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今日も、読書。 |カミュ『ペスト』を読んで、考えたこと

2022.3.27 Sun

カラ兄:上巻 504ページ

ものすごく久しぶりに、カラマーゾフの兄弟の話。

日記に書いてはいなかったものの、順調に上巻を読み進めている。

前半は、フョードル(カラマーゾフ3兄弟の父親)とミウーソフが、ずっと喧嘩していた。よりにもよって修道院、ゾシマ長老の前で。難しい話をしているけれど、状況が滑稽すぎて、全く頭に入ってこない。

アリョーシャ(3男)はそわそわしていて頼りないし、イワン(次男)はたまにそれらしいことを言うだけで影が薄い。ドミートリイ(長男)は、登場すると場が荒れるからもう引っ込んでいてほしい。あと、ラキーチンはただの嫌な奴だった。

中盤はドミートリイの長い長い告白。

彼はカテリーナと婚約したものの、それを破棄して、グルーシェニカに熱を上げている。こともあろうに、自分でこの問題を処理しようとせず、弟のアリョーシャに、フョードルとカテリーナへの伝言を頼むという、最低な男である。こういうことは自分で言わないと、後々問題になるって。

フョードルとドミートリイが親子でグルーシェニカを取り合い、互いに殺意すらちらつかせる。一方イワンは、兄ドミートリイが婚約しているカテリーナが好きなのだが、プライドが高く捻くれているので認めない。

どうやらカラマーゾフの兄弟は、このカオスな恋愛劇が主題となりそうである。ちなみに、唯一の聖人アリョーシャと恋仲になるのは、リーズ。彼らだけはどうか平穏に、幸せになってほしい。

しかし、登場人物が多すぎて、訳が分からなくなる。頼むから、巻頭に人物相関図をつけてくれ、と思うが、いやその訳が分からなくなるところが逆に面白いのか、とも思う。引き続き読んでいく。



2022.3.28 Mon

231日目。

カラ兄:上巻 557ページ

新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を終え、発熱で床に伏している。本日休業。



2022.3.29 Tue

232日目。

カラ兄:上巻 636ページ

カミュの『ペスト』を読む。

ここ数年、新型コロナウイルスの影響で激変した私たちの生活様式と、照らし合わせながら、読む。

そういえば、新型コロナウイルスが流行し始めた時って、どんな感じだっただろうかと、思い出そうとする。中国の武漢で、進取の感染症が確認されたとして、不気味なウイルスの拡大写真が映し出されたニュース映像が思い浮かぶ。

なんとなく記憶には残っているけれど、それがどのように日本に入ってきて、どのように今の生活様式へと、変化していったのか。どういうわけか、はっきりと覚えていない。

思い出せるのは、既に新型コロナウイルスが完全に日本に蔓延し、緊急事態宣言が出された時期のことだ。私はおそらく、そういう深刻な事態になって初めて、新型コロナウイルスと向き合い、生活を少しずつ自粛の方向に適応させていった。ウイルスが流行しつつあった途中の過程では、そこまで深刻に物事を考えていなかった。どうせ一過性の感染症だろうと、たかを括っていた。

『ペスト』には、突如とした大規模な感染症の流行に対し、人々がどのように順応していくのか、その初期段階の過程が記されていた。コロナについて、私の記憶が抜け落ちている部分だ。

まさに自分がそうであったように、初めの頃はみな、これは大した病ではないと楽観的に考え、結果として対応が後手に回っていった。人間は、同じ過ちを繰り返す生き物だ。どこかで聞いたようなフレーズが、脳内で明滅する。

死者数が増え、『ペスト』の舞台であるオランの町は、次第に生気を失っていく。ペストの終息まで、どのような物語が展開されていくのか、まだまだ読んでいく。



2022.3.30 Wed

233日目。

カラ兄:上巻 636ページ

二宮敦人さんの『最後の秘境 東京藝大』を読む。

本書から伝わってくる、東京藝大の自由奔放でエネルギッシュな雰囲気が好きで、何度も読み返している作品だ。

装丁がいかにも藝大って感じで、好きだ。

私は大学生の頃から、「藝大的なもの」に、潜在的な憧れを持っていた、と思う。ここから先の文章は、おそらく私の藝大に対する偏見に満ちている。誤解しないでいただきたいのだが、私は藝大的なものが好きで、非常に強い憧れがあるのだ。

自分が好きだと思えることに、一心不乱に打ち込む姿勢。自分の表現を信じ、臆せず発信していく勇気。強力な個性がぶつかり合い、化学反応を起こし、カオスで、でも創造的で唯一無二のものを生み出す、そんな人たち。

私が通っていた大学にも、なんというか、芸術家肌の、「藝大的」な雰囲気を持つ人がいた。講義に来ないから単位は落とすし、だらしない性格で、どこか世間からズレている。

でも、誰よりも言語に対する熱量は大きく、海外の友人達とどんどん交流する。文法はからきしでも、実践的な言語力は、学部でもトップクラスだった。

私は在学中に一度も単位を落としたことがなく、真面目な優等生として通っていた、と思う。だが、どうしようもなく、彼が羨ましかった。大学に通い、結果的に多くの経験を積み、多くのことを学んだのは、私と彼のどちらだったのだろう。

今回の『最後の秘境 東京藝大』は、「ものづくり」にどう取り組むべきか、という視点で読んだ。どちらかというと、音校よりも美校の人たちの物語に、着目した。

自分で本を作ったり、文章を書いたり、絵を描いてみたりと、最近は何かを創造するという行為に、関心がある。大学で美術を専攻し、毎日が「ものづくり」と隣り合わせの藝大生たちは、どのようにものづくりと向き合っているのだろう。

驚いたのは、彼らが創作にかける手間暇とお金の大きさ。そしてその割に、絶対に成功してやろうという野心が、前面に出ていないところだった。彼らはとにかく、何かを作り出すということが純粋に好きなのだ。意識的にではなく、息をするように無意識に、ものづくりに取り組んでいるのだ。もちろん人によってまちまちだろうが、経済的な成功は二の次で、自分が好きなことをすることが一番、藝大はそんな人たちの集まりだった。

自分は、そんな境地に達することができるだろうか。

藝大生たちの、時間を忘れて興味のあることに没頭する集中力には、目を見張るものがある。常に創造のアイデアを考え、手を動かし、何かしら制作している。

ものづくりに取り組むとき、それが完成するまでの時間は、良いものが出来上がるのか、それとも失敗作になってしまうのか、常に不安と隣り合わせだ。1日のほとんどの時間をものづくりに費やす彼らは、常時その不安と向き合っている。時間の使い方に、勇気がある。私には、その勇気が足りない。



2022.3.31 Thu

234日目。

カラ兄:中巻 11ページ

カラマーゾフの兄弟、新潮文庫版、上巻を読み終えた。

ちゃんとした感想を書こうとしたけれど、上巻の終盤、イワンがだらだらと長話をしている間に、全て忘れてしまった。よくもまあ、あれだけ喋り続けられるものだと感心する。

上巻最後の、イワンとアリョーシャの会話の主題は、神は存在するか、ということだった。カラマーゾフの兄弟には、この「神の存在」に関する議論が度々出てきて、登場人物たちの立ち位置は、それぞれ分かれている。

イワンは、「神の世界を認めない」と主張する。仮に神が存在し、世界の調和を保っているというのなら、何の罪も犯していない純粋な子供たちが、不幸な目に遭っているのは何故なのか。彼は、完璧な調和というものはあり得ず、この世界は常に、何らかの犠牲のうえに成り立っていると言う。だいたいそんな話だったように思う。

ちなみに、神に仕える身であるアリョーシャは、基本的に黙って聞いているだけ。サンドバッグ状態。イワンはほぼひとりで、100ページ近くにわたって話し続けていた。

最後に、上巻で心に残った言葉を引用する。

肝心なのは、おのれに嘘をつかぬことです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。(p102)

そうなんだ、ときにはどこがいいのかわからずに好きになってしまう、そんな相手が必要なんだよ。(p577)

もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ。(p600)



2022.4.1 Fri

235日目。

カラ兄:中巻 11ページ

スターウォーズシリーズ、「ローグ・ワン」を観了。

番外編的な位置づけでありながら、スターウォーズシリーズ最高傑作との呼び声もある本作。私は本編全9作を視聴済みだが、確かにシリーズ屈指の面白さで、あっという間に観終わってしまった。

本作は、スターウォーズシリーズ第1作目である「エピソード4」へと続く、前日譚。

エピソード4は、帝国軍の巨大兵器「デススター」の設計書が、反乱軍に盗まれたという場面から、唐突に始まる。そこまでの経緯は、本編では詳細に語られていない。「ローグ・ワン」では、反乱軍の戦士達が、帝国軍からデススターの設計図をいかにして盗んだのか、これまで謎に包まれていたそのストーリーが、描かれている。

こんな興奮必至の設定、シリーズファンは絶対楽しめるだろう。しかも本作は、ジェダイの戦士たちがひとりも登場せず、特別な力を持たない「一般人」たちが力を合わせ、ダースベイダー率いる帝国軍と戦うのだ。本編よりも、より観客の私たちが主人公に感情移入しやすい設定になっている。

圧倒的な戦力差に対し、頭脳とチームワークで懸命に立ち向かう。私はこういう筋書きが好きで、物凄く楽しめた。



2022.4.2 Sat

カラ兄:中巻 12ページ

カミュの『ペスト』を読み終えた。

壮大なスケールで描かれた、ペストという疫病に直面する人々の生活の物語。

解説で、カミュは実際にペストの災禍を経験しておらず、本書が実話ではなく、架空の話であると知って驚いた。嘘だろ、と思った。これだけリアルな物語を、史料と想像だけで作り上げたとは……カミュの才能と努力に脱帽である。

本書は、様々な立場でペストと戦った、オランという街の市民たちの記録だ。

医師として人々を救おうとするリウー。他所者の新聞記者ランベール。ペストを神が与えた罰と説く神父パヌルー。そして、ペストが流行したことで普通の生活を手に入れた犯罪者コタール——。

彼らの、ペストに対する考え方や取った行動は、それぞれ全く違う。きっと読み手によって、最も共感できる人物は、異なるだろう。

そこが、『ペスト』を単なる疫病の記録ではなく、人の心に迫る文学作品たらしめている要素だと思う。私は、医師リウーの友人であり、ボランティアとして保健隊で患者を看護するタルーという人物に、最も共感を覚えた。

天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。

「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。」

『ペスト』は、コロナ禍を生きる私たちに、感染症という不条理な災厄を前にして、どう考え行動すべきかを問いかけてくる作品だ。

諦めて受け入れるのか、努めて抵抗するのか、己の信念に従い人のために活動するのか——。

正解などない。ただ、「己の倫理に背かないこと」は、暗く先の見えない日々を過ごす中で、挫けず前に進むために不可欠だと思った。

本書は、こういう時勢の今こそ、読むべき小説だ。

本にはそれぞれ、読まれるべきタイミングがあって、『ペスト』はそれが今だ。何気ないワンシーンが胸に残ったり、物語の中に自身を投影したり、そんな実感を伴った、読書ができる、今がその時だ。



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