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#読書感想文 ラース・スヴェンセン(2016)『働くことの哲学』

ノルウェーの哲学者であるラース・スヴェンセンの『働くことの哲学』を読んだ。2016年に紀伊國屋書店から出版された本である。

失業するにあたり、「働く」という行為を振り返っておきたかった。

わたしは、基本的に働くことが好きだ。働き者でもある。しかし、最近、そんな自分を疑わしく思ったりする。なぜなら、今、わたしは、暇さえあれば、節約、ポイ活、株式投資、定期預金、不労所得などを調べているからである。

もしかしたら、働きたくないのかも?

よく「10億円を持っていても(生活の心配がなくなっても)やりたいことが、あなたが本当にやりたいことですよ」みたいな話がある。

(10億円持っていたら、金が金を生む、資産運用とやらができたり、投資家にもなれるのだろう。ちょっとわくわくするのだが、あれ? これ本当にやりたいことではないじゃん)

もちろん、お金の心配がなければ、会社員をやろうとは思わないかもしれない。ただ、何もしない、というのも難しいだろう。

10億円持っていたら、読書をして、映画を観て、文章を書き、家事をやって、という暮らしがしたい。誰とも会わなくていい。それでいいや、というぐらいには傷ついている。(失業の痛み)

筆者は哲学者で、大学の先生である。いわゆる、インテリなので、浮世離れしているかと思いきや、意外と地に足がついている。

ドイツの哲学者のマルクス・ガブリエルなんて、言うことがいちいち洒落ていて、難解なので、身近には感じられない。あの人の天才オーラ、半端ないよね。

一方、スヴェンセンさんは、博士論文を書くまで、ずっと工場の機械の清掃のアルバイトをしていたという。機械の部品を一度分解し、洗浄し、もう一度組み立てるため、習熟度が必要とされる仕事で、作業のスキルが段階的に上がっていく仕組みであったという。この本の中で、このアルバイトの描写は、きらきら輝いており、著者も生活のために嫌々やっていたというより、それなりに仕事を楽しんでいた様子が伝わってきて、そこが一番よかった。

この本は、人間にとって労働とは何か、ということを様々な書物からの引用と著者の考察によって解き明かしていく。ビジネス書やプロテスタンティズム、マルクス、ハンナ・アーレントなども出てくるので、ブックガイドとして読むことも可能だろう。結論ではなく、こういう考え方があって、それはこのように解釈できますね、と整理してくれていて、非常に読みやすかった。

そして、自分が「ゼロドラッグ」であることを知り、驚いた。それにちゃんとした名づけがされているとは思いもよらなかった。

「ゼロドラッグ(仕事への支障のない)」従業員とは、若くて未婚で子どもがおらず、年老いた両親を世話する義務もなく、会社に必要とされるときには長時間労働がいくらでも可能な人間だ。

『働くことの哲学』p.229

まあ、わたしは若くはないけれど、上記にほとんど当てはまる。

だが、本物の「ゼロドラッグ(仕事への支障のない)」従業員のばあいは、それが一日一五時間にもなるだろう。仕事と趣味、仕事とレジャーの区別がなくなれば、生活のいっさいが仕事を中心に回るようになるだろう。仕事が、もっともくつろいでいられる感じる第二の自宅ないし居場所となるのだ。私たちが生きてゆくうえで必要とする意味のほとんどは、仕事からもたらされるものとなる。そんな仕事に巡りあえたなどと本当に思い込んでしまったら、日々を重ねるごとにどんどん人生で本当に重要なことが見失われてゆくだろう。意味の源泉の特定のひとつがそれ以外のすべてを圧するようになるときはつねに危険がつきものであり、人生における自分の値打ちや目的について明確な意識を確立するうえで仕事がもつ価値をきちんと認識できれば、仕事がそのまま人生の本質化としてしまうような極論に行きつくのは遠いさきの話となろう。(中略)私ならむしろ、人生にとって仕事以上のものはなにもないと思い込んでいる人間は不幸だと言いたい。

『働くことの哲学』p.231-232

これ、わいのことやないか。読んでいて愕然とした。仕事中毒そのものであった。ゆえに、わたしは失業するのだが、すでに限界寸前だったのかもしれない。

ニーチェは『善悪の彼岸』で「勤勉な種族にとっては怠惰に目をつむることは並外れて難しい」と言っていたそうな。これもわかるわー。

参考文献リストも、索引リストもあるので、労働について考えたい人にはおすすめである。

もう、ゼロドラッグ社員はやめる。わたしは、遊んで暮らすよ。

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