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村上春樹(1982)『風の歌を聴け』の読書感想文

村上春樹の『風の歌を聴け』(1982年に講談社文庫から出されたもの)を再読した。言わずと知れた村上春樹のデビュー作でもある。

何度か読んだことがあるはずなのだが、内容はあまり覚えていなかった。ただ、村上春樹がデビュー作で自分の文体を確立させていたことに驚く。これはすごいことだ。凡百の作家たちは、独自の文体を持たぬまま、書き続けることになる。読めば、村上春樹だとすぐにわかるし、この文体の模倣犯が、今も昔も大量生産されているのだと思うと、それはそれで恐ろしい。

今回、感じたことは、21歳の主人公にしては、ふるまいや行動が、年寄りくさいし、あまりにブルジョア的であったことだ。21歳の生物学専攻の大学生がバーに入り浸り、ビールをたらふく飲み、頻繁に飲酒運転をして、適当に若い女と寝ている。友達の「鼠」は、「僕」の分身、片割れのようにも読める。

「こんな21歳いねえよ」なんていうツッコミは、受け付けていないと思う。そもそも、小説自体、架空の世界であることが前提であり、その架空の21歳に文句を言っても仕方がない。徹底的に生活感が削ぎ落され、無国籍的である。その遊び歩く金はどこから出ているのだ、という疑問も浮かんでくるが、生活に苦しむことのない主人公がいても何ら問題はない。

「僕」「鼠」「女」、そしてデレク・ハートフィルドという架空の作家と世界的な文豪の作品によって、この小説世界は構成されている。

動きの描写が多く、内面や葛藤の描写は最小限にとどめられ、非常に映像的である、というのが新たな発見だった。断片的な挿話の積み重ねであるから、どこから読んでもいい。出てくる数字を解釈することもできるが、それは面倒なのでやりたくない。

さあ、次は『1973年のピンボール』を読もう。

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