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心を重ねる

こんにちは、hanaです。

今日は仕事の中で、ふと人間の視野・視点について考えることがありました。
それは上司と部下、あるいは先生と生徒のような関係性で見られるものです。
少しずつですが、この心を重ねるということについて記していければと思います。

「目線に立つ」と何が違うのか。

心を重ねる。相手の気持ちを考えるということ。
あるいは、相手の立場に立って考えるということ。

あえてこの柔らかい言い方を選んだのにも理由があります。
現代社会はなんだか殺伐とした言葉にあふれているように思えるからです。

ビジネスの世界なら、「目線を合わせる」といえば充分だろうし、至極意識が高そうに聞こえますよね。
でも、私はそれだけではこの心を重ねるということは表現しきれないと思います。

人の考え方は多種多様です。
そして、個性も十人十色。
さらには、それぞれが立っている立場も異なります。

よく、視座を高く持て。と言われませんか。
山は、登れば登るほど高さだけでなく、見える世界が変わります。
そして高いところから俯瞰すれば、それまで見えていなかったところも見えるようになります。
その視野の広さはたしかに必要なものです。

そして、その視野が様々な人を理解するために「目線に立つ」必要がある。ということです。

私の考える、心を重ねるという言葉には、ある程度の慈しみや理解の心が込められているように思います。
ある意味、忖度や慮るを超えた感情です。

思いやりでは足りない。

思いやりの心。
これも大切なことばです。

私が高校時代、部活の顧問の先生に常に言われたのは「思いやりの心を持て」ということでした。
つまり、他者のことも考え、支え合い、理解してほしい。ということだったのだろうと思いますが、当時の私達が完全に理解できたのかといえばわかりません。

更に言うのならば、思いやりという言葉は、本来「思い遣り」と書きますが、実際に私が思いを遣わせられていたのかといえば全くそう思えません。

若かった私は、自分を生きることで精一杯で、ただ言われたことをこなしているに過ぎなかったからです。
私は「思いやり」ということをしよう。
という程度の意識にとどまっていたのではないでしょうか。
もちろん今でも同じことが言えます。

たとえば、新卒研修でこんなことがありました。

「上司に見えないところに手間をかけさせないようここまで配慮する、そういった相手への意識は持っていますか?」

講師の言葉に、私はその時は納得しました。
確かに、私は相手の立場を、相手のことを意識しなければならない、と思いました。
しかし、結局のところ、私が仕事をする際に、上司や同僚の手数を増やさないよう行動していることとはすなわち、「相手の立場に立って、或いは目線に立って行動する」を実行しているに過ぎないのです。

要するに、一つ一つが自発的なものに昇華させられていないのです。

だから私は、「思いやりの意識を持ちましょう」と言われているうちは、人への本当の意味での理解の次元なんて達し得ないと思うのです。

やさしさのある世界を。

心を重ねる。
その人の心と、自分のこころを重ねる。

そうすれば、その人の痛みや悩んでいることといった感情面にまで触れられる範囲が広がるでしょう。

学生生活では直接的に感情をギラギラとぶつけ合い、揉まれることで信用関係を築いてきました。
しかし、このコロナのせいなのか、それとも日本の社会の本質なのか、どうも違和感ばかりの世の中のように感じます。

相手への配慮が足りない。というだけではないのです。
誹謗中傷問題もそうですが、相手に心があることをまったく持って理解できていないのではないでしょうか。

視座の高さを勝ち得ることができなくても、心と心を重ねようと思えば、目の前の人との理解はできるようになるのではないでしょうか。

それは、対面であっても、画面越しであっても、変わらないことだと思うのです。

ただ、相手の耳障りのいいことを言えば関係が良くなるということだけでなく、本当に心を重ね、いたわり、温めることはできないのでしょうか。

かんたんに世の中を批判しても、その対する人・社会・政府、どんな次元であっても、その一人ひとりが生きているということを本当の意味で理解できている人がどれだけいるのでしょうか。

どうか、少しでもやさしい世界を。
お互いに大切に思える世の中になれることをそっと祈るのです。

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