりで、友人自身もなんとかならないかと感じながらも、なかなかどう行動すればいいかわからなくて困っているそうです。
パワハラする側はどうしてパワハラしてしまうのでしょうか。

としぞう>
パワハラの問題で難しいのは、パワハラの問題をパワハラは悪いことだだからなくそう、となってしまうと解決が難しいところです。
パワハラについて知ってもらう機会をつくったときに、「どこからがパワハラなのか?」「パワハラパワハラ言われると何も指示できないじゃないか?」などの反応が出たりしたことはありませんか?

りお>
そうですね、私自身もそう思っています。
パワハラってどこからがパワハラなんだろう?とか、パワハラを逆に部下から振り翳したりするパターンはよく聞きます。
パワハラは悪い事だからなくそう、となってしまうと解決が難しいというのはどういうことですかね。

としぞう>
パワハラはないのが当然であって、パワハラをしているとしたらそれは悪いことでその人には何らかの間違った考え方があるとしてしまうことです。犯人探しになってしまうと、自覚がある人は自分は悪くないと言う正当化の反応を生み、それがさっきの発言『パワハラパワハラ言われると何も指示できないじゃないか?』『どこからがパワハラなんだ?』になってしまうんですよね。こうなると、お互いの正当化が始まるだけでなかなかパワハラの問題は解決せず、ぶつかりあって間に入っている人事が疲弊する、という流れになってしまいます。

りお>
なるほど、正当化のぶつかり合いのような状態は避けたいですね。
ちょっと、ここで、パワハラという事象に向き合うべく、パワハラの定義を確認したいと思います。

「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」

明るい職場応援団(厚生労働省)

となっていますね。
重要なのは、地位や優位性を背景にしているというところな気がしました。
“パワハラをしてしまう人はどんな心理状況なのか”
という問いに対しては、この『地位』や『優位性』という言葉が鍵を握っていそうですね。
『地位』や『優位性』を振り翳してしまう、パワハラしてしまう側はどんな心理状況になっているのでしょうか。

としぞう>
まず、二つのことを念頭に置いておく必要があるでしょう。
一つ目は、パワハラする側は『無意識』のことが多いということです。
パワハラしてるとは思わなかった、という状態です。
そして、二つ目は、同じ言葉でも場合によってパワハラになったりならなかったりするということです。
例えばプライバシーに踏み込むような言葉は、適性な範囲を超えているかもしれないけど、適性な範囲かどうかは捉え方によって変わってきますよね。
家族の話題はプライバシーとは言っても業務に関係あると捉える人もいるだろうし、いや、プライバシーはプライバシーだと言う人もいるでしょう。
コミュニケーションをする主体が、何にどういう認識を持っているか、その多様さは無限大です。
『パワハラ』という言葉は、客観的な個人の言動に加え、コミュニケーションがうまくいっていないときに、それを問題化し、解決する対象にするという"権化"の試みであり、正論のぶつかり合いを避けて解決するために役立ちます。

りお>
なるほど、『無意識』だからこそ、パワハラする側は、『またパワハラしてると言われてしまうのではないか』と不安になったりするということですか。パワハラは、受けた側がパワハラだと思ったらパワハラだというのは、コミュニケーションがうまくいっていない、コミュニケーションを不快だと感じた時、永遠に埒が明かない正論同士のぶつかり合いで長期戦になることを避けるべく、それを問題化しようとする試みであるということですね。
加えて、立場の弱い人の権利を守るための概念としても役に立っている気がします。
パワハラという言葉自体が、形骸化してしまうとよくないですね。だからこそ、しっかりと状況を認識して捉える必要がありそうです。


りお>
パワハラは無意識のことが多いととしぞうさんはおっしゃいましたが、無意識では何が起きているのでしょうか。例えば、このような行動が起きている時などはどんな感じの心理なんですかね

脅迫(「目標が達成できなければ辞めますと一筆書け」など)
名誉棄損(「新人以下だ」など)
侮辱
ひどい暴言(「給料泥棒」「寄生虫」など)
私的なことに対して過度に立ち入るような言葉

パワハラにあたる言葉一覧(咲やこの花法律相談所)

としぞう>
パワハラをしてしまう人特有の無意識の状態はありません。パワハラの人も我々も同じ反応がおきます。それが以前お話しした原始人の反応です。われわれの脳は原始人の時と同じ、原始人の脳を持つ我々は誰もが地位や優位性を獲得するとそれを維持しなければという不安が生じます。ということで、まず理解する必要があるのは、我々の誰もがパワハラをしてしまうリスクがあるということです。
そして、パワハラの基準も明確ではありません。同じ言動でも時にパワハラになったり、時にパワハラにはならなかったりします。

その鍵が先程お話ししたコミュニケーションです。パワハラ的言動があっても、部下から上司に「そう言われると、ちょっと辛いです」と言える環境であればパワハラとして問題化しない場合もあれば、逆に丁寧な言葉遣いでも、相手を追い詰めてメンタル不調に追いやることもできます。パワハラの問題が起きるとどうしても、誰のどんな行動、考え方が問題なんだ?、そして何がパワハラで何がパワハラでないのか?という議論になりがちですが、パワハラの問題をそのまま解決するのではなく、パワハラが起きたということはなんらかのコミュニケーションの問題が発生している、と仮定して組織全体的の問題として考えることがパワハラの問題解決につながります。

りお>
なるほど!
原始人の文脈を理解すると、地位や優位性を振り翳したくなり、誰しもがパワハラをする可能性があると言われると説得力がありますね!
『パワハラをする可能性は誰しもあります』とだけ言われても実感湧きませんが。

そもそも、脅迫、侮辱、ひどい暴言などは、強烈な印象を与えるがゆえに、どうしてもその人自身の行動そのものやその裏の考え方に目が向けられがちですが、その人本人ではなく、コミュニケーションしている二人、強いてはそのコミュニケーションが生まれている組織全体の雰囲気に目を向けてみる必要があるということなんですね!俯瞰してみる!
強い口調であること自体がパワハラとも言えないし、すごい丁寧な言葉遣いでも追い詰めてメンタル不調に追いやることもできてしまいますね、確かに。むしろそっちの方が怖すぎる(苦笑)
確かにパワハラがあっても、『そう言われると、ちょっと辛いです』と言える環境であれば問題化はしなさそうですね
これ、言われた側の対応次第で変えられることもありそうな気がしました。
例えば、言われた側が『その言い方はひどいです、パワハラです』と言ったら、正当化論争に発展していきそうな未来しか見えないし、解決しなさそう。
パワハラされている側、またはパワハラの現場にいる人が、
『そう言われると、(私は)ちょっと辛いです』と主語を自分にすることが重要で、『その言動はパワハラです』と、相手を主語にしてしまうと、うまくいかなさそうな感覚があります。
そんなイメージですか?

としぞう>
すばらしいですね。どうしても個人に原因を求めがちですが、人間関係、チーム、組織の問題として捉えた方が解決策を見出しやすいです。
パワハラをする可能性は誰しもあるというよりは、パワハラとそうでない指示は明確に区別できず、その違いは、言い方の問題と言うよりは普段のコミニケーションの問題と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
パワハラをうけている人がパワハラの被害を訴えて改善策を立てる時に「言い方」に気をつけるべきとなってしまうと解決は難しくなってしまいます。
パワハラの被害を受け続けて我慢した上で訴える時は感情的になって当たり前です。お互いに言い方に気をつけるというよりは、

パワハラで辛いと我慢してしまう前にコミュニケーションがとれる人間関係、チーム、組織であることが大切です。


りお>
パワハラしている人にスコープしすぎると解決していかないということですね。これはパワハラ以外でも言えることな気がします。
全体を俯瞰して見てみるという癖をつけたいです。ところで、この会話では科学的で専門的な難しい言葉なしに話すことができたなと思ったのですが、としぞうさんの中で、こういう概念とか科学的な要素を取り入れて話しているよ〜というものがあれば最後に聞きたいです!

としぞう>
今回お話ししたアプローチをポピュレーションアプローチといいます。ポピュレションアプローチとは医学用語なのですが、病気や問題の人を探して解決する(ハイリスクアプローチ)のではなく、集団全体にアプローチするという方法です。
例としてはコロナ対策における手洗いみたいなイメージです。コロナになった人を治療するのではなく、コロナになる人が少なくなるような対策を集団に実施します。どうしても、病気の治療と言うと、早めに見つけて治療すること考えてしまいがちですが、集団全体に対して問題の発生率を下げる方が実際はうまくいくパターンも多いです。
コロナ対策の場合も、治療よりも手洗いの習慣を徹底することの方が、コロナの蔓延感染者の減少に役立ちました。
今回のパワハラのように、人間関係の問題の多くはハイリスクアプローチよりポピュレーションアプローチの方がうまくいくこともおおいので、もしかしたら狭い範囲の問題解決にとらわれているのではないか?と気づいたときに全体を俯瞰してみると新しい解決策が見つかるかもしれません。


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