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大阪のおばちゃんの『知らんけど』の効果

この記事は三人の登場人物の対話形式で進めていきます。
りお:若手人事担当
持続的に繁栄できる強い組織にするべく、あらゆることを探求し、人事活動に活かしていきたい若手人事。少し捻くれている。
としぞう:精神科医
個人の行動変容や組織全体の行動に詳しい精神科医
わたるん:仙人
複雑な事象を整理し正確に言語化してくれる。たまにしか出てこない。

りお>
会社では成果が求められ、売上は全てを潤しますが、故に、無責任な事は言えない!となってしまう場面は、組織がでかくなればなるほど、影響力が大きくなればなるほど増えていく気がします。
でも、そういう組織こそ、大阪のおばちゃんの『知らんけど』みたいなものが必要なのだろうと思うんです。
しかし、知らんけどというスタンスは、無責任にも程があると。
このバランス感覚はどう取ればいいのでしょうか?

としぞう>
「無責任なこと言えない!」この言葉は重要ですね。日本の多くの組織において、この「無責任なことは言えない!」という言葉で心理的安全性が下がっているような気がします。この言葉が「無責任にいうくらいならしっかりと責任を取りたい!」というポジティブな方向ではなく、「無責任なことは言えない、責任は取りたくない、だから何も言わない」になってしまうので心理的安全性が下がってしまうんですよね。
なので、「知らんけど」を使うことで意見を言いやすくすることが心理的安全性向上に役立ちます。ただ、この言葉も使いようではありますよね。上司に何かを報告した時に「わかった、明日対応しておく、知らんけど」なんて言われたらめちゃくちゃ心配になってその上司に話しても無駄だと思われてしまいますよね。

仙人>
知らんけど、をつけて良い段階で共有しとく、みたいな点は指摘できそうですね。
積み重なった問題が露呈してから責任云々、どこの担当だ!となってから知らんけどはダメですが、小さな違和感に対して、

おばちゃん:『あれどうなってるの?わしはこう思うねん、あれほっといたら多分地獄やで、知らんけど。』
若手:『え?マジっすか、どうしましょう?』
おばちゃん:『これくらいならやったるけど、後は頑張り』

と。
この程度のところで共有するには実は視野は広げないといかんのですが、『知らんけど』には実は普段からの気にしぃがあるんじゃないですか?

りお>
確かに、気にしぃはありそうですよね!こういうベテランのおばちゃんとかが嫌味ない感じでいてくれたら、生産性結構上がりそうっすね。
一方で『無責任なことは言えない、責任は取りたくない、だから何も言わない』は確かによくある状況ですよね。
この状況を打破するためにはどうしたらいいんですかね。

としぞう>
責任を取らなくても良いなら、言いたいことがあるという場合。例えば良いアイディアがあるけど、話すと自分の担当になって仕事が増えるだけだから話さないとなってしまいます。その時には「知らんけど」がOKとなれば、ブレインストーミングとしてうまく機能する状況を作ることができます。
心理的安全性を高めるための方法の1つとして、ブレインストーミングのタイミングと、意思決定のタイミングは分けたほうがうまくいくことが多いです。

りお>
なるほど、責任を取らなくても良いなら言いたいことはあるけどという時に、ブレストと意思決定のタイミングを分ける手段は結構うまくいきそうですね!
でも、結局自分が一番意見を出したら、自分が責任を負うことになるのではないか?という不安は残って結局、その不安を抱えたまま、遠慮したりする未来は見えてしまいますね。例えば、その後のリーダーの決め方、責任者の決め方などを定めておける、加えてリーダーはその責任と引き換えにこういう条件がありますなどの決まりがあると安心できますよね。

りお>
この時、どういった決め方、どういった条件があればうまくいきそうですかね?

としぞう
この時の決め方、条件のコツとしてはどうしたら、正しくリーダーを決めれるか?ブレインストーミングができるか?を目指すよりは、どうしたらリーダーの決め方やブレインストーミングがうまくいってないと感じる時に修正できるか?の方が大事だったりするんですよね。その意味でも、リーダーの決め方、ブレインストーミングの方法についても、これが正解だ!って始めるよりは、まあ取り敢えずこんな感じで始めていきませんか?うまくいくかどうかは知らんけど、なんかあったら教えて、と進めていくのは役に立つかもしれません。

りお
なるほど、確かにうまくいっていない時の修正の仕組みづくりの方が大事ですね。としぞうさんが関わった現場で、特にこういう決め方がうまくいったとか、こういう条件があってうまくいったみたいなものがあったら教えてほしいです。それこそ上手くいかんかもしれないけど、参考にできたらなぁと思いまして

としぞう>
知らんけど、1時間で時間を区切る、最初に流れを確認する、みんなでマインドフルネスになる時間を作る、とかやってましたね。

としぞう>
あとはおすすめは、そのまま本音で話してしまう。すなわち、意見を言った人がそのまま仕事振られる感じだと心理的安全性が下がってしまう気がしてるんだけど、何かいい方法ない?と聞くのもいいかもしれないです。いずれにしても、上手くいく方法を調べて実行するより、テキトーに決めてどんどん変えていくのが大事なんで、まずはテキトーに始めるのがコツです。知らんけど(^^)

りお>
リーダーの決め方に関しては、まずはリーダーをやりたいと思えるための設計は一定必要だなと考えます。結局課題がどこにあるかではありますが、多くの会社がやってるように、リーダーが持つ責任と貢献の分だけ、利益が返ってくるのであれば、やろうという人もいるかもしれないなと思います。その報酬がどれくらいの額必要かはまた柔軟に考えないといけませんけど。加えて、それが不公平だという話になるかもしれないですよね。そうなった時にまた話し合える環境を作ることは大事だと思っていて、それはある種組織全体としてはコストとして許容しないといけないですよね。そのコストがちゃんと成果に結びつくということが見えないと、もう独断で動かしちゃう方に流れていくだろうなと思います。その辺はもう哲学というか正義というか美学というか、その辺ですよね、あと、その独断でやった時に、問題がどれくらい起きているかですよね。
あと思うのは、そもそもリーダーいるの?という話は結構大事かもしれないことです。リーダーいなくても意思決定方法が明確で役割分担(役割の境界線)があれば、うまく回ることはありそうですし。

りお
どう思いますか?

仙人
CDPと『知らんけど』がどう共存しているのか?の話ですね。

としぞう>
いいですね。哲学というか正義というか美学、ようするそこはお互い違うわけであってその中でどう協力していくか?を見つけることは大事ですね。
そして、そもそもリーダーがいるの?ってところは重要です。リーダーとはかくあるべき!というよりはまずはリーダーなしでもやってみて、やってみて、ここ不便だよね。ブレインストーミングやって、みんなの意見揃えようとすると違う意見言えなくなるから、最後決める人いた方がいいよね。あたりでリーダーの役割が自然と決まってくるのは理想的ですよね。

仙人>
こうなるのが理想という語り口はやめた方が良いと思います。
例示という感じで、逆にリーダーなしで話が始まったとします、知らんけど、やってみる、こんな感じがいいね、知らんけど、じゃあこの形で置いてみるか、知らんけど、とりおさんが言ったルールがコミュニティに出来上がってきますね?みたいに語った方がよい。

としぞう
ですね。理想とか正義とか、『知らんけど』と、正反対な言葉になってしまったりするので、自分がいかに正解を探したくなってるか気づき続けるのはやっぱり大事ですね。


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