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どうかまだ、そのままで

今年も桜が咲いてしまった。

いつか桜並木の下で君と並んで歩いたとき、私はどうしても君と手を繋ぎたかったのだけど、だけど私はどうしても、すぐ隣にあるその手を掴むことができなかった。
散り始めている桜たちは、寂しさを仕舞い込むにはあまりにも美しくて、私はほとほと困ってしまう。
たった10cm、こんなに近くにある愛しいものに触れることができないのに、どうして私は桜なんて見上げているんだろう。
何かのせいにしたくって、生まれて初めて少しだけ、桜を恨んでみる。
桜がこんなに美しくなければ、私はこんなに悲しくなんてならなかったのに。

結局その手は繋がれることがないままに、私は君のバイクの後ろに跨って、離れていく桜並木をぼんやり見つめていた。
君はまっすぐ前を向いて、どんどん遠くへ行こうとする。
今この遠ざかっていく桜を見ているのは、私だけだ。そう思った。

翌朝、慣れたように彼の家から仕事へ向かう。
いつもは昼まで寝ているくせに、私が仕事の時は一緒に早起きをして、必ず玄関まで見送ってくれる。
そういうところが好きなんだよな、とまだ眠たい頭で確かめながら、玄関で手を振る君の姿を思い出す。
そうしてそれが、私と君の最後の記憶になった。

ふと思うのだ。
これが最後だと思って迎える最後と、
これが最後だと知らずに迎える最後は、
どちらのほうが幸せなんだろう、と。

永遠に続くものなんてないことを、私はもう知っている。
あれほど美しい桜でさえ、春が終われば散ってしまう。
けれど、季節が回っていくことに私は抗えない。
どんなに悲しくても、どんなに寂しくても、春はまたやってきてしまう。
そして今年もまた、桜が咲いてしまった。

もう独りで生きていきたいと、心から願っているのに。
桜が咲いてしまったら、それはあまりに美しいから、私はちゃんと寂しくなってしまう。
その手をどうしても握りしめて、二人で桜を見たいだなんて、弱気になってしまう。
いなくなってしまうもの、終わってしまうことを噛みしめて、私はいつまで独りでいられるだろうか。

私が私でいられるために。
桜よ、どうかこれ以上、美しくならないで。
桜よ、どうかこれ以上、芽吹いたりしないで。

春よ、
どうかまだ、そのままで。

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