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@福島県西会津町 築150年超の「おばあちゃんち」

福島県西会津町

祖母の家はこの土地で代々つづく農家だ
戦前は田畑だけでなく、家の庭でニワトリを育て、たばこをつくり、ほぼ自給自足の生活を営み、戦時中は疎開先として身寄りのないこどもを引き取り、育てていた


築150年の「家」はたくさんの人生を見守ってきた

幸運にも、現代を生きる私もその歴史の一部であり、それは私の自慢でもある

少し、思い出話に付き合っていただきたい


田んぼで取れたお米で作ったおむすびを持って、裏山に登る 山桜の下、花見をするのだ
おむすびの米粒がこぼれると、大きな蟻がむずむずとやってきて、運んでいく 
帰りは、大人は野草を積み、こどもは歌を歌いながら帰る


曽祖母は日の出から家の前の畑で仕事をしている

彼女は無口で少し近寄りにくかったが、ひ孫らのためにカブトムシの幼虫やら成虫を捕まえてきてくれた
ただ、彼女が亡くなってから知ったのだが、
あまりに多く取れるから、ひ孫たちに見せるもの以外は、畑に埋めてしまっていたらしい
孫には優しくても、カブトムシらにとって、彼女はどれほどの恐怖だったか・・・

そして、彼女が持ち帰るのは虫だけではない
売り物にならない不格好なスイカを、これまた無言で氷水につけておいてくれるのだ
私たちは、それを知らずに蝉採りに繰り出す

こちらが「狩る」側であるのに、無数の蝉たちの爆発的な羽音に気圧されてしまう
命をかけて羽をこする彼らに巡り会うと、私たちは無意識に言葉を失った
額の汗をじわじわと垂らし、虫取り網をそっと近づける
注意しないとおしっこをかけられる
わかっていても、みごとに引っかけられ、そしてわかっていても、泣く
蝉とこどもの「なき声合戦」だ


くたくたになって帰ると、家族だけでなく、親戚夜勤所の人とにかくたくさんの人がいつのまにか集まっていて、皆で昼食をとる
余興はスイカ割りだ
そのままの流れで日も暮れぬうちから酒盛りも始まり、夜は花火大会
庭が広大なので、打ちあげ花火だってできてしまう

庭の端っこと、畑の名残。


お盆の時期は、墓参りは必須だ
集落全体が動くので、人通りが珍しく増える
車同士でも、歩いていても、向こう側から誰かが来れば一度止まり、頭を下げる
お昼過ぎくらいでも、なぜか「おばんです」
と挨拶するのが不思議だった 

盆踊りも忘れてはいけない
いつも一緒に居るのに、自分の実家で私に浴衣を着せてくれる母は、なぜか知らないお姉さんみたいで、どきどきした
母は、浴衣がとても似合った



曾祖母、祖父、祖母らが一生懸命耕した田は、金色に輝く(曽祖父は祖母が生まれる直前に戦死している)

夜景を見てもあまり感動のない人間として、数えられないほど気まずい思いをしてきたが
この気色だけは、感動をせずにはいられない
私は群馬の学校に通っていたので、この田を世話する苦労は知らない
休んででも見ておくべきだったと今になって後悔している

おいしいコシヒカリを育てていた。



西会津は新潟と気候が似ている 豪雪地帯だ
朝起きると玄関からは出られないほど雪が積もっている
生活は一苦労だが、足跡一つない銀世界は、天国みたいだ
こどもたちは、待ってましたとスキーウェアを着込み、そり遊びに雪合戦、雪だるま作りと朝から多忙だ

その間に、男性陣はかまくらを建設。
何時間もかかって、かまくらはできあがる
皆汗だくだ。かまくらの中では上着を脱ぎたくなるくらい。かまくらは、あたたかい。
中では、みんなで輪になって焼き芋を食べる
今、焼き芋ブームで高級なものもたくさん食べてきたが、あそこで食べた芋以上の味を私は知らない

年越しには、お餅つき
納屋から年に一度、臼と杵が出てくる

お餅つきは老若男女笑顔になる不思議な行事である
特に、こどもがつくと、みんなが笑う
「よいしょ!」と暖かい声や「全然力入ってないぞ」という冷やかしが入ってくる
ムキになって手に豆ができるまで
頑張ってしまったことを覚えている

つきたての餅は、ほかほかのまま、すりおろした辛い大根や納豆に和える
こどもだった私は、きなこのお皿に、ぽとっと落としてもらって、それを手づかみで食べるのが好きだった



……あの「家」での私の思い出だ。本当に素敵な体験をさせてもらっていたと改めて思う

(食いしん坊なのでどうしても食べ物の話が多くなってしまう。他にも赤身の馬刺しや郷土料理の『こずゆ』、鯉の煮物も最高なのだ)

馬刺し迫力の盛り付け!奪い合うように食べる。


もしも願いが叶うなら、お金も地位も名誉もいらぬから、
あの頃の「おばあちゃんち」に住みたい


しかし、変わらぬものなどないのだ
時が経ち、一人、二人と亡くなり、そして子供たちは家を出た
私も受験だ就職だと忙しぶり、足が遠のいていったひとり残された祖母は、しばらくはひとり懸命に家を守ったが、老いには叶わず、数年前、群馬の私の家の近くに越してきた
挨拶に来た寂しげな笑顔は、今も忘れられない

元気だった頃、ゲートボールを教えてくれた祖母。



150年間休むことなく家族を見守ってきた「家」は今、暗闇に覆われ、誰の笑顔もない

一昨年、祖母に、
空き家となっている「家」を改修をし、たくさんの人に西会津の田舎暮らしの良さを知ってもらえる場所にできたらと、一度提案したことがある

祖母は「ありがとう」と笑った
そして、
あの家で生まれて、あの家で生きてきた。オラが生きているうちは、あのまま、静かに、安らかに眠らせてあげればいいの」と言った

自分の浅はかさに言葉を失った
「家」はまだ生きていて、歴史は紡がれているのだ

祖母の未来を考えると胸が苦しくなるが、私がもし彼女の大切な「家」を譲り受けるのなら、粛々と歴史の守り人としての役目を引き受けようと、あの日、心に決めた

そして、突然思いつきで、私があの「家」に住む、なんてのも面白いかもしれない
今のうちに、祖母のお墨付きをもらわなければ

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