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ドラム缶と長良川艶歌と太一さん

春の終わりに、うちのデイサービスへ10年近く通ってくださったご利用者さんが亡くなられた。
仮に「太一さん」と呼ばせていただく。

太一さんは、地元でずっと漁師さんをしていて、カラオケ大好き。若い頃には随分はしゃぎ回り、漁師仲間とあちこち旅行にも行き、魚の食べ方から昔の歌手の話、地元の昔話、いろんなことを教えてくれた。


どんな方とも嫌がらずにおしゃべりしてくださるので、みんなに好かれていた方だった。


漁師さんだったから、天気予報よりもよくお天気が当たった。
建物の窓から見える空や、木々の様子で、風や天気を読み、「今日は1日いい天気だね」と言ってもらえばホッとするし、「雨が降るよ」と言われれば、晴れていても洗濯物を取り込んだ。


カラオケが始まると、その日のマイクはもう、太一さんのものだった。
特に、五木ひろしの「長良川艶歌」が好きだった。


五木ひろしよりは低めの声音だが、よくビブラートのきく声で、声量があって。

右手でマイクを持ち、節くれだった左手で軽く拍子を取りながら、しみじみと歌う太一さんの声に合わせて、職員も利用者さんもみんな、夜の鵜飼いの風情に思いを馳せた。

長良川「艶歌」とのタイトルに因んで、昔の色恋話を聞き出そうとすると、「いやいやいや」と横に手を振りつつ、ニコニコしながらほんのり頬を染めていた。
照れ屋だった。

今の職場で働き始めてから、昭和歌謡に詳しくなったのは太一さんのおかげだ。

田端義夫=バタやんや、村田英雄、ディック・ミネやフランク永井など、低音の魅力的な歌手の歌が多くて、声フェチな私は太一さんと歌う時間が楽しみだった。


そんな太一さんに、デイサービス以外の「第二の居場所」があることを知ったのは、太一さんと出会って半年ほど経った頃だった。

当時、まだ小さかった息子を連れて、私はよく家の近所を散歩していた。

太一さんの家は河口近くにあり、私の家からも近い。漁港をぐるりと回りながら川の方へ上がる道をたどっていくと、何やら人の話し声が聞こえてきた。

川沿いの空き地に、火を炊いたドラム缶が置いてあり、その周りをぐるりと人が囲んでいた。漁師さんか、漁師さんをリタイアした人たちのようだ。

小さな子供が珍しいのもあってか、とことこと歩く息子を、みんな何となしに眺めている。
「こんにちは」と頭を下げてから、中の一人に太一さんがいるのを見つけた。
「あれっ、太一さん」と声をかけると、向こうも「あれ」と言ったものの、こちらが私服なので「誰だっけ」という顔をされる。

「デイサービスでいつもお世話になっているりんごです」と近寄ると、
「ああ!りんごさん!いや、着るもんが違うからわかんなかった」と笑った。

隣のおじさんが「どこんひと?」と尋ねる。「〇〇の嫁さん。ほらあの、踊りのうまい」「ああ〜!そりゃそりゃ。いつも太一どんがお世話ンなって」周りのおじさんたちがワハハ、と笑う。

「そっちで太一どん、真面目にやっとるか?」
「ハイ、なんせ歌がお上手なんで、職員も利用者さんもみんな楽しませてもらってます」
「へえ!太一どん歌ってる!」
「ハイもう、それはそれはいい声で。みんな聴き惚れてますよ」
そんなやり取りをしながら、アレ?太一さん、こちらのお仲間には歌が上手いこと、あまり知られていないのかなと思う。

「そりゃあ、ここでも披露してもらわねばなあ〜」
「ぜひぜひ!五木ひろしの『長良川艶歌』なんか絶品ですよ」
そんなやり取りを周りのおじさんたちとしている間、当の太一さんは「いやいやいや」と照れたように笑いながら、嬉しそうにただ話を聞いている。

なるほど、この井戸端会議ならぬ「ドラム缶端会議」では、太一さんはわりと無口で、でもニコニコしながら周りの話を聞く役が多いのかなと思った。


共通しているのは、どちらの太一さんも穏やかで楽しそうなこと。


足腰が痛くなり、思うように歩けなくなり、背中も曲がって真っ直ぐに寝られなくなっても、こうして楽しく過ごせる居場所があるだけで幸せ。

そんな人生のあり方を見た思いがした。


挨拶して立ち去ろうとすると、
「今日はやってないけど、もっと寒いときは焼き芋やってんの。今度、食べにおいで」と送り出された。
芋をアルミ箔に包んで、ドラム缶に投げ入れて作るらしい。うーん、ワイルド🍠

その後、夏になるとかき氷の機械と氷を持ってくる人がいて、みんなでかき氷を作って食べるのだと教えてくれた🍧


こういう集まりを、デイサービスなど介護施設にそのまま持ってこられればいいのにと思った。
みんなが楽しいことを、知恵や道具を出し合って、みんなで作り上げる。

日々のおしゃべりを楽しみながら、やって来る人と会話を交わしたり、一緒に何かをしたりする。


人生の終わりの時期を、そんなふうに過ごせたら楽しいだろうな。
体の痛さも衰えも、みんなで共有しながら楽しく老いていく。


太一さんからは、そんな姿を教わった。


◎◎◎

太一さんの送迎がなくなり、迎えのたびに声をかけてくれたあのドラム缶端会議の面々とも、疎遠になってしまった。

おそらく、あと数年もすれば、集まる人さえいなくなり、ドラム缶だけが残されるのかもしれない。

それでも、太一さんが教えてくれた歌と、あの穏やかな集まりは、確かに私の中で息づき、職場へ、さらにその先へ、広がっていこうとしている。


※やんさん、ステキな写真をありがとうございます!


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