見出し画像

今日も、読書。 |書籍修繕の世界 〜”もうひとつの物語”を読む〜

今回は、傷んだり壊れたりした本を蘇らせ、後世まで読み継がれるための手助けをする、「書籍修繕」の世界


「修繕を依頼する本って、どういう本だろう?」と考えたら、それはきっと、その人の人生に密接に関係する、パートナーのような本なのだろう。所有者の人生に深く関わっているからこそ、そこには特別な物語がある。

その本に印刷されている、文字によって紡がれた物語の外側に、その本と所有者との物語が存在する。その本と出会ってから、長い時間をかけて紡がれた、その本自体の物語。

今回ご紹介する作品は、そんな「もうひとつの物語」を読む本だ。本に対する愛と、本を通じて大切な人に贈る愛を読む本だ。



ジェヨン|書籍修繕という仕事


傷ついた本をその人の思い出ごと修繕する。
アメリカの大学院で書籍修繕の魅力に目覚めた女性は、ソウルに帰って書籍修繕店を開いた。お客さんはごく普通の人たち。職人として数多くの依頼に向き合ってきた思いを綴ったノンフィクション。

あらすじ


著者のジェヨンさんは、韓国のソウルで書籍修繕家として働いている方だ。アメリカの大学院でブックアートと製紙について学び、大学図書館で書籍修繕の修行を積んだのち、帰国後に「ジェヨン書籍修繕」を開いた。

本作『書籍修繕という仕事』には、ジェヨンさんが書籍修繕家として勤める傍ら書き溜めてきたエッセイと、書き下ろしのエッセイが合計30編収録されている。

実際にジェヨンさんが受け持った書籍修繕の依頼が、エッセイ1本につき1冊ずつ紹介されている。したがって本書には、全部で30編の”もうひとつの物語”が収められている。



書籍修繕家は、観察者だ

本書の魅力のひとつは、普段なかなか覗き見ることのできない、書籍修繕の世界を知ることができるところだ。


ジェヨンさんの元に舞い込む依頼に、ひとつとして同じものはない。ペーパーバック、辞書、雑誌、アルバム——果てはしおりや写真立てまで。紙でできているものなら何でも受け入れる。

ヤケ、シミ、破れ、カビなど、本の”症状”の種類や状態も様々。ジェヨンさはそれまで培ってきた経験と技術を駆使して、驚くほど鮮やかに、本に新たな命を吹き込んでいく。

本書の巻頭には、各エッセイで取り上げられている依頼本の実際の写真が、修繕のBefore/Afterで載っている。何とも粋な計らいである。

写真があることによって、その本が運んできた物語の重みや解像度が、より鮮明に感じられる。その本がどれだけ長い間読まれてきたのか、どれだけ多くの人の手を渡ってきたのか、背景にある物語を想像して楽しむ。


しかし、ジェヨンさんの凄さは、技術力の高さだけではない。依頼者の思いを丁寧に汲み取り、それを書籍修繕を通じて形にする点が、本当にすごいところだ。

書籍修繕家は技術者だ。同時に観察者であり、収集家でもある。わたしは本に刻まれた時間の痕跡を、思い出の濃度を、破損の形態を丁寧に観察し、収集する。本を修繕するというのは、その本が生きてきた生の物語に耳を傾け、それを尊重することだ。

p7より引用

書籍修繕家は、観察者。その本の物語に耳を傾け、尊重し、修繕に取り込む。

ただ単に本を新品同様に戻すことだけが、書籍修繕ではない。依頼者が修繕を通じて何を望んでいるのか、その本をどんな用途で使おうと考えているのか、丁寧にヒアリングして汲み取る。ジェヨンさんの方から、依頼者に提案することも少なくない。


例えば、”多くの子どもたちに手に取ってもらいたい”という願いがあれば、新品の時よりも頑丈に仕上げる。”大切な人への贈り物にしたい”という想いがあれば、贈る相手をイメージして、装丁の色や箔押しを工夫する。

”子供の頃読んでいた状態に戻してほしい”という依頼でも、実は依頼者の頭の中にあるイメージは、人によって異なっている。ただ綺麗な状態にすれば良いというわけではなく、依頼者の望む形にいかに近付けることができるかが、大切なのだ。



「子供の頃の友だちがまた戻ってきたみたいです」

「ジェヨン書籍修繕」に持ち込まれる本は、どれも素敵な物語を運んできてくれる。

事実は小説よりも奇なり。所有者と本が生み出した唯一無二の物語に心が打たれる。ジェヨンさんは全ての物語を優しく受け入れ、新章へとそっと送り出してくれる。


とある依頼者が、ジェヨンさんの手によって蘇った本を受け取ったとき、こんな言葉を返してくれたという。

「子供のころの友だちがまた戻ってきたみたいです」

p18より引用

私はこの言葉に、ぐっと胸を掴まれた。私には、思わずこんな言葉をこぼしてしまうような、”友だち”と呼べる本があるだろうか?


残念ながら我が家には、私が幼い頃に読んでいた絵本や児童書が、ほとんど残っていない。大人になるにつれて、少しずつ手放してしまった。

それでも、ほんの少しだけ、まだ私の手元に残っている本がある。小学校に入る前、物心が付くか付かないかの頃に、両親が読み聞かせてくれた本。

今ではすっかり、本棚の奥で身を潜めていた。久しぶりにパラパラと眺めてみると、色々な感情が湧き起こってくる。

金子みすゞ|わたしと小鳥とすずと
アーノルド・ローベル|がまくんとかえるくんシリーズ


「読書が趣味」と自覚し始めたあたりから、まだ見ぬ新しい物語を追い求めるあまり、本1冊1冊にかける想いの比重が、昔よりも軽くなっていた。

次へ次へと読み急ぎすぎて、本を大切にする気持ちが薄れてきている。そんな自分に気づいた。時には立ち止まって、”友だち”と呼べるような本を探してみるのも良いかもしれない。

今私が持っている本のうち、この先何十年も連れ添ってくれる本は、どれだけあるだろう。いつか一緒に書籍修繕家の扉を開き、蘇らせてほしいと願うような”友だち”はいるだろうか。そんなことを考えた。



書籍修繕も、服や靴の修繕のように

最後に、著者ジェヨンさんの書籍修繕にかける熱い想いを、noteを読んでくださった皆さんに届けたい。

もちろん、できれば実際に『書籍修繕という仕事』を手に取って読んでいただきたいのだが、ひとつだけどうしても書きたかった。

私の心の中には常に、小さいけれど大きな夢が一つあった。書籍修繕も服の修繕や靴の修繕のように、わたしたちに身近なものとして日常に自然と溶け込んでいってほしい、というものだ。

p128より引用


スマートフォンが普及し、動画配信サービスが隆盛を極める現在、本を読む人の割合は減少している。本そのものについても電子化が進み、”紙書籍離れ”が起こっているという話も聞く。

そんな状況下で、ジェヨンさんの掲げる夢は、難しく聞こえるかもしれない。でも、むしろそういう状況だからこそ、書籍修繕の価値は高まっていくのではないかとも、私は思う。


紙の書籍が希少になればなるほど、本を愛する読書家たちの、「本を大切に読み継いでいこう」という気持ちは、強まっていくのではないだろうか。少なくとも、私はそうだ。

私は絶対に、いつまでも紙書籍派だ。仮に紙媒体の本の出版がなくなってしまったとしても、その時残っている紙の本を、大切に抱えながら生きていく。

もちろん傷つけないよう丁寧に扱うが、ボロボロになってしまったときは、書籍修繕の門を叩くだろう。


書籍修繕の知られざる世界から、本を愛する人々の物語、そして自らの本との付き合い方の見直しまで、深く深く本の世界へと入り込んでいくような読書だった。ぜひ皆さんも読んでみていただきたい。



↓「今日も、読書。」のイチオシ記事はこちら!

↓「今日も、読書。」の他の記事はこちらから!

↓本に関するおすすめ記事をまとめています。

↓読書会のPodcast「本の海を泳ぐ」を配信しています。

↓マシュマロでご意見、ご質問を募集しています。


この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?