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母のこと【1】

母の実家はかなりの金持ちだった。

それに加え、母は子供時代・青春時代をバブル期に過ごしていため
金銭感覚がおかしかった。
いや、金銭感覚以外にも色々とおかしかった。

母の実家は二つ隣の街にあったが、母の豪遊っぷりは近所では有名で
小さいころから学校が終われば毎日都会まで出て行って
遊び歩いていたらしい。

実家というのも2軒目に建てた実家のことで1軒目の実家はもっと都会にあったらしい。

中学に上がってからは友人達とエステ三昧、旅行三昧、
東京の学校に進学しても遊び歩いてろくに行かずに
一年で学校を退学している。

その後一般会社に就職したがすぐに辞め、結婚という名の永久就職をしたが
結婚しても子供を生んでも遊ぶのも浪費するのもやめられなかった。

一度上げた生活水準はなかなか下げられないというが
最初から高い状態にあった生活水準を普通レベルには戻せないし
ましてやバブル崩壊後の過疎地の貧困レベルにまで落とせない。

頻繁に美容院でカット・パーマ・染色
友達と都会でランチ
色々と理由をつけては深夜まで飲み会に参加し
週に何着も服を買い漁り
通販ではよくわけのわからないものを購入している。

自分の子供がお下がりのお下がりのそのまたお下がりみたいな
ボロボロのくたびれて色あせて穴の空いた服を着ていても
伸び放題のぼさぼさの頭をしていても
口の中は虫歯だらけでもお構いなし。

旦那があちこちで暴れていようが
近所の人からヒソヒソ言われようが聞こえていない。

そんなことより、いま自分が楽しむほうが大事なのだ。
楽しむことで結婚に失敗したという現実から逃避しているのだろう。

母は一人で床面積畳1畳×天井くらいの高さまであるクローゼット3と同じくらいの大きさの箪笥2つ、押入れを半分消費しても服が入りきらず、部屋の隅につみあげられ服塚ができていて、買ったきり一度も着ていない、タグすら切っていない、袋から出していない服も多くあった。

それでも次の週にはまた新しい服を買ってくる。

他にも100円ショップで大量に不用品を買ってきたり
スーパーで菓子パンを100個200個買ってきたり
「ブランド物のバッグが欲しい」「豪華な食事がしたい」というように
「贅沢がしたい」ではなく、どちらかというと浪費がしたくてしたくて仕方がないのだ。

浪費癖は何かを自分の所有物にするという快感以外に、
「お客様」としてチヤホヤしてもらえる快感もある。

これが借金だらけになるまで浪費してたなら
もっと他から責められたり、病気認定してもらえたのだろうが
母は借金するまでは使い込まないが
来月の生活費がなくなる状態までは使い込むという絶妙な浪費具合だった。
10万あれば10万、500万あれば500万、あればあるだけ使ってしまうのだ。

しかも自分の稼いだ金ならまだしも旦那の稼いだ金を。

母の浪費でせいで夫婦喧嘩になることも多かった。
夫婦喧嘩になると最終的に私達子供が父親から殴られ、
母親からも「子供のせいで(子供が父親の機嫌を取っておかなかったせいで)自分が怒られた!」と
と怒鳴られたり八つ当たりされたりした。

母のせいで自分達に被害が及ぶので
私と兄で母に買うのをやめさせようとして母子喧嘩にもなった。

服やアクセサリー、雑貨と違い
美容や食事やエンタメにお金を使ったり
「世界のかわいそうな子のため」の慈善事業やボランティア活動などの
証拠の残らない浪費は判明しづらい。

特に厄介だったのは後者のボランティア活動で
自分の家族の生活が破綻寸前になるまで
生活費をボランティアにつぎ込んだことがバレて、それを責められると

「世界には可哀想な子が沢山いるのに、それを邪魔するなんて
なんて酷い人間なんだ!!」と周りの人間を「人でなし」と罵るのである。

さらに、母が子供や家庭を放って家にも帰らず
旦那の稼いだお金をジャブジャブつぎ込んで
ボランティア活動しているなんてことは微塵も知らない人達からは
母は聖女様扱いでチヤホヤされ
「さすが○○(母の旧姓)のお嬢さんだ」などと褒められていたので
どちらが正しいのかわからなくなった。

「ボランティア活動」というものは基本的に良いもの・推奨されるものとして習ってきたし、他の大人たちが母のことを褒めているので
小さい頃は母親のやっていることは正しいことなんだと思っていた。

自分は我慢しないで家族に我慢を強いる
ボランティア活動とは一体なんなのだろう。
「世界の可哀想な子供」というが、
目の前で殴られている自分の子供のことは可哀想ではないのだろうか。


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