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離れられないもの

私はあまり物事に執着があるほうではない、と思う。
会社はばっさり辞めてしまえるし、どちらかというと飽き性だ。
だからなのか、好きなものはたくさんあるのに、時々とても寂しくなる。

NHKの朝ドラ、「おかえりモネ」を楽しく観ている。
朝ドラの楽しみ方は人それぞれだけど、先週の私はというと、サブタイトルがずっと頭の中をぐるぐると巡っていた。
「離れられないもの」。

「離れられないもの」って、私には何かあるだろうか。
「離れられない」という言葉に私は、抗えない磁力のような強さを感じてしまう。
好きとか嫌いとかいう感情を超えて、そばに行かずにはいられないような。
そういうものがある人が、私は少し羨ましい。

もしかしたら。
私にとっての「離れられないもの」が、もしもあるとしたら。
そう考えたときに思いつくものはただ一つ、「言葉」だ。

*

言葉への磁力の源泉を辿ると、思い出す一冊の本がある。
東野圭吾の「時生」という小説だ。
小学生の時、私が生まれて初めて読んだ長編小説。
そして、私が生まれて初めて涙を流した本でもある。
この本を通して、私は生まれて初めて、言葉に心を揺り動かされるという経験をした。

「時生」は、生まれつき不治の病を抱える少年トキオが、死の間際、過去にタイムリープし若い頃の父親・拓実に出会うという物語。
若くして死を目前にしたトキオは、最後の時間を過去の父と共に過ごす。
まだ未来の妻とも出会う前、どうしようもない毎日を過ごす拓実が、トキオと出会って自分や自分の人生が変わっていくお話だ。

忘れられない一文がある。

「明日だけが未来じゃないんだ」

当時小学生だった私は、この言葉の意味を理解はしていなかったと思う。
もう明日の来ない時生が、タイムリープした過去の父に向かって言う、この言葉の意味が。
今もそうだ。健康で、明日以外に目を向ける必要がない今の私には、この言葉の本当の意味を理解することなんてできていない。

それでも、小学生だった私はこの言葉を読んで泣いた。
わけがわからなかったけど、どうしてだか涙が出た。
明日だけが未来だと信じていた、明日しか知らなかった小学生の私にとって、この言葉は衝撃的だった。
そして、それから20年近く経った今でも、ことあるごとにこの言葉を思い出しては、その意味を考え続けている。

生きること。死ぬこと。言葉が持つ力。
あの時たまたま出会ったこの一文に、得体の知れないものすごいパワーで襲われて、気付いた時にはそのまま私の価値観になってしまった。

当時の私は、夏休みの宿題だった読書感想文のテーマにこの本を選んだ。
どんなことを書いたのか、正直なところあまり覚えてはいない。
ただ一つ、記憶に残っていることがある。
ある日の放課後、国語の先生に職員室に呼び出され、言われた一言だ。

「課題図書じゃないからコンクールには出せないんだけど、でもね。
 あなたが書いたこの読書感想文は、素晴らしいです」

驚いた。
私はコンクールを狙ってはいなかったし、先生に褒められたいとも思っていなかった。
文章を書くのは好きでも嫌いでもなかったし、思い入れもなかった。
ただ心が動かされる小説に出会って、それを感想文に書いた、それだけ。
それだけなのに。

先生は、自分の感想を、ただ私に伝えてくれた。
コンクールに出すからとか、他のクラスで紹介するからとか、そういう用事、事務連絡は何もない。
それなのに、わざわざ職員室に呼び出してまで、伝えてくれた。
そのことにとにかく驚いた。
たぶん、親以外の大人がそんなことをしてくれたのは、人生で初めてだったのだ。
それが私は嬉しかった。今でも忘れられないほどに。

私が「言葉」から離れられなくなったのは、たぶんそれからだ。
好きか嫌いか、と聞かれれば、正直なところ分からない。
そういう仕事に就くことも、本当にこれでいいのかと未だに悩む始末だ。

それでも。
私はまた書いてしまうし、読んでしまうし、自分の道を悩んでしまう。
本当にこれでいいのか。これが正しいのか。私は、間違っていないだろうか。
そんなふうに繰り返し考えては、答えの出ない毎日を送っている。
それでも、どんなに理屈を並べても、離れられないものが私にもあると信じたい。

膨大な記憶の中にあるたった一文に、今もなお魂が揺さぶられてしまうのなら。離れたくても、離れられないのなら。
難しいことを考えずに、ただ離れずにいても、いいのかもしれない。



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