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最近、気付いたコト。I realized that there was.

はじめに

まず、誤解しないで欲しい。

今から話すことは両親への悪口でも、否定でもない。

両親の事は心から愛しているし、
ここまで成長出来たのは、今生きているのは、
家族のお陰だと思っている。

それは確かなコトであり、
はっきり胸を張って言えるコトである。


求められて来た理想


生まれつき障害があったワタシは、
彼らに言われた通りに成長し、ジブンの人生をノンストップで走り続けてきた。

今思い返すと、何をするにも時間が掛かるワタシは、毎日がハードだった。

まるで呪文のように

出来ないことはない、
頑張れば、努力すれば、出来るようになるんだ。

そう言われ、そのコトバを信じて来た。

"いつも優等生であれ"
"ジブンのことはジブンで出来る子であれ"

と、周りに頼るコト、甘えを一切を許されず、
例えるならば脱障害者というのだろうか、そんな人物像を常に求められてきた。

障害があるが故、将来のことを想定し、

両親からいつまでも子供扱いされ、過保護に育てられたり、
真面目で健全なレールだけを勝手に敷かれてしまい、他に選択肢が無い当事者

は、少なからずワタシだけではないだろう。

ジブンの身の回りのことは全てジブンで。

が、いつしかワタシには当たり前になっていた。

出来ないコトや、勉強の成績が悪いと、

ワタシは障害者だから、
人の何倍も努力しなきゃいけないし、誰よりも色んな面で優れていないといけないのに、

何でこんなコトも出来ないのか。

と、ジブンが死ぬほど嫌になった。

言葉では責められなくとも、家族から圧を感じていた。

悔しくて、辛くて、悲しくて、泣いて、毎回自己嫌悪に陥った。


姉や妹が出来るコトは出来て当然

出来ることが増えても、決して褒められはしなかった。

それは、障害の無い妹や姉なら簡単に出来ることで、


ワタシには大きな成果だとしても、
家族には普通だったからだ。



その度に、

ワタシがもし歩けたら、
こんな気持ちにならなかったのかな?

と、今考えると野暮なコトで、よく悩み苦しんだし、
現実を突き付けられたような気がして、ワタシの心は張り裂けそうになった。

ワタシはまだまだ普通以下で、
駄目な人間なんだ。

と、思い始めると同時に、何かを成し遂げても自信は全くついてこなくなった。

ワタシの胸の奥の深いところには
ピンと張られた、
すぐにでも切れてしまいそうな糸がいつもあった。


自立生活の中で、徐々に変化した思考

そんなワタシも自立生活を始めて、もう約10年だ。
過ぎていく時間の中で色んな方に出会い、日々刺激を受けているのだが、

ワタシには最近気付いたことがある。

SMAと診断されてから約3年、
病気の進行も伴って、考え方がある程度変化したとも言えるだろう。

それは

  • 楽をするコトは決してジブンに甘いわけではない。

  • 誰かに頼ることは悪いコトでは無くて、怠けてるわけでも無い。

  • もう無理をするのは止めよう。

  • そのぶん、ジブンが楽しいと思えるコトに体力を使おう。

  • そんなジブンを許してあげよう。



そうした考えに行き着いてから、
少しだけワタシの心は少しずつ解放され、生きるのが楽になった。(あくまでワタシの感覚的な部分だが)

以前なら、

移乗はまだ頑張れば出来るから、
ジブンでやるのが当たり前。

と思っていたが、

今はベッドから車椅子への移乗、トイレやお風呂での身動きでその日の体力を消耗するくらいなら
リフトを申請して、その分の余力を違う部分で発揮したいと思うようになった。

リフトに頼るコトで、少なからず犠牲になる部分はあるだろう。
人間の筋力は使わないと、当たり前に落ちていくのだから。

しかし、ジブンがどう生きたいかと、ジブン自身に問うた時に、
将来なんて分からないのだから、ワタシは今を大事に生きたいし、
だからこそ、ジブンを大切にしたいと思うのだ。



一人暮らしをしてやっと、約10年経ってやっと、
ジブンを甘やかせられるようになった。


もし、今昔のワタシのように苦しんでいる人がいるのなら

無理してまで頑張らなくてもいいんだよ、
アナタはもう頑張って来たんだから周りに頼ろう。

と、声を掛けてあげたい。

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