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『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の読書感想文

1998年に新潮文庫から出版された村上春樹、河合隼雄に会いにいくを読んだ。単行本は1996年に岩波書店から出されている。

わたしはフロイトやユングといった精神分析医をオカルトめいた自説を唱えている人たちだと敬遠していた。理由は二つある。フロイトのエディプス・コンプレックスやリビドーの考え方に対して、まったく納得できなかった。おじさんの男根主義にはうんざりしていた。もう一つは、わたしの物心ついたときから、脳科学が一大ムーブメントになっていたせいだと思う。脳科学は脳波を調べるから、言語に頼る精神分析より科学的だと思っていた。

しかし、わたし自身が年を取り、脳内の血流や分泌される化学物質だけで人間の感情が説明できるものなのか、という疑問を持ち始めた。血の巡りが大事などということは、それこそ漢方や東洋医学では何千年も前から言われていたことだ。脳波を調べることが本当に科学的なのかどうかわからなくなってきた。脳の血流を調べて万事解決したという鬱病患者なんて聞いたことがない。みな、苦しみながら、自分自身と対話するなかで、少しずつ治癒が進んでいく。脳科学は現象の解明をしつつ、それを解釈し、応用させている段階なのだから、万能にはほど遠い。だったら、認知行動療法などを学んだほうが、実生活に生かせるのではないかと思い始めた。

それで、河合隼雄先生の本を読み始めた。ちなみに2007年にお亡くなりになっている。とはいえ、ユングといえば河合隼雄という知識ぐらいはあったので、ちょこちょこ読んでいる。

そして、この本は村上春樹さんとの対談本なのだが、河合先生が年上で精神科医ということもあるのだろうけれど、村上さんがかなりリラックスして話しているのが印象的だった。

韓国の若者が親世代とは違う生き方をしようとしている、という話(p.66-67)や夫婦はお互いの欠落を埋めあう関係だと思っていたがむしろ欠落を暴きたてる過程の連続だった(p.98)と率直に述べていて、新鮮だった。この本を読んでから小説を読んでいたら、また違った感想を持ったかもしれない。

この本でも言及されている『心臓を貫かれて』も読みたくなった。

そして、26年前、つまり四半世紀前に出された本だからなのか、ちょっとした余裕もある。今の日本人や世界の人々の心持ちを、格差や貧困を抜きにして語ることはなかなか難しい。それを無視したら、浮世離れしてしまう。

1995年は阪神淡路大震災があり、オウム真理教による地下鉄サリン事件があった年でもある。バブルが崩壊し、潮目が大きく変化した年の翌年に行われた対談、その空気感がわかるという点でも貴重な資料だと思われる。

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