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夏の思い出

夏到来。

私は島出身だ。

家の真ん前は海だった。

玄関を出ると、軽自動車一台が通れる細い道と堤防。その先は海。小さな小さな湾のずっと向こうには四国の山々が見えた。
生まれた時から、潮の匂いと潮風がいつも一緒だった。子守唄は波の音。漁船のエンジン音と波の音のコラボもいい。強さは違えど、波のリズムは一定で、どんなときも落ち着きを運んでくれる。のどかでしかない風景に、自然と溶けていける、そんな場所で育った。
だから、海は行くものではなく、当たり前にここにあるもの。当たり前過ぎて、呼吸と同じ。DNAに刻まれている言っても、過言ではないくらい、海は私の一部なのだ。ただし、ここまで言い切るほどの海は、家から見えるいつもの海だけ。

前置きが長くなったが、夏と言えば海水浴。大概の人は海水浴場に行くのだろうが、うちからだとちょっと距離がある。船持ちの人が、近所の子を誘って、離島に泳ぎに連れて行ってくれることを除けば、海があるのに海に行こうとはなかなか思えない。もちろん家の前は遊泳禁止。まぁ、私としては禁止というより、許可がないだけの話。ようは、暑くなると海が呼ぶのだ。おおかたは、堤防に腰掛け、その様を私の全部で感じるだけだが、茹だるような暑いさに耐えかねた瞬間が、満潮なら飛び込まずにはいられない。例えば、部活からふらっふらになりながら帰宅し、満ち上がった海を見た瞬間は、思考より先に体が反応する。蒸れっ蒸れの靴と靴下を脱ぎ、その足を堤防へ乗せる。焼けた堤防から伝わる熱を足裏に感じながら、制服の折りスカートを脱ぐ。そして、体操服とブルマ姿のまま、勢いを付け堤防の先から広がる海へと飛び込む。

勢いよく上がる水飛沫と、沈んでいく体。一瞬で、熱から冷へと世界は変化する。私から抜けていく力。それを感じると、体は上昇をはじめる。このままでいたい気持ちと、呼吸を求める体の隙間で、いったい何を感じていたのだろうか。その刹那はその瞬間にだけ現れる。
体が呼吸を再開したのと同時に、広がる青の空。大勢を大の字に取り直し、波の揺らぎに身を任せながら、青の空を眺める。すると、海と空の間にいる感覚から、全てに溶けていく不思議な感覚が生まれる。

その不思議な感覚を、ぜひ体験してみられることをオススメいたします。

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