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生活はつづく

星野源さんの書籍に「そして生活はつづく」というタイトルのエッセイ本がある。

私は最近、この「生活はつづく」というワードを人生のスローガンのように脳内で連呼している。


昨日、父が緩和ケアへの移行を医師から勧められた。
次の検査は奥さんと一緒に来てください、と言われた時点で覚悟はしていた。

転移したがんも大きくなっており、治療薬を増やしたところ副作用で足の痛みが出て歩けなくなった。これ以上の積極的ながん治療は父の身体への負担が大きくなるだけです、とのことだった。

母からLINEで知らせを受け、パソコンで資料作成をしていた手を止めた。

メッセージを見て
画面を閉じて
私はまたマウスとキーボードへ指先を戻して資料を作り始めた。

時折「はぁ!」と声を出してみたり、視界が水面のように歪んだり、鼻息が荒くなったり、手が止まって奥歯を嚙みしめたりしながら、資料作成を続けた。

そのときずっと脳内で唱えていたのは「生活はつづく!生活はつづく!」だった。


私は私の生活をつづけなきゃ。
だって、つづくんだから。

夜は、約束していた焼肉にだって行った。
しょうもない下ネタに笑ったりもした。
寝て翌日は、何事もなくまた仕事をする。

父が緩和ケアになる。父の治療が止まる。叔父さんは同じステージ4の大腸がんだったけど寛解したっていってたのに。「でるひとはもっと副作用がでるらしいけど、お父さんは吐き気とかはないけんねぇ、治療がスムーズにできとるとよ」と父は自慢げにいっていたのに。

立ち止まったら、いくらでも考えてしまうし希望を失ってしまうし、恨みたくなるから、生活をつづけなきゃならないんだよ。


よくドラマやドキュメンタリーで、
たとえば父親が余命3ヵ月といわれても、一家集合しない家族(帰省してこない娘息子)の様子や、元気な姿で過ごせる時間があと数ヵ月なのに"父ファースト"にせず平気で口喧嘩や軽口を叩く様子が不思議だった。

ようは、亡くなってしまうひとのために、なぜ「お見送りモード」に切り替えて生活できないの?ということに遺憾だったのだ。不思議で、冷たいひとたちだな、と思った。


でも、いまならちょっとわかる。
できないよ。

父がもし天国へ行っても、そのあとに私たちの生活はつづくんだもの。もっと言うと同時並行でまさに今もつづいているんだもの。
どんなにつらくてもお腹が減るように、トイレに行きたくなるように、自分の意思ではどうにもならない生理現象のように私たちの生活も止まらない。



余命を知った翌日から、食卓には本人が食べたいと思っていた名店の料理が並び続けると思っていた。見たい景色を最期に見るための日本横断旅行が始まるんだと思っていた。

ううん。違うよ。生活はつづくの。
今日何をいわれても、今日は明日と地続きなのだ。
食卓には昨日までと同じ、サバ缶と納豆が並ぶ。
旅行は、本人が「もっと体調がよくなってから行こう」と言うから、慣れ親しんだいつもの安宿に行く。(「”もっとよくなる”は無いから今のうちに行っておかなきゃなんだよ」なんてことは、そのときになってみればきっとあなたも言わないだろう)

昨日までの日々が、今日からも続くんだよ。


それと同時に、悔しいけれど自分にできることはないから、生活をつづけるしかない。

父がひとりでできることがひとつひとつ減っていくそのときも、私は痛みを取り払ってあげられないし、がん細胞を小さくしてあげることもできない。じっと、隣で見つめていれば病が治るなら、何ヵ月でも有休とってそうしてあげる。でも、治してあげられないから、この後につづく自分と家族の人生のために、生活をつづけるしかないのだ。

出産予定日のように「そのとき」の日付が決まっているものではない。

どこに照準をあわせ逆算して過ごしていいのかわからないし、照準なんてわかりたくもない。だから現在進行形で続いている生活を変えることができないのだ。


そのたびに私は「生活はつづく!」と脳内で唱える。
その言葉は、いわば表面張力のようなものだ。

「生活はつづく!私は今、目の前の自分の生活をつづけよう!」とまるでレッドブルを飲んだようにバキバキの目で唱える。息継ぎなしで予定とタスクを詰めれば、私はまだヒト型を保っていられる。

ここで、父との生活を振り返ったり、写真でも見返せば"美しい"か?
少なくともドラマやドキュメンタリーで「この人たちは冷たい家族だ」と呆れていた頃の私は、そういう行動を誰しもがとるもの・正しい行動と思っていただろう。

でも実際は。
そんなことをしたら、私は泣き崩れて、明日からの仕事も出来ず、今手にしている目標や夢なんてすべてどうでもよく感じて投げ出せる自信がある。そうなったら、もう今日まで続いた「生活」のレールに戻ってこれないよ。その恐怖感を、生活をつづけることで払拭しているのだ。

気を抜くとあふれるものを、生活をつづけようとする意志でせき止めている。

誰かから見ると薄情かもしれないし、
"当時"の私からいわせれば「家族と過ごすことより大事な仕事ってなに?(笑)」だろう。

仕事が大切なんじゃなくて。したいんじゃなくてさ。
……というのがこのnoteで言語化できてたらうれしいな。


父ががん宣告されていちばんに感じた「思ってたのと違う……!」が、まさに、生活はつづいちゃうんだな、その日を境に生活が変わるんじゃないんだ、ということ。

これをいつかnoteに言語化したいと思っていたけどやっぱりまだ難しい。でも、父の緩和ケアの知らせで改めて強く感じたから、思うままにnoteを書いてみた。

思えば、がんを知った翌日も私はとびきりいい肉のすき焼きを食べに行ったんだった。

うん、やっぱり、生活はつづく。


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