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3.上善は水の若し(じょうぜんはみずのごとし)


競い争うようなことはしない


老子は、本当の良い行いとは、水のように形なく自然と生命を潤していくものであり、競い争って勝ち取るものではないと言っています。

まずは自分が誰かを貶めるようなことのないように、自らに奥深く、情け深くなり、自らを大切にしていきます。

そしてそのような自分になって、様々な環境に水のように自然に浸透し、適応して行くのです。


私は子供も成人し、いざ自分の時間ができた時に、すっかりこれからの人生何をやって良いかわからなくなっていました。

また子育て中には、扶養家族として、また経済的自立ができないために、立場的にも人格的にも社会的弱者というような扱いを受けることが多かったと思います。

私の経験では、子育てと介護はこの世で一番大変な仕事だと思っていますが、しかし評価が低く、報われないような感覚があります。

また私の成長の時期には、まだまだ女性差別もかなり残っていましたし、ルッキズムの問題でもかなり下に見られ、悔しい思いをしたことは数えきれないほどあります。

そして社会では、地位や肩書など目に見える得だけに反応している人ばかりの世の中だと感じていました。いくら私が正しいことを訴えたとしても、聞いてくれる人はほとんどいませんでした。

そんな中で、いつしか自分を下げて、揉めないようにし喧嘩しないようにし、意見を言わずその場をやり過ごすスルー力は、肩書も何もない私の唯一の処世術となってしまいました。

しかし、そんな社会生活と子育ての中で、一体自分は何物なのか、何のために産まれたのかと、空虚感だけが残っていきました。

そんな虚しさの中で、この「老子」と出会えたおかげで、自分がしてきたこともあながち間違っていなかったんではないかと、やっと「老子」という人物に救われた気がしました。


「上善は水の若し」~水のように自然に自らを変え、浸透させていく~


武器も何も持たない自分が、社会に出て一生懸命他者を知ろうとし、またその場に適応しようとし、傷だらけとなり、すっかり空っぽで何も残っていないような気がしていましたが、頑張って生きた50年間を認めてくれ、救ってくれた言葉でした。

そしてまだまだ続くセカンドステージを「水の若し」で生きていくことをあらためて決意しました。

これで良いんだ、これで。

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