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組織の中でリーダーだけが偉くてすごくて価値があるのか。

最近つくづく感じるのは、
人には得手不得手があるということだ。

プレイするのが得意な人が、
必ずしもそのプレイを言語化して伝える能力に長けているとは限らない。
やって見せることができても、
言って聞かせることが苦手な人だっている。

なんなら、大したことをしていなくても、
伝えるうまさが圧倒的で称賛を得る人もいる。

その違いを良さとして活かしていける人は幸せだ。


リーダーシップが取れる、
というのはたぐいまれな才能の一つだ。

おそらく、全員が全員総理大臣にはなれないし、
社長にもなれない。
人の前に立ってリーダーシップを発揮できる分野が
一つでもあるのであれば、
これほどまでにラッキーなことはない。

リーダーにならないとダメなのか?
と問われれば、それはNOだと考える。

前述したとおり、
得手不得手があり、
全員が全員思うようにはならないし、
リーダーに向いているかどうかもわからない。

全員がリーダーになることは不可能だし、
全員がリーダーシップを発揮するとなると、
それこそ組織が混乱してしまう。

しかしながら、
全員がいいフォロワーにはなれる。
これは、得手不得手ではなく、
個人の意思によって誰にでも可能だ。


指導的立場にある人間が、
リーダーシップを求めるのは、
ある程度の資質がある人に期待するからかもしれない。

しかし、リーダーだけが偉いわけではない。
なんならリーダーだけで組織がよくなり継続していくわけではない。

必ずよいフォロワーがいるはずだ。
よいフォロワーをどれだけ抱え込めるか、
というのも大事になってくるし、
それこそがリーダーとしての資質になるのかもしれない。


リーダーだけが偉くて、
リーダーだけが重宝されるわけではない。

もちろんリーダーになれる資質があるというのは、
素晴らしい才能の一つでもあるが、
良きフォロワーになるというのも素晴らしい才能の一つである。

自分が得意な分野でリーダーシップをとれるようになるとよい。
自分が苦手な分野では毛嫌いせずに、
いいフォロワーに徹したらよい。

いろんなコミュニティで、
いろんな立ち位置を経験することが、
その人の魅力をあげるだろうし、
人としての奥行きや広がりや高まりや深まりが
人を惹きつけるのだと思う。

コミュニティにどんどん入っていくこと。
コミュニティを飛び出していくこと。

リーダーもフォロワーも体感すること。
それが大事なのかと思った。


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