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群衆哀歌 27

【三十八】

 格好つけたのに、本当に間が悪い。正直すっげぇ恥ずかしかったのに、その恥ずかしさより気持ちが勝ったのに、この十秒が負けるとは。
「アツいね、お二人さん。もう出来上がってんのかい?」
「よせよ、全く。」
 春が茶化し、山本が止める。でも山本の口元が緩んだ瞬間を俺は見逃さなかった。
 頬が熱を帯びる。哀勝も一緒だろう。店の照明のお陰で多少は隠れているだろうが、バレてるだろうなぁ。
「タイミング悪かったね、喜一。ささ、揃ったし始めよっか。」

 各々の酒を掲げ、グラスを当て合う。心地良い音。心地良い空間。一切を打ち明けるのに、時間は要さなかった。
 山本には精一杯の詫びをした。笑って許してくれた。寧ろ謝られた。

「あん時な、全員出来上がってて喜一帰ったんだろ、みたいな感じになっててな。今思えば気にしてやればよかった。悪かった。」
「んなもんできるわけねぇよ、十九の酔っ払いだぜ。本当、ずっと黙っててごめんな。最初に仲良くなってくれたのに、裏切るような真似してさ。」
「仕方ねぇよ、そんだけ深い傷だったってこった。癒えて良かったよ。」

 頬に一雫、涙が落ちた。隣の山本が肩を組んで笑う。
「最近、お前本当涙脆くなったな。」
「そうなの、すぐ泣くの。素直になれた証拠だよね。」
 ずっと笑うだけで何も言わなかった春が、漸く口を開いた。
「さて、お二人さんはいつからそんな感じなんだい?」
 春が哀勝に聞いた。正面の哀勝は凛としていて、却って俺が照れ臭い。
「三交代にして私の番だった日。喜一、前置き長くてじれったくて。」
「よせよ、俺が照れる。」
「だって私から言ったんじゃん、青髪星雲がじゃんけん勝ったくせに。」
「遂に人じゃなくなったよ…。」
 春は珍しく酔っ払っていない。素面で満面の笑顔だ。
「お幸せにな。喜一も哀勝も似た者同士、上手くやれんだろ。」

 退院祝いの宴は賑やか過ぎず、それでいて湿気っぽくならず、長く続いた。夏の蒸す夜が明けるまで、積もった話を続けては笑い合った。
 これが、幸せってもんなのかな。窓から見える薄ら明るい空に呟いた。正面を見ると、哀勝が少しだけ口を開いた。言葉は無かったが、だからこそ伝わった。

ーそうだよ。

【三十九】

「続いてのニュースです。都内の動物園で、パンダの赤ちゃんが無事産まれました。動物園のスタッフは揃って大喜びです。これから名前を募集するそうです。是非、足をお運び下さい!それでは、園長にインタビューです。」

 朝の情報番組がめでたい速報を流している。動物園の園長が至極嬉しそうにインタビューを受けている。それを横目に朝食を終え、スーツに着替える。
 この仕事に就いて半年、夏を乗り越えて漸く仕事に慣れてきた。入社当初はミスを連発し、叱責を受け、歳の近い先輩に慰められ、バイトと正社員の違いを痛感したものだった。
 ノウハウが分かってきてからは、徐々に仕事を要領良くこなせるようになってきた。帰宅する時間も、残業続きだった頃より一時間から二時間早くなった。家で過ごす時間が長くなり、それはそのまま人生の充実に直結した。

 時刻は七時四十五分。そろそろ家を出る時間。仕事の準備は前日の就寝前に済ませてしまうので、朝は割とゆっくりできる。換気扇の下にある椅子に座り、テーブルにあるカップに珈琲を注ぐ。そしてオイルライターに火を灯し、二本の煙草に火を点ける。

「今日はどっちが先かな?」
「多分俺の方が遅いな、今週中に仕上げたい報告書あるんだ。少し残って終わらせてくる。」
「そっか、私は多分定時に上がれるから、買い物して帰ってくるね。今日の晩御飯当番は私かな。何がいい?」
「スタミナ回復できそうなやつ。」
「うわ、意外と大雑把。うなぎ、安いかな…。」
「いつもそんな感じだろ、お互い。」
「そうだけどね。適当に見繕っておくよ。」

 ゆっくりと珈琲を飲みながら、紫煙を吐く。吐いた煙と蛍の先端から漂う煙は換気扇に吸い込まれていく。白い渦が、二人の頭上でくるくる回る。
 写真立てに飾られた写真を互いに見る。卒業式の三日前にバーのマスターに撮ってもらったツーショット。この次の日、二人は髪を真っ黒に染めた。

「懐かしいね、青髪君時代。」
「たまにゃあ見たくなるけどな、金銀星人モード。」
「その渾名、なっつかし。半年ぶりに言われた気がする。」
「そりゃあ、この翌日からお互い黒染めだもんな。社会に出るってのは当たり前だって思ってたけど、ある意味じゃ不自由だな。」
「まぁまぁ。もう少しお金貯めて余裕出来たらさ、二人で自由になろうよ。髪の色も、何にも縛られないようにさ。その為のこと考えてる?」
「考えてるよ、いっつも。何すっかなあ。」
「二十代のうちに達成したいなぁ。金銀モード、似合わなくなっちゃう。」
「んじゃ急がなきゃな。俺より早く二十代終わっちまう。」
「確かにね、私は少し早いんだよねぇ。ま、のんびりとやってこ。」
「そうだな、俺も頑張るから。金銀メッシュ、多分八十になっても似合うと思うぞ。」
「青髪はきっと六十くらいから似合わなくなりそうだなぁ。私の片割れとして、白髪隠しに銀髪なんてどう?」
「片割れじゃなぁ。似合うまでは青で、そっからはそん時決めるよ。」

 煙草を吸い終え、珈琲を飲み干す。じゃんけんに負け、朝食で使った食器類と珈琲カップを二つ洗う。勝った方はテレビを消し、エアコンをタイマーにセットする。そして八時十五分、家を出る時間になった。
 鍵を取り出し、鍵穴に刺そうとして二つの鍵がぶつかった。顔を見合わせる。お互い照れ笑いしながら、軽いキスをする。

「「じゃんけん、しょいっ。」」


群衆哀歌【完】

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