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もしも信じてきた事がまちがっていたら…

こんにちは、やつ子です。


私はこれまでずっと
私の行く末は不幸になると信じていた。
(無意識に)

それが私の愛着障害なんだと思う。


前回のnoteでも書いたけど、
(最後に載せてます)

コツコツ…半年1年繰り返し
自分と向き合うことで
その前提を変える事ができた。


完全にとは言えないけど
少なくとも不幸だと信じてはいないし、

長年のクセで不幸になると思ってしまっても
すぐに違和感に気付くようになっている。


先日、

これまでの私なら
思いもしなかった事を発想してしまった。


無意識に信じてきた事
もっと大きな前提を疑ってしまったのだ。



◆世界は美しくないとしたらみんなはどう生きていく?



先日、
面倒くさくて苦手な人と
関わらなければいけなくなった。

結果的にはうまくいったのだけど、
その後である事が浮かんだ。


信じている大枠の前提が間違っていたら
どうなるのだろう。


当たり前だと信じてきた前提。


ちょっと壮大な話になってしまうけど
文章に書く便宜上と、

もう1つ理由があるので
少し壮大なままお付き合い下さい。



この世界が美しくないとしたら

そしてそれでも素晴らしいとしたら


私はどんな生き方をするのだろう。


母がもし
小さい頃の私に、

この世界は美しくない
だけど素晴らしいんだよ

と話してくれていたら
たぶん今までとは
真逆の考え方になっていたのではないか。


母はいつも不幸顔をしている。


笑う時もあるけど
思い浮かぶのは、

つらそうで悩んでいて
不幸の底にでもいるんですか?と
聞きたくなるような顔だ。


いや…待てよ…

母が話していた事を思い出してみると
意外にも楽しかった話や
面白い出来事などもあったな…


でも母が人からされてきた嫌な事の
つらい思い出話や愚痴もかなり多かった。


実際には多くなくても
私が聞きたくない話題だったから
そんな話ばかりだと感じたのかもしれない。


まあとにかく
そんな愚痴話を聞かされてきた。


母の話は物事の浅い部分ばかりに
フォーカスされていて
毎度毎度、進歩がないのだ。


人は世界は…美しいはずである
でもそうじゃない人がいる

こんな嫌な思いをしてきた
こんな嫌な人がいた

そのせいで私は生きるのがしんどい
だから嫌な事をする人が許せない


母のベースはこれ。


浅いから
“世界”とか“人”という
壮大でぼんやりしたイメージとして
受け取っていた。



◆母が信じていたことを私も信じていた



母は可愛くてきれいで美しいものが好きだ。


例えば

花、何かの模様、色、
女優やイケメンアイドルの顔、歌手の声、

表面的に見てわかる美しいもの。


優しい人、親切な人、心がきれいな人、

わかりやすく優しい言動をしてくれる人。



私もきれいなものは好きだし、
それらに癒されるだけでいい時もある。


だけど、

存在を知らない
やる意味に気付けない

というのと、

知ってるけど全ては語らない
出来るけど今やる事ではない

とでは雲と泥の差が大きいわけですよ。


母の価値観は
世界や人は美しいという前提なのだと思う。

だけど現実にはそうじゃない場面も多い…

それを毛嫌いしていた。



優しくて綺麗で清潔で可愛くて
人に意地悪なんてしなくて
困っていたら助けてあげて
親切にしたらお返しをもらえて
良い事をしたら自分にも良い事が返ってきて
だからこそいつも明るく楽しく元気に…


本当はそうじゃなきゃいけないのに何で…


それを刷り込まれてきた私も
当然そう思ってきたのだけどぉ…


人なんて美しいか?


先日の面倒くさい人とのやり取りで
ふと思った。

なぜならその面倒くさい人の言い分が
ちょっとわかってしまったのだ。


“私はやらないけど、気持ちはわかる”
“私もこの人も変わらない”

心の中でそう思った。



ぶっちゃけたら
みんな本音は自分の思い通りにしたいでしょ?

自分の損得めっちゃ考えてるよね?

自分を犠牲にして100%誰かのためになんて
出来るわけがない。

その事さえも結局は自分のためになるから
やってるわけだし。


いーや私は違う!という人がいたら
「おおぉ~すごいですね。」
と言わせていただきます。



◆ここだけの話



本音の本音は

みんな、もちろん私も、
自己中でワガママ。

いつでも自分の事を考えてる。


権力に弱いし
自分が損するぐらいなら
他の誰かを生け贄として差し出す。


承認欲求のためにマウンティングするし
その人の前ではいい顔して
影で悪口言った事、あるでしょ。


立場や法律が無ければ
とんでもない世の中かもね。



それでも
素晴らしいとしたら?


これが今まで信じてきた大前提と違うところ。


もしも、それでも素晴らしいとしたら
それはなぜ?


例えば、

今日は相手のために行動できた。
親切にしてもらえた。

面倒くさいけど頑張って仕事した。
嫌な人もいたけど助けてくれる人もいた。

調子がよくて腹が立つけど憎めない友人がいる。
お金はないけど今日はたくさん笑えた。



そう考えていくと
心があたたかくなる事しか出てこない。


少なくとも母のように
常に不幸顔をしている理由はない。



良い悪い、正解まちがい、
書いているのはそういう事ではないョ。


そしてもちろん。

他人のために行動できる人もいるし
優しくて親切な人もいるし
悪口を言わない人もいる。


そういう話じゃなくて
人が無意識に信じている前提の話。


我ながらオモロイ事に気付いた。
今までの私には無かった発想で楽しい。


それではまた(^-^)/






トップ画像のイラスト、
今日の内容にぴったりすぎて笑ってしまった。

私が色々と考えたとて…ですネ(笑)

最高です!!

使わせていただき
ありがとうございました。






※今日の話のきっかけになった出来事はコチラ↓


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