アザレア(Azalea)の物語
最終章 自分はいない。
生命のうた。
非二元に出会って、『自分の死』が『自己エネルギーの終わり』すなわち『探求の終わり』と理解できた。だが、理解は理解でしかなく、理解したからと言って終わるわけではない。だからこそ『エネルギー的』と表現されるのだろう。
さらに『因果関係はない』と、言われてしまえば、何かをやったから『終わり』がくるわけではない。
終わらない旅を、ひたすら続けている感覚。
どうにかしようとはするが、どうしていいのか分からないもどかしさと、行き詰まり感。どれほど