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私が私に金メダルをあげたい


心の中に抱えている思いを、
私は何度 手放せばいいんだろう。

その都度ものすごく怖い。


勇気…なんていうのは身近すぎて、何かもう
うっすい言葉に感じる。


時間(=人生)が崩れるような感覚。

手放すのはそれぐらい怖い。



結果や経験を積み重ねる事。
それは良い。

それが人生だから、むしろ素晴らしい。


問題は、途中で執着にすり変わっている事に気付けないという事。それに執着しないためにはどうすれば良かったんだろう…。


つうか、ぜーんぶ本当はわかってます。
目的を間違えたって事です。

この辺の理解の早さは自分と向き合ってきた賜物って事で、自分よ、ありがとう。



あとは別ルートで、“もうこれは執着だな” と気付いても、それを認めたくない理由もある。打算的な事は良くない事だとジャッジしているからだろう。

それは、素直で純粋な人が良いと刷り込まれてきた固定観念だとわかっていても、簡単には取り払えない。



打算的=純粋ではない

ではない。


もうそろそろ、人はそんなに単純な一直線の要素の繋がりでは成り立っていないとわかりたい。お腹の底からわかりたい。



色んな自分がいるんだからさ。
多面体だから、人は。



それにしても私は思考が働く。
算数ではない方の “計算” が得意だ。


自分ではそんな事しようとしてないのに、何かを見聞きしたら勝手に頭が計算し始める。

相手の気持ちや空気や損得や上下関係、人間関係のバランスや勝敗などなど推し量る。推し量りまくる。

もう特技だね、こりゃ。



なぜ私が思考優位になったのか、過去を紐解いてみたら自分が愛おしく思えてきた。

かわいそうなお母さんを守りたくて、自分の心より先に一生懸命に頭を使ってきた。子どもなりにフルパワーで思考を働かせてきたのだ。




よくやってきたよ、ホントに。
小さな頭で心でよく考えてきた。




そう思うと、別に思考する事は良い。
打算的な自分もなかなかいいもんだ。





さて、最初に戻ろう。

手放すのは怖いという話だった。

何を手放すのか…
私は何を手放そうとしてるんだろう。


そこに込めた私の理想?


執着してしまうほどに憧れた理想。

ならば、『そこにかけた時間や掲げた目的は幻だったのだ…』とするには勇気が必要だ。


いや、

『先にコレやってからだよ!じゃないとこれまでが幻になるんだよ!』って事だと思う。

やってきた事は確実に私がやってきた事だ。
でも、幻になっちゃう。空を掴むような事になるのだ。



コレっていうのは、命の事。


私は自分の命を喜んでいなかった。
生きている事の喜びを知らなかったのかもしれない。


命の喜び

なんてやめてくれよ。
めちゃめちゃザワザワするわ!
なんだこの言葉は、白々しい。

生きている喜びなんて考えたくもない。

ずっと目を背けてきたのに…
直視するのが何だか怖い。



私の心の反応はこんな感じだ。




ここのところ、sns界隈では同じような言葉が取り上げられてる。
『生きてるだけで偉い』って、素敵な言葉だなぁ。

私も金メダルほしい。


この言葉に拒否感がある私にはわかる。
それをさらっと投稿できるのは、きっと心の基盤がしっかりしてるからだろう。



自分の執着or命、まあ普通に考えたら命が大事だよね。

それを当たり前のように言いたい。
そう思った。



できるなら私も、命の喜びを伝えたい。
人にもらうのもいいが、私が自分に生きてるだけで偉い金メダルをあげたいのだ。


だから手放す事にした。




心の中に抱えている物を手放す。もしかしたら費やしてきた時間も結果も手放す事になるかもしれない。

もう何回目だろう。
やっぱり怖いなぁ。


怖いけどシンプル。

間違えた
だから手放して また始めよう


これだけの事だ。





私は命の喜びを味わいたい。

思考が優位に働いて特技かのように勝手に考え始める私のために、生きている喜びを感じてあげたい。


まず何をしようかな。

命の喜びを感じること、私と出来るんだと思ったら少し嬉しくなってきた。


私にその時間を許してあげよう。


それではまた。




もっともっとめげない力を高めて、読んで下さる方に少しでも貢献できるような記事を書いていこうと思います🍀\恩送り/いただいたサポートは、私も誰かの応援に使います🌈