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今日も、読書。 |藤村の破戒と、私の男

2022.1.23 Sun

破戒:0ページ
島崎藤村『破戒』に挑戦する。

名著と呼ばれる日本の古典作品を何かひとつ、時間をかけてじっくりと読んでみたかった。『破戒』は今年初めに買って以来ずっと積んでいた作品で、そこそこボリュームがあって文体もやや癖がありそうで、最適な作品だと思った。

藤村については、自然主義作家だったということしか知らない。ちなみに私は自然主義が何か分からないので、つまり藤村については何も知らないということだ。

まずは解説から読んでみる。

『若菜集』(文学史で見たことがある!)で浪漫的な詩人として出発した藤村は、やがて『夜明け前』という膨大な小説を書き上げる、忍耐強い散文作家となる。『破戒』は藤村の長編小説の第1作目で、詩人から小説家になる転換点に執筆された、記念的な作品らしい。

藤村は教職を辞して本作を自費出版するという、人生の大勝負に出ている。本作が後に自然主義文学の先駆けとして文壇で評価されることは言うまでもないが、評価されて良かったなあ藤村、という思いである。

『破戒』は丑松という部落出身の教師が主人公だ。藤村自身も元教師だったため、彼が丑松に自身を投影し、彼を通じてある種の告白しているのではないか、という読み方があるらしい。いやいやそうではない、これは社会派小説であるという分析もあるようだが、私は藤村自身の姿を本作に見出すような、作家の息遣いを行間から探し当てるような、そんな読み方をしてみたいと思う。



2022.1.24 Mon

189日目。
破戒:0ページ

塩谷舞さんの『ここじゃない世界に行きたかった』という本がすごく良かった。文章を書くことを生業とする著者に、諦めずに書き続けることの、言葉という表現を通じて、世界と自らを繋ぎ止めることの勇気をもらった気がした。

塩谷さんのnote「視点」から集められた、その名の通り、読み手に新たな視点をもたらしてくれる丁寧な文章。ニューヨークで奮闘する彼女から吐き出される、等身大の言葉たち。こだわりのモノや尊敬する仲間たちを写した、言葉と言葉の合間に挿し込まれる写真。彼女の暮らしの中には、自分が美しいと感じたものを、周囲に流されるのとなく大切にする姿勢が常にあって、それが格好良いと思った。

SNSが普及し、誰もが自分の意見を発信できるようになったこの世界では、右と左、犬と猫、きのことたけのこ(?)のように、二項対立の諍いが絶えない。意見を簡単に発信できるようになると、自分もどちらかの派閥に属さなければいけないのではないか、という気持ちになってしまう。しかし、どちらか一方の派閥に属する必要など、全くない。自分が正しいと信じる軸を持ち、自分の意見をきっちりと表明することが大切なのだと、本書は教えてくれる。



2022.1.25 Tue

190日目。
破戒:20ページ
『破戒』の本編を読み始める。一応、破戒の進捗状況を、日記の冒頭に記録していこうと思う。とにかく、普段よりもゆっくり丁寧に、読み進めていきたい。走りがちなペースを管理するためにも、毎日の記録は重要だ。

穢多という身分を周囲に明かさず、小学校教師として働く丑松。同じく穢多出身の人が書いた『懺悔録』という本を読み、普通の子供として過ごしてきた、自身の幼少期を思い出す。

それまで仲良くやってきたのに、相手が穢多だと分かった瞬間、人は離れていく。当人は、何ひとつ変わってなどいないのに。両者の間に突如として生じた壁は、差別する側の人の心の中に一方的に建設されたもので、被差別者の側からはどうすることもできない。丑松は身分を隠しながらも、静かに抵抗する。

まだまだ序盤。丑松の人となりはまだはっきりと見えてこないが、出自についてずっと思い悩んできたのだろう、ということは伝わってくる。これからどのように物語が進んでいくのだろうか。



2022.1.26 Wed

191日目。
破戒:20ページ
Mr.Childrenが好きだ。

きっかけは小学生の時に聴いた「名もなき詩」。両親がミスチル好きで、ベストアルバムの「骨」を車でよく流していて、その一曲目が名もなき詩だった。「成り行きまかせの恋に落ち 時には誰かを傷つけたとしても その度心痛めるような時代じゃない」と早口で歌う気持ちいい箇所があるのだが、家族全員でその部分を歌い、いつも爆笑していたことを覚えている。

以来、私の青春はミスチルとともにあった。ジェダイでいうフォースだった。カラオケではいつも「HANABI」を歌って最後の「もう一回もう一回〜」の高音に苦しめられ、部活の試合前には「終わりなき旅」を聴いて闘志を燃やしては負け、そして一番好きな「sign」を、当時の恋人とイヤホンを分け合って聴いたりした。

これは私がよく友人に言っては失笑を買っていることなのだが、私は生まれ変わったら桜井和寿になりたい。歌声とかライブパフォーマンスの格好良さとかはもちろんのこと、男性として、桜井さんの容姿は完璧だと思うのだ。桜井さんの見た目に少しでも近づくために、美容院ではいつも桜井さんの写真を見せて、「こんな感じにしてください」と無理難題を吹っかけている。常時メガネをかけている時点で、桜井さんになるのは不可能なのだが。

そんなミスチルが、2022年にライブツアーを行うことを発表した。30周年記念ライブ「半世紀へのエントランス」(ツアータイトルが格好良すぎて死ぬ)。これは、これは何としても行かねばならない。

ミスチルのライブチケットは本当に取れない。私は一度、何の間違いだったか、2015年の「REFLECTION」というライブに当選し、桜井さんの生歌を聴くという奇跡に立ち会った。あの伝説のアンコール、「エソラ」→「Marshmallow day」があったライブだ。普段これといった徳を積むでもなく、ぼんやり生きている身で本当におこがましいことだとは思うが、もう一回、どうかもう一回、あの空間に行かせてはもらえないだろうか。もう一回もう一回~(高音が出ず撃沈)。

相当な熱量で語ってしまったが、実はこれと同じくらいの熱量で、Spitzも好きなのだ。それはまた、別の機会に……。



2022.1.27 Thu

192日目。
破戒:20ページ
物欲は無限に湧いてくる。こと本に関しては、書店に足を踏み入れてしまったが最後、何かしら購入してしまうから危険だ。書店は日常に潜む危険だ。

自分の物欲をコントロールするために、自分なりにルールを設けて、飼い慣らしていく必要がある。私も自分なりのゆるいルールを作って、暴走せんとする物欲をなんとか鎮めている。

まず、基本的に0か5がつく日にしか買い物をしない。これは、楽天ユーザー御用達の楽天ポイントが2倍になる例のキャンペーンによるものだが、楽天市場での買い物に限らず、私は基本的に0か5のつく日にしか物を買わないようにしている。

0か5のつかない日は買い物をしないと決めているので、当然ながら、ひと月のうち買い物をする機会が減る。ひと月のうち6回ほどしか買い物ができないのだ。そして欲しいものが複数あるときは、0か5のつく日にまとめ買いをするのだが、1日にお金をたくさん使うとなると自制心が働き、自然と出費が抑えられる。結果として、月全体の出費が小さくなる。あと、いつ何を買ったのかという管理がしやすくなるという利点もある。

この数日間、破戒を一切読んでいないことがバレバレである。というのも、伊坂幸太郎さん編『小説の惑星』という短編小説アンソロジーをこのところ読んでいて、これが「オーシャンラズベリー篇」と「ノーザンブルーベリー篇」の2種類あるものだから(篇の名前が素敵すぎる!)、読むのに時間がかかっている。何の理由にもなっていないのだが。



2022.1.28 Fri

193日目。
破戒:42ページ
この読書日記は、日記と言いながら、正確にはもう日記ではない。実は当日あったことをその日の日記に書いていることは稀で、先の分まで書き溜めている。ちなみに、今この文章を書いているのは1月22日だ。もう1週間ちかくズレが生じている。

桜庭一樹さんの『私の男』を読んだ。2022年も、はや1ヶ月が経過するが、本作が現時点で、最も面白い小説だった。面白かった、という表現は正確ではない。読んでいて、最も感情を掻き乱された、そんな小説だった。

とてつもないパワーを持った、これは非常に「危ない」作品だった。これは読むのが危険だ。本作を読んでいる間、心がぐちゃぐちゃに揺り動かされて、まるで落ち着く暇がなかった。常に心が何か危険なものと対峙し、緊張を強いられていた。読み終えた時の、心の弛緩が大きすぎて、しばらく何をする気にもなれなかった。

ざっくりとしたあらすじは、両親を失った花というひとりの女性と、彼女を引き取って一緒に暮らす養父の淳悟の、親子の物語だ。愛に飢えた2人の、禁断の半生を描いている。

本作は何といっても、構成が面白い。通常の人生譚は、時系列が未来へと向かい、その人の幼少期から老齢期まで、順に追っていく。しかし『私の男』は、花が結婚して家を出る場面から、両親を亡くして淳悟と出会うまで、時系列が現在から過去へと遡っていく。つまり逆なのだ。過去へ戻っていく中で、隠されていた2人の謎が次第に明らかにされていく構成が、この物語の不穏な雰囲気を引き立てている。

もうひとつ面白い点は、淳悟という男の素顔が巧妙に隠されているところだ。本作は様々な登場人物の視点から語られていくが、読者は基本的に花の視点に立ち、花の気持ちを(なんとか)理解しながら読み進めていくことになる。淳悟が何を考えているのか、断片的に推し量ることはできるが、明確な答えは得られない。彼の生い立ちや感情を、読者がそれぞれで想像する。きっと本作は、人によって全く違う物語になるのだろうな、と感じる。

正直、人におすすめをすることには、躊躇いを覚える。それくらい好みが分かれる作品だと思う。だからこそ、読書会でこの小説を紹介し、私と引き合わせてくれたあの方には、感謝しかない。



2022.1.29 Sat

破戒:42ページ
例えば通勤電車の中とか、夜寝る前の30分だとか、タイムリミットを意識しなければならない時の読書が、少し苦手だ。

生きている限り、どういう形であれ、時間の制約はあるものだ。タイムリミットが無い場面などというものは、おそらく存在しない。しかし、「この時間になったら、スパッと読書を中断しなければならない」というタイミングは、よくある。私の場合、その最たる例が、通勤電車での読書だ。

通勤電車での読書は、行きは勤め先に帰りは家に、電車が近づいていくにつれて、読み方が雑になっていく。「せめてこの章が終わるところまで……」という、自分なりに区切りが良いところが存在していて、目的の駅に着くまでに、なんとかそこまで詰め込んで読もうとする。すると、文字を目で追うのが加速度的に雑になり、時には行や項を飛ばす暴挙に出たりもして、とにかく集中力が散漫になる。良くないと分かってはいるのだが、終着駅が接近するに連れて、読むペースが自然と、どんどん上がってしまうのだ。それに比例して、読解力はどんどん低下していく。

夜、寝る前の読書にも同じことが言える。就寝前の読書と聞くと、なんだかとってもリラックスして、じっくりと作品に浸れるような印象を受ける。だが、決してそんなことはない(個人の感想です)。私は毎晩23時までには寝るという枷を自らに課していて、就寝前の読書はいわば、23時というデッドラインとの戦いなのだ。

本を読んでいると、「今回はここまで読んでおきたいな」というぼんやりとした「区切り」のようなものが頭に浮かんでくるのだが、私だけだろうか。それは例えば、物語の転換点だったり、各章の終わりまでだったり、はたまた次に行間が空くところまでだったりする。なんとか床に就くまでに、その区切りまで辿り着いておきたい。そう思い始めたが最後、あとは先ほど通勤電車での読書で語った通りだ。読み方が雑すぎて、目が覚めた時には、もうすっかり昨晩読んだ内容を忘れていることもある。

本当は、本なんてどこで中断してもいいのだ。どんなに中途半端でも、しおりさえ挟めばそこから再開できるのだから、焦らずじっくり読めばいい。さらに言えば、読書を再開するときにしおりの位置から始める必要も全然なくて、少し戻ってから再開してもいい。読書は自由だ。自由なんだぞ、私よ。



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