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青い春夜風 13

Before…

【十三】

 親父のトラックは運転席と助手席、その後ろに席がある仕様だ。専ら親父が寝台として使っているようで、夜のうちに荷物を整理してシートベルトを発掘し乗れるようにはしたが、やはり若い中年独特の汗の匂いが染みついていた。一生懸命積み荷を運び、疲れて眠る親父を想像すると何だか喜ばしいような、切ないような不思議な感覚だった。そんなことを考えながらファブリーズを撒いて雅とばーさんが乗っても気分を悪くしないように消臭した。

 朝、早起きして炒飯を二回に分けて沢山作り、それを握っておにぎりを沢山作っておいた。昨日のスタミナ炒め程ではないが、ニンニクを軽く香らせて体力がつくように。つまみ食いした親父からは「素行は悪いけど、相変わらず料理はうめぇな、あいつに似たな」なんて言われて照れ臭かった。

 トラックに乗るなりはしゃぎだした幼馴染は、ほんの十数分で眠ってしまい、海に着くまで目覚めることは無かった。肩に首から上を預けて眠るその表情には、形容し難いぬくもりが溢れていた。俺も目を閉じたが、どうにも揺れるトラックで眠るのは苦手だ。眠ろうと試みている時に、親父とばーさんの話す声が聞こえた。

「あいつら、もう寝ちまったよ。せがれは早起きしておにぎり作ってたからな、なんだかんだ言っても楽しみだったんだろ。」
「雅も、普段より二時間も早起きして色々準備しとったよ。あたしがサンドウィッチ作るって言ったら手伝ってくれてねぇ。」
「婆様にはガキの頃からずっと世話になりっぱなしだな、光佑のこともすげぇ感謝してるよ。面倒見てくれて助かってる。だから滅多に帰って来れなくても、あいつと雅がこれからこれ以上苦労しねぇように安心して働ける。」
「あんたは子ども作るのが早すぎたんだよ。中卒ですぐ作りよって。嫁さんのことは残念だったけどねぇ、こうして頑張ってんのは空の彼方からきっと見てるよい。」
「あん時は嫁も俺も若気の至りだって反省したんだぜ。だからその分、光佑はしっかり育てたかった。あいつ身体弱くて、まだ十代の頃から無理させちまったのは俺の責任だ。」
「そりゃ神様がくれた天寿を全うしただけさ、あんたが責任感じることじゃあない。うちの娘は嫁ぎに行ったっきり帰って来ん。旦那は馬鹿モンで甲斐性無しで、雅が産まれた途端に逃げよった。似たような境遇だから、こうして仲良くすやすや寝られるくらい絆ってもんができたんと違うかい?」
「いいや、違い無ぇ。光佑もただのクソ餓鬼大将じゃなくなった。雅が色々矯正してくれてっからだよ。」
「んにゃ、雅は雅で悪知恵ばっかり働くから光ちゃんの真っ直ぐなとこに矯正されてんのさ。酒煙草を覚えちまったのはうちが商店開いてっからだろうが、他所様に万引きやらされるくらいならうちの商品かっぱらってくれた方がよっぽどマシさ。」
「本人も菊宮のブレイン、って言うくらい切れるアタマ持ってるからな。小学校じゃ下の下だった光佑が、連休明けのテストでどんだけの結果出すか楽しみだよ。」
「まぁ雅もあたしの代わりに店番やって、ご近所さんからも可愛がられてるからねぇ。学校行かなくなって最初はどうなっちまうんだって思ったけど、頭良いから勉強は心配しちょらん。他所に迷惑かけなけりゃいいわい。」
「光佑も、雅に引っ張られてってより雅を引っ張らなきゃ、って思ってんだろうな。さて、あいつら義務教育終わる頃にはどうなっかなぁ。んで…」

 この辺りでついに早起きのツケが襲い掛かってきて、俺も雅に寄り掛かる形で眠ってしまった。そしてトラックに揺られること二時間弱、太平洋の海辺に四人は到着した。五月だってのに、アホみたいな暑さだ。八月か。
「んーよく寝た、海日和だね!」
「俺と婆様はパラソル開けてのんびりしてっから、思う存分遊んで来い。ただ足着かないとこには絶対行くなよ。こん中で泳げる奴誰もいねぇし、この時期じゃまだ監視員もいねぇから助けちゃくれねえぞ。」
 雅が意地悪く笑う。
「そうだった、スポーツ万能かと思われた光佑くんは実は泳げないんだったねー!」
「うっせぇ!お前スケボー以外なんもできねぇだろ!」
 雅が海へと走り出し、すぐさま追い掛ける。太陽が浜の砂を熱々に焼き、浅瀬の海は程良い水温だった。膝くらいまで水に浸かったところで足を止め、太陽を見てみた。大空にほんのり薄い雲がふわふわ浮いていて、カンカンに照らすお天道様が海遊びの気持ちよさを倍増させてくれる気がする。
 そして俺の視界は、頭から浴びた大量の海水に奪われた。
「ぶぇっぷ!雅てめぇ!」
「そこにバケツ落ちてたんだ!光佑なんかロマンチック浸ってるから丁度いいやって思ってさ。」
「そこは普通手でぴちゃぴちゃ水の掛け合いとかだろ!ド頭からバケツ一杯の水ぶっかける奴がどこいんだよ!」
「こーこ!」
「この野郎…!」
 腰くらいまでの深さのところを走ってまたも雅を追う。雅の動きが一瞬遅れた。少し深みにはまったんだろう。それを見逃さず、肩に跳びかかって後ろに体重を掛け、二人仲良く潜った。
「げっほ、光佑も飛ばすねぇ!寝てたから元気なんだ!」
「乗ってソッコー寝た奴に言われたかねぇよ!肩にヨダレ垂らして寝てたぞお前!」
「そんなこと言いながら光佑、俺がちょびっと起きた時に雅ぃ…なんて寝言言ってたぞ!俺のことがそんなに好きかぁ!」
「み、身に覚えねぇぞ!適当言ってんじゃねぇ!」
「信じるか信じないかは、あなた次第!」
 そしてまだ持っていたバケツでまたもや思いっ切り水をぶっかけられた。こっちも手足を使って応戦するが、紙飛行機と自衛隊のヘリくらい戦力の差は明らかだった。

 あっという間に昼になり、親父は缶ビールを開けて飲んでいた。
「親父、帰りの運転どーすんだよ!?」
「よく見ろって、ノンアル。」
「あ、ほんとだ。」
 俺が作った炒飯おにぎりと、雅が手伝ったレタスや卵の入ったサンドウィッチ。雅は相変わらず絶賛してくれたが、サンドウィッチを自分が手伝ったことは言わなかった。すっげぇ美味いが、敢えて触れずに俺の中で留めておこう。
 ばーさん以外の三人でノンアルコールビールを飲みながら一服。海風の香りがとても爽やかだ。
「ほれ、散々水掛け合ったんだから今度はこれでのんびりしてこい。昼過ぎの太陽浴びながらぷかぷかしてんのもいいもんだぞ。暑くなったら潜ればいいからな。」
 浮き輪を二つ、親父が膨らませてくれた。浮かぶブイのようなもののところまで歩き、流されないように掴まりながら午前中とは打って変わって平和な海遊びを満喫した。

「なぁ雅、明後日から本当に登校できんのか?」
「男に二言は無いよ。どうせあと一年も無いまま卒業するんだ。点数は取れる自信がある。北小の連中にひと泡吹かせてやれば、蓮ちゃん達もこれからもっと楽しく学校でも過ごせるじゃん。夢のため、だよ。」
「そうかい。いいじゃぇねか、遠慮無く頼ってくれよ。出来の良い脳味噌が無ぇと立派な武器も台無しだからな。」
「立派な武器があるから脳味噌の使い甲斐があるんだよ。光佑も、もっと自信持てよ。俺、もう迷惑掛けねぇからさ。」
 こいつが、自分で迷惑って言葉を前向きに使ったのはいつ以来だろうか。何となく嬉しくなり、頼もしい親友と目が合った瞬間、その親友は器用に足を使って俺の浮き輪を転覆させた。足をついても肩から上が水面から出る。運動音痴でも身長が変わらない雅なら、落っことしても問題無い。一度潜って隠れ、勢いよくジャンプして肩口を掴み、沈めようとした時、驚いた雅とくちびるが一瞬触れた。

 いつぞやの夜を思い出し、俺は暫く水中から出られなかった。

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