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30年弱騙され続けた?私の自己紹介

はじめまして

こんにちは、melo_da_handsomeです。メローダハンサムと読んでください。

[目鼻立ちが整った、格好良い]を表す「ハンサム」とは程遠いルックスですが、大学生の時からこのニックネームを使い続けています。当時大好きだったラッパーに肖り、この名前を使っています。一向に浸透はしませんが・・・。

それにしてもハンサム(hand+some)って、このようなスペルなんですね。

さて、今回note初投稿です。色々な方の記事を拝読していて、自分も何かを残したい、発信したいという気持ちが強くなり、文才も秀でた能力もありませんが、地道にここに残してみたいと、ついに一歩踏み出してしまいました。まだまだ要領を得ないですが、優しい目でお願いします。

初めての投稿は自己紹介が良い、と「note」のチュートリアルにあったので、それに倣い、徒然なるままに文字にしていこうと思うわけですが、記念すべき最初の投稿のタイトルはこれ。【30年弱騙され続けた?私の自己紹介】としました。

あえてドラマティックにお伝えするために、映画『the TRUMAN show』になぞらえて、お話ししようと思います。これまた意味深にしてますが。

映画『the TRUMAN show』とは?

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『MASK』での怪演で有名な名優:ジム・キャリー の1998年公開のヒューマン・コメディー『the TRUMAN show』。彼の作品はたくさん観ましたが、その中でも大好きな作品の1つでした

映画の内容の詳細をここで書くことは避けますが、あのコメディアンとして知られるジム・キャリーがコメディでありつつも、シリアスな側面を演じたことでも話題となり、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞しています。

上の画像は、この映画のフィナーレの画像で、まだ観ていない方にとってはなんのこっちゃでしょうが、この後の本文の内容もまさにネタバレをいくらか含みますので、映画を観ていない人は悪しからず。

すごく簡潔に言えば、主人公:トゥルーマンがこれまで人生を過ごしてきた家族・友人・ガールフレンド・・・そして街や人生は、全て壮大に組まれたセットであり、トゥルーマンが生まれたその日からTVのリアリティ番組として世界中に放送され続けていたという驚愕のスケールの話なんです。当然ながら本人は知る由もなかったんですが、とある出来事をきっかけにその違和感を感じるようになり、徐々に世の中(セット)の不自然さに気づき始め、ジワジワと真実に近づいていく・・・という、なんとも現実離れした設定ではありますが、それがジム・キャリーによって滑稽に、そしてシリアスに演じられています。

ここからが自己紹介な訳ですが(前置き長っ!)

なにも、この映画が好きですというような月並な趣味の話とか書いたところであまり興味ないでしょうから、そういうつもりは甚だありません。このトゥルーマンの人生と、僕の人生に少し共通点を見出したんですね。ちなみにこの話を公にするのは初めてのことで、自分の中でも整理がついたということだと思います。

この映画を初めて観たのは当時、高校〜大学あたりの時だったのではないかと。リアルタイムではなく、レンタルしてきて観たのではないかなと記憶しています。その時には、映画らしい無茶苦茶な設定を、いち・ジム・キャリーファンとして楽しんでいました。でも、冒頭に「大好きな映画でした」と過去形で書いたのはそこから10年後、自らに起こるあることをきっかけにただ「大好き」とは語れないものとなってしまったのです。

遡ること、それは約10年前の事です

私は9年前の2011年5月に妻と入籍をしました。この年はあの東日本大震災の年です。両家の顔合わせを目前に控えた矢先に起こったあの震災で、物理的に顔合わせの場を設けることは叶わず、当然ながら両家の顔合わせは延期することになりました。

当時は2011年内の挙式も考えていましたが、この震災の状況で、私たちは式を挙げることを考えることはできず、1年後ろ倒しすることに決めたわけです。ただ、入籍をしたいという気持ちは大事にするべきだと考え、新幹線が復旧した5月頭に両家の顔合わせをし、その月の末に入籍をしました。

田舎暮らしの私の両親は、父親が病気で倒れて以来、長距離の移動も難しいのですが、親の役割として息子を送り出したいと言ってくれて、この両家の顔合わせや結婚式が最後になるだろうなと言いながら、東京まで出てきてくれました。ちなみに、妻と私の両親が会うのはこれが初めてではなく、何度か地元に一緒に帰省していたので、顔合わせの前日に両親が前入りしたときも、東京観光というか、東京駅からホテルまでの時間にも付き合ったわけですが、家族水入らずでと丁度いい頃合いで帰りました。

私も同じホテルに泊まることにしていたので、別の部屋を取って、翌日の顔合わせに備えて一人そわそわしていた頃、父親から「話しておきたい事がある」と言われました。歳28の時の出来事です。

結婚を機に明かされた衝撃の真実

両親を前に家族3人でテーブルを囲んだのですが、父親の改まった感じは、私にとっては違和感しかなく、この場から早く抜け出したいと思ったのは今でも忘れません。これから起こるであろうことは、明らかに自分にとっては何かしらの衝撃を与えるものであることを、その空気から本能が感じ取っていたわけです。

その時に、人というのは防衛本能が働くということも実感しました。傷つきたくないと思うあまり、何を言われても良いように、自分で最悪のストーリーを可能な限り想定しようとするのです。今考えれば、あの枕詞だけでは、悪い話とは限らないのに。

「実は宝くじ1等+前後賞が当たったんだ」

みたいなハッピーな話かもしれないのに。なぜか、悪いストーリーだけを思い浮かべていましたね、あの時は。その時に僕が思い描いた最悪のシナリオは、両親の離婚でした。離婚率なんて今や3組に1組と言われる時代、別に珍しいこともないんですが、幸い、私の家族は幸せな一般家庭だったので、離婚は私にとって最悪のシナリオの一つだったわけです。他には、父親が患った大病の悪化とか、色々とね。

ある意味、こちらは準備万端。「いつでもどこからでも来い」と言わんばかりにファイティングポーズをとっていたわけですが、故:山本"KID"徳郁 vs 宮田和幸戦を彷彿させるように、一瞬にして思いがけず、私は秒殺されることになるわけです。

父親が取り出したのは1枚の紙

「これを見なさい」と言葉少なに机に置いたのは1枚の紙。正確にはホチキス留めされたA4サイズの書類、数枚。手にとってすぐにわかりました。

戸籍謄本です。

わかったのは「それが何か」ではあるものの、「それが何を意味するか」がわかりません。

そして2枚目を開きます。両親の戸籍情報が載っています。このときも、その意味は理解できず、両親の戸籍をこれまで見る機会はなかったなという程度のものでした。しかし、心臓の高鳴りは収まらない、むしろ早く激しくなっていくのを感じました。

そして最後のページ3枚目を開きます。当然ながら私の情報が載っているわけです。当たり前にわかりきった情報が記載されています。

意味がわからず、「ん?何?どういうこと?」と言ったことを聞き返しましたが、父親はそれ以上語ることはしません。否、できなかったという方が正しいかもしれません。見るに見かねた母が、父に代わり「最後のページをちゃんと見なさい」と強く促しました。

3枚目を開き改めてしっかりと目を通す。すると、心臓の鼓動はピークを迎えました。

ある4文字とそれが意味すること

言葉の意味も知っています。でも自分の「身分事項」の「出生」情報の下に、「養子縁組」の文字が書かれている意味がわかりません。分かるわけがありません。この28年間、目の前の両親に育てられていたのに。

この瞬間、欠けていたパズルのピースがカチャッとハマる音がしました。不思議なものでその1ピースがハマることで、今まで見えなかった景色が見えるようになることもあるのです。

例えば、私の生まれは岩手ですが、戸籍は父親の出身地:秋田でした。大学進学など、たまに戸籍謄本などの書類が必要になる時があります。そういう場合、手に入れるのに不便を感じるわけですが、その苦労を父親は厭わなかったのです。

例えば、私の親族は大変仲が良く、父方母方ともに親族・従兄弟の交流が盛んでした。父親の妹は3人おり、うち2人は東京に嫁ぎました。私にとってのおじさん、おばさん、そしてその子どもに当たる従兄弟たちとも、事あるごとに交流をしていて、父のその親族に対する思いや愛情は、家族以上だったと皮肉を言いたくなるくらいでした。そんな父親が、息子の顔合わせで東京に来ているのだから、どうやったって時間を作って叔父叔母に会いたいというはずが、今回の上京ではそれを避けるように「あいつらも忙しいだろうからな」と会う予定を組もうとしませんでした。

などなど。そして、また見える景色がバーっと変わっていくのです。親族、従兄弟みんながこの事実を知っていたと。でも、このことは私が結婚をするその日まで、絶対に私には明かさないようにしようと、強い約束が結ばれたそうです。

それはなぜか。それには私が誰から生まれて、養子縁組という道をたどることになるのかということが大事な意味を持ちます。この件はまた次の機会に。

親族の愛を前にして、怒ることもできない

私の想像した両親の最悪のシナリオなんてものを、優に超えたスケールの話であり、途轍もない衝撃度だったこともあり、私は言葉を失いました。本当の両親が誰なのか、なぜこの28年間隠してきたのか、聞きたいこと、言いたいことはたくさんあるはずなのに、思考がついてこないのです。その時は涙すら出ませんでした。明かされた真実を受け止めきれていなかったのだと思います。

でも、そこで大声を発して両親を責めるのも違いますし、そもそも責めるなんて、そんなことすら思いつかなかったというのが正直なところで、私のために親族が一丸になってこの秘密を28年間抱えてきたと思うと、「有難う」という言葉しか出てこないんですね。私よりも年下の従兄弟は1人だけだったので、みんな年上で、暗黙の了解みたいなルールも子どもながらに理解して、その真実について私に対してポロっと口を滑らせるわけでもなく、必要以上を語らずに過ごしてきたと思うと、何も知らないで、のほほ〜んと過ごしてきた私の方がどんなに楽だったか。

その時に脳裏に浮かんだのが「theTRUMANshow」

設定も世界観もストーリーも違いますが、自分だけが知らずにその人生を過ごしてきたという彼の話がその時に、自分といきなり重なったことを覚えています。あんなに好きで何度も見返したあの映画が、この瞬間に近いものになりすぎて、受け入れられなくなったのです。最近は普通に楽しんで見れてますけどね、涙が出ることもあります。

複雑なというのか、純粋なというのか、そんな「愛」に触れ続けて育ってきたのが私、melodahandsomeなわけです。

この時点で4000字を超えてしまったのでこの辺にして、続きはまた今度書きたいと思います。でも今後ここに書くことや、感じたことは、こういうナラティブな経験を経た私から語られるものであり、こうやって私が形作られたということで、第1弾の自己紹介とさせてください。

初投稿から駄文を連ねましたが、今後も不定期ながら文字を残していきたいと思います。これからも是非よろしくお願いします。

スキ、コメント励みになります、よろしくお願いします。


5/7更新:後編の投稿をしましたので、続きはこちらからご覧ください。


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