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母の発達障害で私が困っている事

こんにちは、やつ子です。


母の発達障害について考えています。


ちょっと思ったのが、
私は結局どうしたいの?って事です。


母にわかってもらいたいのか…
私が母を理解したいのか…

発達障害の事も
母を理解したいから考えているのか…


でも発達障害って、
考えて理解できるものじゃないんですよねぇぇ
っていう事はもう嫌というほど経験済みなので、

堂々巡りで長年に渡り困ってるんです。



他の発達障害の方には
すみませんねぇ、、

こういうの読むと
特に自覚してる人は
あまり良い気はしないですよねぇ。


そこはあくまでも私の母の話って事で
スルーしてほしいんですけど、
スルーするのが苦手な特性の人もいますよね。


ちなみに私も発達障害グレーなので
特性はかなり凸凹してます。

どちらの気持ちもわかるので、
そういうのも辛いところかなと思ってます。




発達障害の生きづらさは
環境や文化や価値観など
国によっても変わってきます。


特に空気を読むとか
失敗を許さないとか
少数派は排除するとか

日本は生きづらくなる価値観に
溢れていると思います。


なので私が固定観念を壊すためには
母と関わる事は良い機会でもある…
とも捉えられますね。


ただ、それでも問題が2つ出てくるんです。


1つは、恥ずかしいって事です。

例えるなら
思春期に友達が家に遊びに来て
部屋で楽しく話していたら、

隣の部屋から母親がガチのマイクで
カラオケ歌い出した…みたいな恥ずかしさ。

わかりますかね?


家族にだけ通じる暗黙のネタというか
仮に “嫌だな…” と思ってても、

もう慣れっこだから
家族や自分は対策も出来ているけど、

それを他人に知られた時に
何とも言えず恥ずかしくなる。



友達が来てるから普通はやらないよね…
みたいな事は気が付かない。


指摘すると
拗ねる、不機嫌になる、
やめてとお願いしたこっちが悪者になる。


なぜ「やめて」なのか
こちらの意図を理解する前に
自己否定された感が強いんです。


※例えですよ!!発達障害者みんなが
  このような感じという事ではありません!!



もしも私と母だけの世界なら
いいんですよ、それでも。

それかみんなが母の特性を知っていて
何かズレた言動をしても
「まあ、こういう人だからね…」と
あたたかい目で見てくれるなら。


でも実際はそうはいかない。


さらに恥ずかしさだけじゃなく

「お母さん、それは失礼な事なんだよ…」
「それは相手が傷付くんだよ…」
「それはこっちが察してあげないと
 相手は言いづらい事なんだよ…」

っていう場合もあります。


母は自覚してくれないので
そのような
人に対してやってしまった微妙な事は
いったい誰が尻拭いするのかっていうと、

まあ私になりますよね。


誰かが母に対して思う残念感や嫌悪感を
私は見たくないんです。


少し長くなったので、
もう1つの問題(心が疲弊する孤独感)
については、また今度書こうと思います。


それではまた(^-^)/




私の中にあるパンドラの箱、
それは母の発達障害と向き合う事です。

長年ずっと苦しんできた事で
自分の気持ちをごまかしてきた事でもあります。
解決策は出ないと思いますが
今の私なりの答えは出せるかもしれない…
そう思い立って箱のフタを開ける事にしました。

少しずつやっていきます。
シリーズになると思いますので
よかったら読んでみて下さい。





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