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こだわった空間には居場所がありそうで。

大学生になって地元を離れるまで18年間実家で暮らした。

家の周りを見回すと西の方角には一面田んぼが広がっていて、ちょっと東の方に歩いたら一面海を覗ける、そんな場所だった。

地元は大好きだ。美味しい食べ物があって、自然も綺麗で、好きな時に海を眺めに行けて、でも交通網は発達していないから移動は制限されるような場所で。そんなところも含めて地元は愛おしい。

でも、実家にはずっと居場所が無かった。そう感じていた。

姉2人は年が近いからか、共有できるものもたくさんあって、いつも仲良く話していた。最近は割と話すけど、昔どんな話をしていたのか記憶にない。なんなら昔は嫌われていた可能性だってある。
母親にはいい思い出が無い。小学6年生の時に母親からの恐怖に耐えれず逃げ出した。夏休みの宿題をしていなかった自分が悪いことはわかっていても、強い言葉で責められた次の日に母親が仕事から帰って来ると考えていたらあまりにも怖くて祖母の家に駆けこんだ。つい最近もきつい言葉を投げられたばかりだ。
父親とはそんなに喋らなくて、何を好んでいるのかも全然知らない。どういう人生を送ってきて、何に興味を持っていて、何が好きなのか全く知らない。知っていることがあるとすれば、回転寿司に行くと必ずサーモンを食べるということくらい。

いつも1人で居た。学校の登下校も1人だし、家に帰ってからも1人。小学生の頃は学校から帰って自転車を漕いで遊びに行ったりもしたけど、中学生になってからの遊び相手はもっぱら飼っていた犬。中学生の頃はドリフターズのコントを見てずっと笑っていたと思う。犬の可愛さとコントの面白さにたくさん救われていた。

家族で旅行に行っても全然楽しくなかった。居ても居ないような存在で、気付いたら旅行が終わっていた。

今はもう無くなってしまった自分の部屋には学校のプリントが積み重ねられているくらいで、自分が好きなものはほとんどなかった。中学の時に読んでいたラノベとマンガくらいはあったけど、あとは学校のものばかり。高校の同級生に教えてもらったバンドのアルバムを初めて買ったのが高校3年生の時で、そこで初めて好きなものを部屋に置くことが出来た。

でも、ポスターみたいなものを飾ったりすることは無く、たぶん散らかっていた部屋で過ごしていたような気がする。どれくらい散らかっていたかどうかは記憶にない。

大学に合格してマンションを借りた。入学当時に買った家具や調理器具など一人暮らしに必要なものは全て母親が揃えた。どういうものが必要か、どんなデザインの家具にするのか、選ぶのに僕の意思は求められていない。お金を出してもらう分際で意見を述べるなんて出来なかったし、意見を述べたところで変だと一蹴されるのがいつもの事。

初めての一人暮らし、自由なはずなのにどこか不自由で、実家を出たのにどこか縛られているような気がしていた。

でも、ここ最近になって少しこだわりを持ち始めた自分がいる。

こだわりといっても大したことではなく、漫画を集めてみるとか、好きな小説を並べるとか、額縁に入れたポスターを部屋に置くとか、そういう些細なこだわり。実家にいたころには全くしてこなかったことを今になってしている。

数日前に無印良品に行ったら土鍋があって、普段は炊飯器を使っているけどたまには土鍋でご飯を炊いてみるのもいいなと思った。ご飯が炊きあがるにおいを嗅ぎながらおかずを作ったり、スープを作るような空間ってすごくいいなと思う。まだ買えてはいないけど、想像するだけで楽しくなる。

あとは、今使っている食器も全部変えれたらいいなと思う。どうせご飯を食べるのなら、自分が好きだと思うものを使いたい。さすがに家具を全部変えることはできないけど、新しいものを買う時にはちゃんと自分で選びたい。

そうやって自分の選んだ自分の好きなものが集まっている空間で生活がしたい。マンガも小説も、バンドのCDも、食器も、自分だけのこだわりを誰にも譲ることなく揃えたい。

些細なこだわりを持ち始めたからといって完全に自由になれているわけではない。いまでも過去の記憶に囚われているし、思い出しては自己嫌悪している。

どうせ自己嫌悪しながら生きていくのなら、それを打ち消せるような好きをたくさん持ちながら生きていく方がいいなと思っている。だからこそ、こだわりをもって好きなものを揃えていきたい。

こだわった空間には居場所がありそうだから。

読んでくれてありがとうございます。