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青い春夜風 09

Before…

【九】

 三年生による一年生恫喝事件からは、特に何事も無く四月が終わり、五月の二日目。全ての授業が終わり、ゴールデンウイーク前のホームルーム。この後に学年集会が開かれ、連休の過ごし方について主任が話をしてくれる。
「三年になって、あっという間に一ヶ月が終わったな。いよいよ明日から連休だ。細かい話はこの後の学年集会になるから、俺からは一つだけ。」
 すぅ、と息を吸って温めておいた台詞をクラスメートに放った。
「来週、元気な姿みせてくれりょな!」
 …嚙んだ。生徒は皆で大爆笑。
「先生、そこはビシッと決めて下さいよ!」
「晴野ちゃんらしいなぁ。」
「大丈夫だよ先生。元気にしてっから。」
 滅茶苦茶恥ずかしかったが、三年間共に過ごしてきた生徒たちである。程良くイジってくる。そこに軽蔑や反感は微塵も無い。
「どさくさに紛れて晴野ちゃんって言ったのは木ノ原だな?超恥ずかったけど、学年集会で連休の過ごし方について各先生から話がある。勿論、俺からもだ。ここで大恥かいたから、もう怖いものは無い!」
 またもや笑ってくれる教え子たち。この絶妙な距離感が、この仕事を続ける糧になる。ホームルームを終え、多目的広場へ全員で移動した。

 各担任がそれぞれ話をする。相原先生からは触法行為厳禁、沢村先生からは勉強を頑張るように、そして俺の番。
「言いたいことは先輩の先生たちに言われちゃったからな。俺からは、とにかく元気でいて欲しい。もし何か悩み等があるなら、常に職員室にいる訳では無いが、学校に遠慮無く電話してくれて構わないからな。充実した連休を過ごしてくれ!」
 ここから副担任、主任と話が続き、教え子たちは各々下校したり部活に行ったりした。教室に戻って戸締りをしていた時、今日の日直担当である平野が戻ってきた。
「先生、黒板消すの忘れてた!あとさ、今日は部活オフだから、ちょっと私の相談ってか話聞いてもらえません?」
 平野は素早く黒板を綺麗にして、ついでに黒板消しをクリーナーをかけてくれた。平野に限らず、この学年の生徒たちの最も良い所はとても気が利く優しいところだ。各々が係や当番をきっちりこなす。たまには手伝うか、と提出された自主学習ノートを当番の代わりに配ろうとしようものなら、逆に生徒に怒られてしまう。「先生、だめですよこんなことしちゃあ!手紙配るんでしょ?それ配りやすいように準備してて下さいよ、私は帰りの準備終わってるんで!」なんて具合に。

 俺も戸締りと荷物の整理を終え、平野の話を聞く姿勢が整った。
「日直ご苦労様な、助かるよ。それで、話って何だい?」
「先生、私の出身小学校どこだか覚えてます?」
「勿論。菊宮だろ?」
「流石晴野先生!うちのクラス、菊宮出身が五人いるじゃないですか。実質三人ですけど。」
「おう、そうだな。」
「雅と光佑には、会ってるんですか?」
「あぁ、四月に何度か会ったよ。ほぼ毎週家庭訪問に行っている。俺と会った時に限るが、あいつらは元気そうだよ。一応勉強もしている。」
「そっかぁ、良かった。実はね、先生。」
 少し間を置いて、平野は嬉しそうに笑って言った。
「昨日、雅と光佑、あと私と二人。三年三組の菊宮メンバー五人でファミレス行ったんです。私から見ても、あの二人が元気そうで何よりでした。ここからは、晴野先生にだけ伝えますね。」
 驚いた。雅と光佑のコンビが他の友人と遊んでいるところなど想像もできない。一年生の蓮を庇った時も意外だと思ったものだ。
 一年生の時、雅は人懐っこくてクラスメート皆と仲良くしようとしていたが、光佑はいまいち不器用であまり雅以外とは関わろうとしなかった。そして、学校に来なくなってからは、一切他の生徒と関わらなかった。二人がスマホ等の連絡手段を持っていないこともあるだろうが。
「先生、雅と光佑から聞かれたんです。北小出身の人達が何か気分悪いことやってないか、って。」
 以前、主任から聞いた話を思い出す。菊宮出身の生徒たちにとって「クソみたいな伝統」があるかもしれない。それと何か関係があるのだろうか。
「あの二人はスマホ持ってないからLINEのグループとかインスタとか何もやってないし、見られないんです。先生が二人のところに家庭訪問した時だと思うんですけど、先生が歩いてるとこ動画撮られてインスタのストーリーに上げられてたんですよ。」
「ストーリー、ってあの一日くらいで消えちゃうやつか?」
「はい。気分悪くしないで下さいね、動画にコメントみたいなの編集で付けられるんですけど、チンピラ野郎のお宅訪問!って。」
 成程。いい大人なのでそんなことされても別に腹を立てたり、逆に落ち込んだりはしない。ただ、ネットリテラシーの低さは指導ものだ。
「そんなことがあったのか、教えてくれてありがとう。ちなみに、誰がその動画をアップしていたんだ?」
 平野の様子が少し変わった。頻りに周囲を見回しながら、「もう誰もいませんよね?」と確認してきた。廊下に出て、各クラスと英語科室を見てきた。誰もいなかったことを伝えると、彼女の表情は少しほっとした様子に戻った。
「名前は、言えません。でも北小出身のメンバーです。それで、このことを雅と光佑に話しました。」
「そうか、あいつら怒ってなかったか?」
「いえ、笑ってました。やることバカだなぁなんて言いながら。あと教えてくれてありがとって。なんか、中学校最後の一年でおっきな波が来そうっていうか、何か変わりそうなんですよね。お話聞いてくれてありがとう、先生。さよーなら!」
 平野は笑いながらぱたぱたと走って帰ってしまった。綺麗になった黒板を見つめ、そのまま目線を二つの机に移す。俺の机の中から封筒を二枚出して、その机の中に入っている手紙やプリントをそれぞれにしまった。五月になったとはいえ、そこまで日は長くない。考え事をしているうちに部活終了の放送が鳴り、下校指導に行く時間になった。夕陽が差し込む鮮やかな教室を背に、連休を迎える生徒たちの帰りを送り出すために急いで職員室に戻って荷物を置き、駐輪場へ全力疾走した。

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