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青い春夜風 12

Before…

【十二】

「雅、調子どうだ?」
「うん、だめだね。腹痛ぇ。肉傷んでたりしねーよな?」
「んな訳ねぇだろ。自分で食うならあんま気にしねぇけど、ヒトに食わせるもんはキッチリ注意しとるわ。」

 担任の家庭訪問中にも籠っていたが、本当にがっつき過ぎだこいつは。米三合炊いて、茶碗二杯だけ食ってあとは全部食いやがった。お陰で気分はとても良いが、食い過ぎで腹を下されると何だか作り過ぎたようで申し訳無さが込み上げてくるような、そうでもないような…。
 三度目の流水音の後、トイレの扉が開くと同時に壊れたインターホンを強く押す音が聞こえ、更にノックが二回鳴った。ついさっきも聞いた、俺らには聞き慣れた一種のシグナル。
「あれ?晴野っち、忘れ物?」
 雅が鍵を回し、扉が開いた。そこに立っていたのは我らが担任では無かった。大柄で筋肉質で、短く刈り上げた坊主頭。

「親父!」
「おぉ、光佑ファザー…。お久し振りでござんす。」
「よぉ!元気してたかこの野郎!相変わらず細っこいな雅!ちゃんと飯食ってんのかぁ?」
「食ってますよ!腹壊すぐらい!」
 ひと月半振り、か。長距離の運転手をしている親父は滅多に帰らず、日本全国を転々としながらモノを届けては受け取り、また届けてはを繰り返している。効率重視で、届け先の近場で次の荷物を受け取り、家には戻らずそのまま次へとトラックを走らせている。依頼が中断したり、配送ルートの途中に家があったりということが無ければ帰って来ない。しかし、俺の物心が育った頃にはもう母とは死別し、雅の家に世話になることが多かったので、これが当たり前だと思っている。
「悪いな、大事な時期なのに中々帰ってやれなくてな。連休のケツぐらいは息子と雅、ほんで世話になってる婆様にいい思いさせてやらにゃあな!あ、下で晴野に会ったぞ。あいつ相変わらずしっかり先公やってんな。」

-以下、一階での出来事 by 親父-

 トラックを駐車場に置き、やっとこさ家で寝られると思ったら懐かしい顔がいた。
「晴野!」
「うわぁ、大佑さん!久し振りっす!今息子さんと雅くんと話してきたところです。週一で家庭訪問してますけど、いつも元気そうで安心です!」
「晴野、今年で二十六か。早いもんだな。」
「そうっすね。小学校ん時登校班が一緒で、よく縦割りの学年ペアで遊びましたよね。それ以来年も遠くて全然遊べませんでしたけど、まさか息子さんの担任できるなんて。」
「大卒一発採用だもんな、大した奴だよお前は。俺はグレちまったからな。にしても三年間ずっと馬鹿コンビ持ってくれてるのは、お前さんの計らいかい?」
「まさか。若造にそんな権力ありませんよ。強いて言うなら主任の計らい、なのかもしれません。」
「あの先生が主任で安心したよ。何度凄まじい剣幕で怒鳴られたか分からねぇからな。俺が中学出ると同時にいなくなっちまったから、晴野はあのおばさんのおっかねぇ所知らねぇだろ?」
「十分怖いと思ってましたが、聞けば聞く程全盛期がおっかないっすよ。逆鱗に触らないように二年間やってきたんですから。あ、面談の期日にはできるだけ戻ってきてくださいよ。最終的にこっち帰ってきた時にちゃんとやってくれるからまぁいいですけど、今年は多いですからね。」
「はいよ、先生様の言う通りだ。うちの馬鹿が学校行かなくなっちまったのは、俺にも原因があるからな。まぁ仕事の依頼が多くてな、金も稼がなきゃあいけねぇし。早めに教えてくれよ。」
「分かりました、先輩。今年から文書はアプリで見られるようになりましたから、光佑くんに渡したプリント見て設定して下さい。それじゃ、僕はこの辺で失礼します。久々の家族の時間、楽しんで下さいね。」
「おう、世話かけるな。いつもありがとよ。」

 みたいな会話をして、ついでに驚かせてやりたくて何か無いか聞いたら晴野訪問の合図があるって聞いたからやってみた。

-以上-

「おいコラ親父、誰が馬鹿だよ。」
「お前だ馬鹿息子。それに雅、お前もそろそろ婆様怒るぞ。酒と煙草ばっか覚えまくりやがって。」
「へーきだよ。いっつもキレてるから。」
「あの婆様も本気で怒ると雷様より怖ぇぞ、大人しくしとけ。あとお前んとこに土産がある。婆様に頭下げに行くから馬鹿コンビ、お前らも行くぞ。」

「おや大佑、久し振りじゃあないか。生きてるかい?」
「今回は東北周りだ。残雪に立ち往生喰らった時は流石に参っちまったよ。ほれ、土産。東北限定お菓子シリーズ!」
 大きな紙袋を乱雑にひっくり返すと、土産屋で売っているようなベタなお菓子が沢山飛び出してきた。親父、高速のインター大好きだからなぁ。
「ままどおるじゃないか、懐かしい。故郷を思い出すねぇ。」
 しっとりしたままどおるを皆で食べながら、それぞれの現状報告をする。
「馬鹿息子、ちったぁ勉強できるようになったか?」
「うっせぇ、この幼馴染が凄ぇからかなりできるようになってきたよ。月末にテストあるらしいから、その結果見せて驚かせてやるよ。」
「そうかい、楽しみにしてんぞ。雅、悪さだけじゃなく勉強も教えてくれて助かるぜ。酒も煙草も俺は止められた立場じゃねぇからくどくは言わねぇけど、他人様に迷惑は掛けるなよ!」
 雅が一瞬ビクン、と震えたのを俺は見逃さなかった。しかし幾分か耐性がついてきたようで、いつもの眩しい笑顔を見せてくれた。
「勉強は任せてよ、菊宮のブレインだからさ。光佑もかなり勉強できるようになってきたよ。テスト楽しみだなぁ。」
「この馬鹿タレは店の酒や煙草くすねるのは止めんかい!光佑くん店番手伝ってくれるからうちも助かっちょるよ、流石あんたのせがれだね。」

 雅家の母屋でわいわい話しているうちに、春の太陽はすっかり傾ききっていた。白光は朱光へと変わり、白い雲は空に映って紫を帯びている。全員がふっと空を見て、打ち合わせでもしていたかのように黙った。遠くから聞こえるヘリコプターの羽音が、やけにうるさく感じた。

「明日、皆で海に行くぞ!」

 静寂を破った親父のひと言に異を唱える者はいなかった。

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