雨好人はロマン派が多い~新海誠、松任谷由実、松本隆、黒澤明、ポンジュノ、タルコフスキー、ウディアレンなど雨にこだわるトップクリエイターたち~


#雨の日をたのしく


まず言っておきたいのは、僕には「雨の日は楽しくない」という概念が一切ない。みんなが雨を嫌う中、僕はガキの頃からずっと雨を楽しんできた。

そもそもみんな雨が嫌いなのかどうかという疑問があるが、多くの人がどう思っているのか調べてみたところ、日本では「雨の日が好きな人は10%、嫌いな人は73%」という統計データがでてきた。残念である。

幼少期にさかのぼってみると、唯一好きな童謡が「あめふり」だった。「友達百人できるかな」も「人間ていいな」もしょうもない歌だと思っていたが、「あめふれ」は楽しい歌だなと思っていた。

正直に言うと、雨が降って友人と遊べなくなるとなんだかワクワクした。(くるりの「ばらのはな」の「雨ふりで君に会えなくて少しホッとする」主人公の心情ににているような気がする)

体育の授業が中になるのがうれしかった。トツトツと窓をたたく雨音だけが部屋中に染み渡る図書室の空気感が好きだった。

雷が鳴るのも楽しかったし、みんなが雨って厭だねえという空気になるのもなんだか自分だけが雨を楽しんでいる独り勝ち状態みたいに思えてちょっとした優越感を感じていた。大振りは映画みたいでなんだかドラマちっくだったし、靄のかかった小雨は幻想的で美しかった。

なにより「雨」が降ることによってみんなの本来の予定が崩れること、みんなの日常生活に支障をきたすこと、それによってみんなが少し大人しくなること、それらが僕にとっては一種の楽しみだったのかもしれない。天邪鬼で夢見がちな性格だからか、雨は僕をほんの少し非日常に誘ってくれる魅力的な存在であった。

(雨もそうだけれども、みんなが嫌がっているものって楽しんだもの勝ちだと個人的に思っていて、みんなが嫌って言ってるからなんとなく嫌なだけで、実際向き合ってみたら案外好きになってしまったりするものだ。好きか嫌いかっていうのは自分の意志のつもりでも実は周りに左右されていることが多くて、そういう窮屈な世界から逸脱して自分の好き嫌いを自分でしっかりと把握して自分で自分をマインドコントロールすることこそが「自分」の人生を楽しむコツである、これは心の師匠の「みうらじゅん」から学んだ人生の楽しみ方のひとつだ。)

雨には思い入れが深くつい話の枕が長くなってしまったが、ここで僕が「こいつら、雨楽しんでんなあ・・・」と深くため息を漏らしてしまうような、「トップクラスの雨好人」たちついて紹介する。

音楽や映画、文学などには雨はつきもので、あらゆる「クリエイター」の人たちにとってもやはり「雨」というのはやたらとロマンティックなものに映っているらしい。いやこれは逆説で「雨好きにはロマンティックなクリエイターが多い」のではないだろうか。雨は「ロマン派」の表現方法の最たるもので、その表現方法というのも様々である。各クリエイターたちの「雨」表現を確認することでその作家性が垣間見えるのではないだろうかということでいろいろと紹介していきたい。

1、新海誠

「雨」というワードから一番に思い浮かべる人も多いのではないだろうか?現代の日本を代表する「ロマン派」アニメ監督の深海誠。もう彼と雨の関係性については語られつくしていると思うので割愛させていただくが、アニメーションで「雨」を最も美しく表現することに成功したアニメ監督である。まあ、彼を「ロマン派」と断言しても差し支えないだろう。セリフの言い回し、風景への異様なこだわり、「恋愛、宇宙、青春」というテーマ、どれをとってもロマンティックである。彼にとっての雨というのは、「キミ」と「ボク」の二人だけの空間を形成する存在だと思う。「言の葉の庭」や「天気の子」が顕著なように、雨によって君と僕だけの世界を確立させるのだ。彼はそうやって「新海版セカイ系」の世界観を創造しているように思う。

2、松任谷由実

ユーミンには雨にまつわる歌が多い。

例に挙げると、「冷たい雨、天気雨、Called Game、霧雨で見えない、雨の街を、雨のステイション、たぶんあなたはむかえに来ない、12月の雨、ずっとそばに、雨に願いを、雨に消えたジョガー、TUXEDO RAIN、深海の街,etc...」

多いの多いの。完全に水属性のアーティストである。処女作から「雨の街を」という珠玉の雨ソングを世に出している訳だが、雨の詩的表現が格別である。「夜明けの雨はミルク色」「六月は蒼く煙って なにもかもにじませている」などなど。

ユーミンにとって雨とは何だろう?雨と失恋の癒着関係については彼女を例に出すまでもないのだが、どうやらそれ以上の思い入れがあるように感じる。「雨の街を」では特定できる異性は存在せず、誰もいない夜明けの煙った街に妖精さんが出てきたりする。それは完全に一人の世界だ。雨は彼女の感性を刺激し、無垢な少女へと戻す。はたまた恋をしていた日の気持ちへと戻す。青春時代へと。思えば「涙」という漢字は「水に戻る」と書くわけだが、「本来の自分に戻る」だとか「感情が水という形に還る」みたいなニュアンスがあるんじゃないのかなあ。そんでもって、雨も蒸気が水に還る現象である。この相互関係、「イノセンス」と「還る」ということがユーミンの詩からは感じられるような。「あの日にかえりたい」なんて歌もあるくらいだし。(大こじつけ)

3、松本隆

雨を代表する女性アーティストがユーミンなら、雨を代表する男性作詞家は松本隆だろう。風っていう印象が強いかもしれないが、はっぴいえんど時代から大瀧詠一、キンキキッズに至るまで厖大な雨ソングが存在する。それだけで論文が書けそうだ。そのバリエーションも豊富で、「12月の雨の日」なんて雨上がりの街の人波を眺めているだけの歌まである。私情の一切が排除されているのだ。そんなシチュエーションをさらっと違和感なく歌にできるのは彼くらいなんじゃないだろうか。特に大瀧詠一に関しては数々の雨ソングのもつわけだが、彼の「long vacation」やナイアガラシリーズにみられるあの瑞々しく流麗で涼やかなイメージの何割かは彼がその役割を担っているのではないだろうか?大瀧氏の煌びやかなウォール・オブ・サウンドには松本氏の水のように澄んだ歌詞がぴったりはまっていて、絶大な効果を発揮している。

余談になるが、はっぴいえんどは雨好きが多い。かつて大瀧詠一と細野晴臣はラジオで「台風が好きでね、そういう日はあえて外に出ちゃうのよ。」「わかるわあ。」「この前うちに雷が落ちたよ」「いいなあ、うらやましい」といった感じのことを話していた。雨というより異常気象が好きなのか?(笑)雲の上の人たちの、雲の下での話である。

とにかく松本隆は、水と風を司る神であることは間違いない。

4、黒澤明

黒澤映画に雨はつきものだ。まるで雨がひとりの登場人物のように強烈な印象を残す。「羅生門」の重くドス黒く容赦なく降り注ぐ豪雨は、墨汁を混ぜた水を大量に用意し、ホースを使ってこれを雨として降らせた。「七人の侍」でも終盤の合戦シーンで、争いあう人々の頭上をバッチバチに叩き続けるものは無情の雨。ほかにも「野良犬」、「八月の狂詩曲」、「酔いどれ天使」など、この異常なほどの豪雨の用い方が映画界に革新をもたらした。黒澤の雨は場面の転換、起承転結の転から結の劇的展開にかけて用いられることが多いのだが、これは「マトリックス」や「ブレードランナー」、今年大ヒットした「パラサイト」なんかでも未だに用いられている影響力の絶大な演出法である。今までとはロマンのベクトルは違ってくるが、物語終盤にて最大の困難とともに豪雨が降り注ぎ主人公たちの前に立ちはだかるなんて劇的展開はロマンそのものではないか。黒澤さんが雨好きかどうかはわからないけれども、「雨」とは切っても切れない関係であることは確かだ。

5ポンジュノ

上述した通り、「パラサイト」でも雨は印象的かつ象徴的な存在であった。それは黒澤明の「雨」の使い方を彷彿させるものであった。そもそもポンジュノの映画でも「雨」は重要な役割を果たすことが多い。出世作「殺人の追憶」では雨の日に殺人が起こる。「雨」はかげの主役である。他にも「母なる証明」「グエムル」「海にかかる霧」等、話の随所に雨が登場する。そこには彼のシネフィルとしての黒澤リスペクトも感じるが、やはり彼の作家性に「雨」が必要不可欠な存在であることがうかがえる。

6、タルコフスキー

ロシアの巨匠アンドレイ・タルコフスキーにとって水は神そのものだった。水への畏怖、敬意、崇拝といったものを彼の映画の随所随所に感じられる。もはや好きとか愛しているとかいう次元のものではない。そんな「映像の詩人」と呼ばれたロマン派の極みである彼の強烈な映像美のその多くに「雨」が登場する。

なぜか建物の中にも雨が降り、床は水浸し足元びっちょびちょになってるのにも関わらず登場人物たちはなんとも思わない。土砂降りでも絶対に傘はささない。彼の世界の水は「夢の世界」や「過去の世界」へと繋がっていて、主人公たちは水を通して現実からそれらの世界へと行き交う。やがてそれらと自分は溶解していって、全て同質のものとなっていく。そうやって美しい、陶酔するような映像世界が広がる。僕は毎度心地よくて眠ってしまう。心地よくて何度も見る。個人的には、「眠ってしまうほどいい映画」というものを初めて教えてくれた監督である。

7、ウディアレン

ウディアレンにはあまり雨要素を感じないかもしれないが、新作のタイトルが「レイニーデインニューヨーク」であることと、ミッドナイトインパリでパリに憧れるアメリカ人の主人公が彼女に傘を差せと言われても「パリは雨のときが一番美しい」といって傘を差さない様子など、パリの雨模様を美しくロマンチックかつコメディチックに描いていたことが印象的で、僕の中で本作はまぎれもない「雨礼賛映画」だったのでもしかしたらと思って調べてみた。すると彼は雨についてちょくちょく語っていた。

「雨は良い。人生の歩道から、思い出を洗い流す。思い出とは、持っているものなのだろうか、失ったものなのだろうか」

「大雨が降り出し、座り込んで雨やどりをしているっていう「羅生門」の出だしは素晴らしいね。「甘い生活」の雨が降り出す場面も良い。みんなが奇跡を目撃しようとしているとき、急に雨が降り始める。とても詩的だね。」

シネフィルで雨好きでした。新作でも美しい雨描写を期待しています。

まとめ

雨の日には雨の日のモチベーションを自分なりに作ればいいと思う。誰とも会わずにさ、「雨の日のプレイリスト」なんか作って、雨の日に見たい映画なんかもストックして、ヘミングウェイやら村上春樹なんか読んじゃって、コーヒーとか紅茶なんかも飲んで、甘いもん食って、飽きたらゲームとインターネットを延々とやって、ふと誰かのこと思ったり思わなかったり、そうやって副交感神経が刺激されまくるような日常をだらしなく過ごせばいい。

雨の日には雨の日にしか聞けない音楽があって、雨の日に見たほうがしっくりくる映画があって、雨の日は洒落た文学がすっと入ってきて、雨はだらしない生活を許してくれる。誰かに会えないというのは誰かを恋しいと思える機会でもあって、それはそれで素敵なことだ。誰かと二人で雨の空間にいることもそうだが、誰とも会わないということもある種のロマンを孕んでいるのだ。僕にとってそれはコロナ状況下でも同じことだった。一人でいること、繋がらないことももそれはそれでロマンだ。素敵だ。だから今日も僕は誰かとつながることをあえて拒否する、そして誰かを勝手に想い続ける。そんな天邪鬼で夢見がちな性格は治りそうにない。

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