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無宗教で葬儀をあげるってどんな感じ?と思ったら。

脳腫瘍で亡くなった夫の葬儀は無宗教葬にした。
自己満足かもしれないが、彼ときちんと向き合ってお別れできた式だったと思う。ありがたいことに、参列された方々からも、そう言っていただけた。

無宗教葬にすると決めたとき、葬儀社さんからアドバイスは頂くが、自由度が高いだけに、悩むことも多かった。そして、短期間で色々なことを決めなければならなかった。
ネットを色々調べても、無宗教葬の内容(段取り)や経験談はあまり見かけず、形にするまで苦労した。

葬儀は誰もが人生のどこかで経験すること。
最後に故人とちゃんと向き合って送り出してあげる重要な儀式。
納得できたり、こんなやり方があるのかとか、もっと語られても良いのではないかと思った。

そんな経験から、私の想いで語りに加え、「無宗教葬ってどんなだろう」と思っている方の参考になればと思い、この記事を書くことにした。
一部でも、誰かのお役に立てたら嬉しい。

なお、どんな風に葬儀が執り行えるのかは、葬儀に対する考え方、価値観、状況によっても全く異なると思う。

我が家は、私に色々希望があったことや、葬儀を出した経験があったこと、自宅看取り、家の近くの葬儀場等、条件がそろっていたために、こんな形で出来たと思う。
さらに、親からの反対が全くなかったことも、恵まれていたのかも。

どの葬儀も、意図をもって執り行われた尊いものと思っている。
なので、「この方法が良い」という意図は全くない。
その点はご了承頂きたい。

◆無宗教葬に決めた経緯

これまで、私は祖母と父を見送っている。どちらも突然のことで、仏式葬儀かつ親族だけで行った。
流れは「お葬式」と言われて最初にイメージする、一般的な仏式のものだ。
私は喪主ではなかったが、その時に段取りや費用決めなどはほぼ行っていたため、葬儀全般の表も裏も(?)比較的理解していた。

葬儀は亡くなられた数時間後から短期間で色々なことを決めなければならず、精神的にも肉体的にも、かなりハードである。
夫の場合は、余命の予測がたった(?)分、考える時間もあった。
だから、彼の余命が短くなってきた段階で、嫌だけれど、葬儀場を決め、誰に連絡をするのかを考えておいた方が良いとずっと思っていた。

彼の葬儀を想像した時、仏式葬儀があまりしっくりこなかった。なぜなら、彼を好きでいてくれた人たち、会いたがっていた人たちに、彼との最後のお別れの時間をしっかり取りたかったから。
そう、身体がこの世にあるうちに。焼いたら本当に無くなるから。
でも残念ながら仏教式は、出棺前のお花入れの時くらいしか故人と対面する時間がとれない。

以前、彼と葬儀の話をした際に、彼は友人たちが来てくれることを望んでいることを確認していた。また彼は病気からくる障害の特性もあり、自分の健康状態の自覚がなかった。さらにコロナ禍や転倒による全身状態の悪化も相まって、会いたかった友人たちになかなか会えないでいた。

私はあまり心優しいタイプではない。でも実行力はある。

私は友人たちにも彼に会ってもらいたかった。
そして、みんなで「今までお疲れさま。いってらっしゃい」と笑顔で送り出してあげたかった。

こうした思いから、すべてが自由に決められる、無宗教葬に決めた。

どの葬儀社に依頼するかを考えるのは、彼が亡くなるための支度をしているようで、気が向かなかった。でも在宅医療の訪問医の先生から週単位との予測を聞き、腹を決めて近所にある葬儀社に行った。
最大許容人数がどれくらいか、無宗教葬を行っているか、どんなオプションがあるのか、無宗教の場合の流れサンプルなどを聞き、資料をもらい、簡単な手続きをした(没前に手続きをしておくと葬儀代が安くなったりする)。
振り返ってみれば、彼が亡くなる数日前のことだった。

そして、彼が旅立ってから、私と彼の親に無宗教葬にしたい旨を伝えた。
「無宗教??それって何?」とは聞かれたものの、拍子抜けするくらい反対はなく、葬儀の形式は私にゆだねてもらえた。今もそれは感謝している。

◆看取りから当日の流れ

彼を自宅で看取ったあと、私はどんな葬儀をしたいのか考えた。

結婚当時から、彼も私も、没後、自分の身体で使える部分は医療に役立てて欲しいと話をしていた。彼の病気の解明・治療に役立ててもらいたかったため、お別れが近づく頃には色々な方に協力してもらい、大学病院に身体を提供する段取りを組んでいた。

まずは彼の身体を提供先に渡し、その後、葬儀の時まで衛生的に遺体を保存できるエンバーミングも行った(保存方法はドライアイスで保存する方法とエンバーミングという方法がある)。ちなみに、このエンバーミングはそれなりの金額で、この話だけでNOTEを1本かけるくらい色々驚きもあったが、結論としては、やった価値は大ありだった。

看取ってから葬儀まで約1週間の猶予(?)をもらった。看取りから葬儀は、実は急ぐ必要がないことを父と祖母の葬儀の際に学んでいたことが役立った。その間に、息子と私で段取りや細かい部分を詰めていった。

無宗教葬では、定められているのは時間のみ。決まりごとがいっさいないから、遺族がこだわりたいことは全部自由にできる。

逆に言うと何も決まっていないから、進行をはじめとして祭壇や棺の形、会場のレイアウトなど、全部遺族が決める必要がある。そこが無宗教葬の魅力であると同時に、大変さでもあると思う。

葬儀場の方は、私たちの希望をきちんと聞いてくれた。ただ、おそらく遺族が混乱しないようにとの配慮だと思うのだけど、控えめな印象だった。
「この場合、どうしたらいいかわからないんですけれど、何か良い案はありますか?」と質問すれば、「こんな方法がありますよ」といろいろアイデアを出してくれた。

いろいろ悩んだ結果、当日の流れはこのようになった。

 9:00   親族一同我が家に集合
 9:30   自宅出発
 10:00 親族のみで湯かん(湯かんは30分程度)
 11:30 軽食
 13:15 受付開始
 13:10 談話の時間
 13:45 集合写真撮影、開式、黙とう、
      喪主(私)から経過説明、献花、喪主挨拶
 14:15 お花入れ、お見送り
 14:30 親族のみ火葬場へ出発
 15:10 火葬場着
 16:10 収骨 その後車で戻り解散

◆こだわったこと

納棺の儀、「湯かん」

納棺の儀や「湯かん」を認識している人は少ないかもしれない。
映画の「おくりびと」でやっていたような、葬儀前に、故人を清めたり、お化粧をしたり、身支度を整えてくれる儀式のこと。後で知ったのだが、納棺の儀のお作法(?)も色々とあるらしい。

祖母の葬儀で、納棺の儀を執り行って頂き、感動した思い出があった。
静粛な雰囲気の中、祖母を本当に丁寧に、きちんと着替えやお化粧をしてくれて、心が安らいだし、祖母を送り出す支度ができたと印象に残っている。
ただ、納棺の儀は葬儀場によってはオプションになるようで、別のところで行った父の葬儀のときは付いていなかった。その時、寝間着のままでお見送りとなったことは、私の中でチクチク痛い思い出だ。
だから、今回、夫にはどうしても納棺の儀をしてあげたかった。

そこで、今回は葬儀場に確認をして、湯かんが出来ると聞き、湯かんをお願いした。
「湯かん」はお湯を使って、身体を清めてもらう儀式のこと。
本来はエンバーミングをした場合、湯かんはしないらしい。
けれど、私の拘りでお願いした。
葬儀会場に簡易風呂を設置し、そこで身体の上に布をかけた状態で彼を入浴させ、私や息子は彼の髪の毛を洗ってあげた。亡くなる前は、なかなか湯舟に入れてあげられなかったので、温かいお風呂に入り、着替え、さっぱりした状態で友人たちに会わせてあげられることが嬉しかった。
みんなで彼を送り出す用意ができ、感無量だった。

お棺は会場の中央に

お棺は祭壇の前に配置するのが一般的。
でも、無宗教葬はお棺の位置などレイアウトも自由にできる。

私は「彼とのお別れ時間」を大切に、みんなが彼と話しやすい環境を作りたかった。だから、最初はお棺を会場の中央に置き、椅子も設置しなかった。おかげで入れ代わり立ち代わり、全員が彼ときちんと顔を合わせられた。

献花のときにはお棺を祭壇の前に置き、献花の台を据え、参列者分の椅子を出してもらうようにした。前日に葬儀社さんと会場を確認しながら段取りやレイアウトも決めた。

式の冒頭に談話時間を

葬儀開始の時間から冒頭の20分程度は、純粋に参列者に彼と会ってもらう時間とした。彼と向き合い、じっくりと話ができる時間。彼の親しい友人が泣きながら彼と話をしているのも目にした。葬儀後、彼の友人たちから「ゆっくり会えてよかった」と言ってもらえたこの時間は本当に確保してよかったと思う。

その際、「こんなこともあったね」と楽しかった頃を思い出してもらえるように、参列者の方々が写っている写真を準備した。彼は物持ちがよくて、箱に写真をたくさんしまっていたから、それを引っ張り出して選んだ。参列した人の高校の友達、大学の友達、会社の同期、会社のテニス、キャンプの仲間、地元の仲間たちと一緒の写真をそれぞれまとめて机に出しておいた。

その写真を見ながら、友人たちはいろいろ思い出話をしてもらえたようだ。
小耳に、「あの時アイツがこんなことしてたよな~」や、「この洋服ってさ~」等と語る話を聞き、そうだよな、病気ばかりですっかり忘れていたけれど、彼にもこんな楽しい時間があったよね、と私も思い出させてもらえた。

ついでに、彼が脳腫瘍に伴い患った高次脳機能障害や、彼の身体を提供した「ブレインバンク」の資料も用意した。
高次脳機能障害は脳に損傷を受けた人なら誰でもなりうる障害。
少しでも理解を広げたかった。
自分が亡くなった後に身体を役立てて欲しいと思っている人もいるかと思い、「ブレインバンク」についても、認知度をあげたかった。

集合写真

参列者の方々と一緒に、彼を中心にして集合写真を撮影した。
参列した方には「こういうとき、どんな顔をしたらいいかわからないよ」と、少し戸惑わせてしまった。私と息子は最後の彼との記念撮影のイメージだったので、「行ってらっしゃい、またいつか会おうね、の気持ちで笑顔でお願いします!」とした(若干ムリはあったが)。
結果的に良い思い出になったので、撮影して良かった。

音楽の選曲

葬儀社さんから、式全体と、献花のときに流す曲をどうしますか?と聞かれ、彼が好きだったサザンオールスターズにしようと思った。
最初、アルバムをそのまま流せば良いと簡単に思っていたが、さすがに献花の時に「勝手にシンドバット」が流れたりしたらマズイだろう。そこで、息子が献花時に適した曲(?)を選曲してダウンロードしまとめてくれた。

真夏の果実、TSUNAMI等、見事に全部バラード。
参列者は年齢的にみんなサザン世代ゆえ、献花時に音楽が流れた瞬間、みんな号泣。後で「この状況であの曲流れて泣かないわけないじゃん!!」とお叱りを受けた(笑)。

泣いて感情を出すって、大切なことだと思っている。
号泣する友人たちをみながら、ちょっとだけ、ホッとしていた。

お焼香ではなく、献花

無宗教の場合、お焼香の代わりに故人に花を手向ける献花を行う場合が多いらしい(特に決まりはない)。我が家もそれにならった。参列者の一人ひとりが彼と顔を合わせ、ゆっくりと話をしたり、別れを惜しんでもらったりしながら、献花をしていった。
この花の種類も自分たちで決める。
参考までに、先端にだけ花がついているのはさみしい気がして、「華やか」というと言い方はおかしいかもしれないけれど、白のデンファレを選んだ。

なお、葬儀の準備で忙しすぎて、献花のお作法をチェックするのを忘れ、喪主である私が花を手向ける方向を逆にしてしまい、息子や親族以降、殆どの人がそれに倣い、花の方向があちらこちらにバラバラになってしまったのはご愛敬である(無宗教だし→何でもこれで言い訳にする)。

参列者の方へのご連絡

式に参列していただく方は、「彼自身と直接面識があり、親しくしてもらっていた人」に限らせていただいた。これも、すごく悩んだ。
死に対する価値観って人それぞれだと思う。本当は、元気な姿を記憶に残すことにして、亡骸に会いたくない人もいるかもしれない。
ご案内をすると参列を強要するようで、相当悩んだ。

結果、両家の親族と親しかった友人たち、30名程度にご案内をした。
そして、私側の友人はご遠慮頂いた。
これは、コロナ禍であることや、式場のキャパシティー的に人数制限があったこともあるが、彼を大切に思ってくれる人たちだけで送り出したかったから(後述するが、最終的に40名弱となった)。

彼が元気だった頃、「コロナ禍が落ち着いたら誰に会いたい?」と聞いたことがある。そのときの答えが「高校や大学の友達」だった。

これは聞いておいてよかった。もしその気持ちを知らなかったら、もっと会社や直近まで親しかった方々を中心に連絡していたかもしれない。
おかげで彼が亡くなる前やその後も、誰にお声がけするかの参考になった。

◆大変だったこと

事前の人数把握の難しさ

メールやLINE等で友人たちに葬儀のご案内をしていたが、それが人伝いに情報が伝わり、当日、思った以上に大勢の方に来ていただいた(会場のキャパシティーがギリギリで、献花に準備していたお花が足りなくなっていた)。
確かに、自分が葬儀に行く際にも「行くからね」と伝えることの方が少ない。人数把握は難しいものだなと思った。

年賀状のみの大切な人への連絡

最近は、連絡手段がメールやLINE等がほとんどだと思う。でも、年賀状のやりとりのみで、電話番号も分からない場合、速やかに連絡できない方もいらっしゃった。

住所しか分からなかった彼の新卒時代の上司には、葬儀後、手紙で報告をした。その後、とても心のこもった、彼とよく飲みに行っていたエピソード等を書いたお返事を頂き、号泣した。このように数名、後で「葬儀のご連絡をすればよかった」と思う方がいたのが心残りだ。

遺影写真の選び方

父と祖母の時の経験から、うっすらと遺影の写真は考えてはいた。
だが、実際に葬儀社さんにお渡ししてみると画質が荒く適さないと言われたり、スマホで見ると良い写真でも、大きくするとイマイチだったりで、決めるのにやっぱり時間を要した。彼は病気の影響もあり、近年は少し顔つきが変わってしまっていた。そこで、色々と探して、結果的に10年ほど前の写真を使用した。

自分のことを考えたときに、いつ何があっても困らないよう、撮影はしておいたほうがいいと思った(ちなみに、正面を向いている写真があれば、洋服は着せ替え可能)。

◆おわりに

彼の人生最後を飾る、大切なベントである葬儀。
私と息子は、彼をどんなふうに見送ろうか一緒にいろいろと考えた。
たくさんのこだわりを詰め込み、できることはすべて行ったと思う。

改めて振り返ってみても、たくさんの方たちからの暖かいお気持ちをいただき、きちんとお別れができた気がしている。

義父は昔ながらの考えを持つ人だけれど「いい式だった。これからはこういう式が主流になるだろうね。ありがとう」と言ってくれた。

私は「何事も終わり方が大切」と考えている。
前も書いたかもだけど、失恋を中途半端な別れ方で引きずるのではなく、きちんとピリオドを切ったほうが次の恋に向かいやすいのと同じかなと。

日本では「縁起が悪い」と葬儀の話はタブー視されがち。気軽に話題に出しにくいかもしれない。でも、葬儀はひとりの人の人生の最後の儀式。亡くなった本人はもちろん、遺族が心の区切りをつけるためにも、とても大切なものだと思う。

考えてみれば、葬儀に関わる回数は、結婚式を執り行う回数より多い可能性が高いのだ。そして、故人のためにできる最後の計らいと思っている。
だから、できればもっと明るく葬儀の話題が出せるようになったらいいなと思う。事前に自分の式はどんな式がいいのか、誰を呼びたいのかなど、家族と気軽に話せたらいいなと思う。

無宗教葬はまだなじみが薄く、「具体的に何をするのかよくわからない」と考えている人もいるかもしれない。そして、バリエーションも多い。バンド演奏を入れたり、立食お別れ会形式にしたりと、色々やり方はある。
今回の例が、無宗教葬を考えている、誰かの参考になったら嬉しい。

彼は「使ってもらえるものは使ってもらったら良い」という考え方の人。
今回、彼の例を共有することが役立つなら、彼も喜んでいると思う。
(そして、無茶ぶりした葬儀受付を手伝ってくれた友人たち、色々取りまとめ連絡係になってくれた先輩、これを言語化するのを手伝ってくれたTさんに感謝します)




ね、みんな来てくれて、良かったね。
息子といろいろ、夜中まで頭ひねって、頑張ったんだよ。褒めてね。




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