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今日も、読書。 |美術館巡り、ゴッホ展へ行く

2021.11.28 Sun

図書館へ行く。図書館へ行き、本を借りたり返したりするのは、日曜日だけである。日曜日に固定しておけば、本の返却期限はいつだったかと、頭を悩ませる必要がなくなるからだ。借りた本は、次の日曜日に返せばよい。頻繁に繰り返す行動は可能な限り習慣化して、脳のメモリの消費を抑えている。今日借りた本は、長嶋有さんの『ルーティーンズ』だった。

『坂の上の雲』を読む。文春文庫版、第7巻を読む。第6巻を読んだのはいつだったか。前巻の内容はほとんど忘れてしまっていたが、それでもすぐに日露戦争の物語に復帰することができたのは、司馬遼太郎さんの筆力の成せる業だろう。

第7巻は奉天会戦の描写から始まるが、ロシア側の軍司令クロパトキンがひたすらに酷評されていて不憫だ。私は臆病者なので、クロパトキンの言動に共感する部分もある。戦犯クロパトキンの物語を読み、官僚的な優秀さと、実戦でのリーダーシップの両立について考える。きっと自分なら、クロパトキン以上の被害を自軍にもたらす戦犯となるだろうと想像する。



2021.11.29 Mon

155日目。
これはいったい何が155日目なのか?という話だが、今の勤め先で働き始めてから何日経ったかをカウントしたものだ。ふと、自分が人生で通算何日働いたのかを把握しておきたいなと思い、初日から数え続けている。もう150日以上も働いているのか、と驚く。

昨日に続き『坂の上の雲』。ギリギリの消耗戦の中で、政治的講和により戦争を収束させようと奔走する日本陸軍。日露の衝突に乗じて、東アジアの覇権を握ろうと画策する欧州列強。第三国であり気分屋のアメリカは、どう動くか。各国は互いの顔色を窺いながら、しかし自国の利益のことしか考えていない。そして終局、バルチック艦隊との日本海海戦へ——。

二度と繰り返してはならない戦争を、小説を通して知っておくことは、きっと意味があると思う。


2021.11.30 Tue

156日目。
通勤のお供は長嶋有さんの『ルーティーンズ』。装丁のタイトルは、『ル——ティ——ンズ』のように、長音記号が長い。力が抜けていて、肩肘張らない感じが、とても良い。

こちらも『仕事本』に続き、コロナ禍の生活を描いた日記本だった。これからはコロナを読みたい、と以前この日記に書いていた手前信じてもらえないと思うが、この本を手に取ったのは、本当に偶然だった。

図書館の新刊本コーナーに並んでいた黄緑色の表紙に惹かれ、長音記号の気の抜けた長さに惹かれ、たまたま選んだだけだった。こういう、本が本を呼び寄せるかのような偶然があるから、読書は面白い。色々なジャンルの本を漁っていると、思わぬところで本どうしが繋がったり、はたまたバラバラだった自分の思考が繋がったりする。

長嶋さんの作品は、これまで読んだことがなかった。始めての作品がエッセイや日記だと、この人は、ロレックスの時計の日付が切り替わる瞬間が気になるこの人は、コロナ禍で通っていたドラム教室に行けなくなって残念がるこの人は、どんな小説を書くのだろうと想像を巡らせることが楽しい。

逆に、小説を読んだことがある作家さんのエッセイを読むことも、やはり楽しい。小説とエッセイの相乗効果。適当なことを書いている。



2021.12.1 Wed

157日目。
今日は書けない。有吉の壁3時間SPなので書けない。人間らしい生活を維持するためには、週に一度有吉の壁を観ることが不可欠で、何者にもそれを邪魔する権利はないのだ。



2021.12.2 Thu

158日目。
日々気になる本が増えていき、購入予定の本のリストは、増加の一途を辿る。購入した本は積読リストの方に移るが、そのリストもまた増えるばかりである。増殖する本。私は常に何かしらの積読を抱えており、それが常態化するあまり、積読が減ってくると逆に不安を感じるようになっている。

『積読こそが完全な読書術である』という本を読んでいて、これだけ情報が氾濫している世の中では、積読が発生するのは当たり前のことなのだ、と認識を改める。積読は自然現象。本に限らず、映画、ドラマ、アニメ、漫画など、世界の創作コンテンツの数は加速度的に増加していて、その濁流の中では、どうしたって何かを積まざるを得ない。その積まざるを得ない状況の中で、自分が読むべき価値のあるものを正しく見極め、「自分なりの積読」を構築していくことが大切なのだと、著者の永田希さんは説いている。

人生は有限なのだという、当たり前だけど忘れがちなことに気付かされる。自分が読むべき本の取捨選択。そのためには、様々な読書を経験することが必要だ。今の私にできることは、とにかく本を読み、良書を見極める術を身につけることだろうか。

そのためには途中で本を読むのを止める勇気も不可欠で、合わない本とは距離を置いて付き合いを避けた方が良いという、本との関係は対人コミュニケーションにも似ている。死ぬまでにどれだけの本が読めるだろうか、今日この瞬間の読書も、人生の貴重な一瞬を切り取った読書なのだと考える。



2021.12.3 Fri

159日目。
仕事終わりに飲みに行く。よって、まともな文章は書けない。お酒が入ると書けない。誰が、仕事終わりに10時半近くまでお酒を飲んだ帰りの電車で日記を書けるというのだろう。

この日記は1週間ごとにまとめて投稿しているのだから、当日に書かなければいけないというわけではなく、別に次の日にでも書けばよいのだが、面倒なのでおそらく書かない。

一応読書のことを書いておくと、行きの電車で『物語を売る小さな本屋の物語』という本を読んだ。今の仕事は、本当にやりたい仕事か?ということを考える。大きな不満はないけれど、一生続けたい仕事か?と考える。この本の著者の鈴木さんのように、一から自分の本屋を作り上げた鈴木さんのように、本気で打ち込める、それこそ1日の大半をそれに捧げても全く苦に感じないようなことを仕事にできたら、幸せだろう。

意外と書いた。お酒の力。つい仕事のことについて話をしてしまった。



2021.12.4 Sat

東京都美術館、ゴッホ展へ。へレーネが生涯をかけて収集したゴッホの作品を、作成年順に辿る旅。

原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を数ヶ月前に読んでいて、それは兄ゴッホを献身的に支えた弟テオの物語で、その読書のおかげでより楽しめた気がした展覧会だった。鑑賞している作品の向こう側に、その絵を描いている最中のゴッホの姿が思い浮かんだ。ゴッホはどんな表情をして、この絵を描いていたのだろう。≪種蒔く人≫や≪糸杉と星の見える道≫を眺めながら、絵画という窓を通して、当時のゴッホの指先を、眼差しを、息遣いを感じた。気のせいかもしれない。

一番好きなのはやはり≪糸杉≫で、実物を見たらやはり美しくて、ポストカードもブックマーカーも買った。ゴッホが渡り歩いた都市を順番に巡る、作成年順の展示になっていたためか、彼が≪糸杉≫を描き上げるまでの道のりを順を追って知ることができ、それまで磨いてきた技術の全てが≪糸杉≫に表れているのだと思った。≪糸杉≫に目を奪われているとき、隣で見ていた方々が「あの真ん中の糸杉、2本なんだ」と話していて、よく見ると確かに2本で、本当ですね、と嬉しくなった。

美術館に行くのは久しぶりで、おそらく大学1年生のときに国立西洋美術館でカラヴァッジョ展を観て以来だった。と思ったが、その後イタリア留学中にめちゃめちゃたくさん美術館に行っていたことを思い出し、記憶って頼りない。カラヴァッジョ展の方が何故だか強く印象に残っていて、おそらくそれは、その展示を観て書いた大学のレポートの評価がとても低かったからだ。



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