青い春夜風 05

Before…

【五】

「晴野先生と木ノ原くん、ちょっと。」
 朝のホームルーム後すぐ、廊下で待機していた主任に呼ばれた。
「はい、おぉ林に、森田。ってその顔、どうした?」
 鼻にガーゼを貼った林と、主任の姿から昨日の出来事が頭を駆け巡った。あの二人が関わっていると直感させる。林が口を開いた。
「昨日、光佑の奴に殴られたんです。」
「光佑…?」
「はい。俺ら三人でいた時に、煙草吸いながら。雅もいました。あいつが光佑に酔っ払ってるとか言ってたんで、多分酒飲んでたんじゃないですかね。本当に中学生ですか、あいつ。」
 木ノ原が話を続けた。
「俺もあいつに腹蹴られたんですよ。朝来てすぐ言おうかと思ってたんですけど、来るのギリギリだったんで…。森田も頭突きされた挙句、石を腹にぶつけられたんですよ。あいつら学校来ないくせに。晴野先生、昨日あいつらに会ったんですよね?」
 三人の教え子はこちらを困った顔で見つめ、主任も横目でこちらを睨んでいる。ただでさえ昨日から落ち込んでいるのに、更に気分が落ちた。
「あぁ、確かに会った。光佑の家で二人と話をした。登校しないか、と説得を試みたが、反応はいまいちだった。」
 痛そうに鼻をさすりながら、林が忌々しげに呟いた。

「あんな奴ら、来られたらおっかないっすよ。」

 一限目開始を知らせるチャイムが鳴り、とりあえず大まかな事情を聞いて三人を教室へ戻した。主任と俺は、二限目まで空いている。職員室に戻り、裏方の給湯室でお茶を淹れて話を聞いた。
「実は今朝、林くんのお母さんから激怒の電話があったんです。とりあえず当事者に話を聞くと言ったんだけど、お母さんは暴力を振るった光佑くんが許せないようで、放課後彼の家に行くと言って電話を切ってしまいました。こちらから再度電話して、とりあえず一度学校に来て頂くという流れになっています。昨日、雅くんと光佑くんはどうだったの?」
 全てを話すには勇気が必要だったが、黙っていても仕方が無い。主任はこの学年を俺と共にずっと見てきている。厳しい所も多く、失態に対し何を言われるか分からないが、向き合わなければならない。
「二人は、すごく元気でした。雅のおばあさんの体調が優れないようで、雅が店番をしながら光佑に勉強を教わっていた、と。ただ…」
 一度呼吸を整え、腹を括った。

「一年の体育祭の話を出してしまったんです。本音を言わせてもらうと、私は未だに納得できていません。雅と、そして何より光佑と家庭訪問等で関りを深めれば深めるほど、何と言えばいいか分からない違和感も深まるんです。その時、雅が包丁を自分の脚に突き立てようとして、光佑が殴って止めました。その後は、光佑から帰ってもらえないか、と言われて何もできずに帰宅してしまいました。申し訳ありませんでした。」

 どんな言葉を浴びせられるか正直怖かったが、浴びせた言葉は切なさと優しさを帯びたものだった。
「そうでしたか。まぁ、話を出したのも言われるがまま帰っちゃったのも、彼らが学校に戻ってきてほしいという思いと、二人の関係を信頼してるから。そうでしょ?」
「話をしたのはその通りです。あの事件の靄々が晴れれば、あいつらも、この学年も変わる気がするんです。帰ってしまったのは、光佑が俺の目をきちんと見たからです。言われてみればそんな形にもなりますが、ただ単に私の力不足でどうすればいいか分からなかったんです。」
 思いがけない主任の態度に、思わず泣いてしまった。
「一年目の時から、晴野先生は真っ直ぐで素直で、不器用。でもそれが子どもたちにとって魅力的なんでしょう。林くんのお母さんについては、上とも話をするけど、実際に彼らに会ってもらいましょう。それでお互い気が済むのなら、それでいいわ。」
 さらに予想外の展開だった。学校で落ち着いて納得させるのかと思っていたが、まさかカチコミに誘導するとは。
「は、はい…。分かりました。よろしくお願いします。」

 帰りのホームルーム後、時間通りに林のお母さんが来た。大層ご立腹かと思っていたが、時間が経つにつれて落ち着いたようではあった。教頭と生徒指導主事・主任が対応し、当初の流れ通りに部活動を終えたら主任と相本先生に俺の三人と、林親子で光佑の家に向うことになった。

 壊れた呼び鈴と、ノック二回。扉を開いたのは意外な人物で、一年生の蓮だった。これには主任も予想外だったようだ。
「え、蓮くん!?」
「あっ、先生。こんばんは!こーちゃん、先生来たよ!」
 慌てて奥の部屋から飛び出してきた光佑からは、微かに煙草の匂いがした。たちまち林・母が怒鳴り散らした。
「煙草臭い!君、やっぱり煙草吸ってるんでしょ!」
 相本先生がまぁまぁ、と落ち着かせてくれた。
「光佑、今大丈夫か?」
「はい、蓮の宿題教えてたところなんで。蓮の家はうちのすぐ下なんですよ。昔はよく一緒に遊んでて、昨日久し振りに会ってうち来たいって言われたんです。蓮、悪ぃけど家戻っててくれ。」
「こーちゃん、教えてくれてありがとね!じゃあ先生、さようなら。」
 蓮くんとすれ違った時、林の顔色が少し変わったように見えた。

「んで、こんな大勢で俺ん家来て、何か用ですか?」
 ふてぶてしい光佑の態度に、林・母が再度怒りを隠さずに大声を上げた。
「何か用、ってあんた分かってんでしょ!うちの子の顔殴ったんですって!?どーしてくれるのよ!しかも飲酒に喫煙。不登校の不良め!」
「落ち着いて下さいお母さん、とりあえず光佑から状況を聞きましょう。」
「これが落ち着いていられますか!?うちの子の顔見れば分かることでしょう!?それを何か用、って。聞いたらあなたコイツを三年間担任してたんでしょ!?教育が甘いんじゃないですか!」
 完全にヒステリック状態になり、相本先生も俺も「申し訳ありません」と答えるより他に無かった。当の光佑は椅子に座り、足を組んで背もたれに身体を預けて更に態度を悪くする。家の中は騒然となり、光佑の態度を諫めるどころの話では無い。

「うるさい!集合住宅で何騒いでんのよ!」
 玄関に新たな登場人物が現れた。林・母よりもかなり若く見える女性が玄関に立っていた。
「あなたこそうるさいわよ!部外者は黙ってて!こっちは息子が顔殴られてるのよ!」
 その女性は、意外にも僅かに笑った。そして、誰もが予想しなかった言葉を鋭く放った。
「うちはね、そこの鼻にガーゼ貼ってる小僧に息子がカツアゲされて暴力沙汰になりかけてんのよ!息子が無事だったから黙ってたけど、さっきから話全部聞こえてたのよ。三年生三人が一年生を取り囲んで恐喝とは、あんたこそどーゆー教育してんの!?」

 再度事実を確認したところ、林は事実を全て認めた。靴を踏まれて小銭を落とし、三人でいたこともあって最初はからかってやろうと思ったそうだ。蓮くんから謝られても突っぱね、その上で蓮くんを脅したことも。林・母は立つ瀬を失い、息子ともどもいそいそと帰っていった。
「相本先生、急いで追って林さんをお送りして。光佑くん、晴野先生はもう少し時間を頂戴。」
 光佑は飲酒及び喫煙を認めて頭を下げ、主任の厳しい言葉を受け止めて詫びた。しっかりと態度を改め、姿勢を正し、俺と主任と目をしっかりと合わせて。
「確かに、やり過ぎたところはあります。その辺も含めて、すんませんでした。」

 深く説教することも無く、主任と家を後にした。そういえば、終始主任は感情的にならず、どこか落ち着いていたようだった。この人は、全てが見えていたのだろうか。
「ありがとう、ございました。」
「いいのよ、私はこの後病院行かなくちゃいけないからここで先に失礼するわ。光佑くん、どこか晴野先生に似てきたね。晴野先生も、早い所帰って休みなさい。」
 じゃあね、と言って車を走らせる主任を、お辞儀をして見送った。

Next..


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