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ゴッホと風と。  #1

薄暗い修道院の、
もっとせせこましい部屋の、
そのまた陰気な窓から外を眺める。

けたたましく吹く風に
雲が、かき混ぜられながら左から右に流される。
糸杉が、鳴き声をあげながら逆立つ。
オリーブの木が、葉を揺らしながら波打つ。

「あっ。」

そのとき私は初めて
奇才フィンセント・ファン・ゴッホの
網膜に触れた気がした。


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2023年8月の終わる頃
私はベルギーのブリュッセル南駅から6時間かけて移動し、南フランス・ニーム駅に降り立った。

長距離移動も相まって、さぞかし心地の良いとこなのだろうと南フランスへの期待を高めていたが、ニーム駅に着いた瞬間の感想は
「砂漠かよ。」ただそれだけ。

その日はヨーロッパでも例を見ない猛暑日でニームのお隣、アビニョンという街では40度を記録したとか。とにかく、暑かった。

夏のニーム駅は綺麗に整備されているプラットホームとは打って変わって
外の景色は枯れた背の低い草と
黄色い土のまるで砂漠のような景色が広がる。

視覚が拾うあまりにも黄色い情報と、
皮膚を焼き尽くそうとする太陽光は
私の擦り減った体力をより消耗させた。

重いスーツケースを引きずり、高速鉄道ホームから屋根のない在来線ホームへ移動する。

「え、こんな重かったっけ。」 

思わず日本語がこぼれた。

私の言語脳と、筋肉と、理性を同時に麻痺させるには十分な夏の暑さとスーツケースの重さだったのだろう。

硬水嫌いな私が飲むまいと決めていたエビアン(フランスのミネラルウォーター)を売店で購入し、胃に流し込んだ。
内臓が震え喜んでいた。
五臓六腑に染み渡るとはこういうことなのだろうか。

在来線ホームに移動し、20分後に来る予定の電車を待つ。 

屋根もない、風もない。 

ジリジリとした光が目に刺さる。

ホームには金色の髪をしたバックパックを背負う青年と、大荷物を持った年とった女性と私の3人だけ。

この2人も私のような旅人なのだろうか

2人はどこへゆくのだろうか

そして私はこの2人からどう見られているのだろうか

などと妄想しながら短くて長い20分を過ごした。

フランスの列車にしては礼儀正しく定刻通りに到着し、私は重いスーツケースを引っ張り上げ、キンキンに冷えた電車に乗り込む。

冷気が汗ばんだ肌を不気味に撫でる。

胃の中のエビアンが、急速冷凍されていく。

だから嫌いなんだ、と心の中で
エビアンに対する無根拠ヘイトスピーチをしていたら、床に座っていたゴールデンレトリバーと目があった。

フランスをはじめヨーロッパでは犬を電車に乗せることはそう珍しくない。

柔らかい目は私をじっと見つめ、大きく瞬きを1回、2回。

キュッ。

心を読まれている気持ちになった。さては、エビアンの回し手か?

とりあえずその犬と、ボーダー柄トップスの似合う飼い主に会釈。

宇宙のように深くて黒い目は私の心を透かす。心の中で、胃の中のエビアンに
もう一度語りかける。 
ー ごめんて、さっきのは嘘やて。

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そうそう、私がなぜ南フランスにいるのか言い忘れていた。
2023年は大学生のクソ長い夏休みの1ヶ月間をかけて、ヨーロッパのアート巡りをしていた。
最初はベルギーを訪れた。知人のおかげでベルギー国内の美術館、ギャラリー、アーティストのアトリエを訪問し、オランダのアムステルダムでも飽きずに美術鑑賞。
その後、またベルギーに戻りそこから南フランスへ移動した。

なぜヨーロッパに行くことになったかについてここで述べるほどではないのだが、
とにかく去年の私は何かに駆られるようにして、大陸の西の端に来ていたのだ。

そして南フランスのニーム駅から乗ったこの冷えた電車は海沿いの街「アルル」行きである。


アルルと聞き何を思い浮かべるだろうか。


アルルと聞き、何も思い浮かべないひとは普通の部類だ。
この土地は同じ南フランスとはいえニースほど日本人の中で知名度が高いわけではないのだから。

アルルと聞き、ラベンダー畑を思い浮かべるひとは小洒落ている部類だ。
きっとロキシタンかなんかの香りを商売にしているブランドから連想したのだろう。アルルの位置するプロヴァンス地方はラベンダーの名産地なのだから。

アルルと聞き、古代ローマ遺跡を思い浮かべるひとは賢い部類だ。
アルルにある古代ローマ時代の円形闘技場をはじめ市内の他遺跡はユネスコの世界遺産なのだから。

そして、アルルと聞き、ゴッホを思い浮かべるひとはきっと私と同じ部類だ。
アルルはゴッホを語る上で欠かせない街であり、時代であり、
彼にとって特別そのものなのだから。

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冷蔵庫の中にいるような気分を存分に味わい、電車に揺れること数分。

車窓から家々が見えてきた。

南フランスの住居の特徴は、塗り壁と瓦屋根。
街によっては白い壁がマジョリティのところもあったが、アルルに近づくにつれ
砂色の漆喰壁と、明るいオレンジ色の屋根が印象的な建物が増えてきた。

砂色の壁はニーム駅の砂漠を連想させたが、そんなことはもうどうだってよい。

電子音ともに、やる気を感じないアナウンスが車内に響く。

フランス語の分からない私でも分かる。

アルルだ。私は今、アルルについたのだ。

灼熱の外と、凍るような車内の温度差に疲弊したはずの体から感情だけが飛び出していた。
気分が気温より高揚していた。

足も軽い、スーツケースも軽い。

ホームに降り立った。深く息を吸った。 

鼻腔を抜けて脳天に届く異国の匂いに、どこか懐かしさを感じた。

2023年8月末
ゴッホを愛する私は、ゴッホが愛した街、アルルの土を強く踏みしめた。











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