見出し画像

晩年のミホの夫婦の物語を書き換える努力というか、新しい狂気のようなもの、それがすごいし、その努力が一枚一枚剥がされていくそのことがまたすごい。 2020/10/16

 急遽夏休みをとった。今月末までにあと4日休まないといけない。なんだかんだと慌ただしくて、どこにいくあてもないままに働いて今日に至る。休めそうな日というか休む日をカレンダーとにらめっこしてもう決めるしかない。ということで休んだ。

 休んだので、家のことを考える時間ができて、中高時代の親友に紹介してもらった建築家を訪ねた。建築家と話すのは人生で初めてのような気もする。スケルトンリノベを考えていること、夫婦共に忙しく暮らしているので、家にいるときはせめて家族全員で一緒に過ごしたいこと、一緒にと言ってもそれぞれが思い思いのことをしていればよくて、していることはてんでバラバラでもなんとなく一緒にいる居心地の良い空間が欲しいこと、オーディオヴィジュアル、両方好きなこと、あと、まぁ、本が大量にあります、ということなどを話していたらあっという間に時間が経っていた。

 建築家も信頼できる工務店や職人の方達がいるようで、お話を聞けば聞くほど、なんか編集に似通っているところがあるなぁ、などと思う。ファッション誌の編集者も所詮一人では何もできないわけで、信頼できるスタッフとのチームワークで誌面が出来上がっていく。なんというか、何かを作り上げていくことに対する感覚が似通っているのがわかったので、とても安心した。そして何より、こういう人と一緒に作っていくことはめちゃくちゃ面白そうだぞ、という気持ち。マンション購入に関して慌ただしく決めすぎたかな、とか少し不安もよぎっていたけれど、いやはや、良い意思決定だったし、良い出会いに恵まれたような気がする。

 その建築家の系譜を辿ると、フランク・ロイド・ライトにたどり着くのだそうで、そういえば学生のころタリアセンかっこいいなぁ、欲しいなぁ、と思ってでも学生の身に当時で十万円近くする間接照明はまぁものすごく高いものなので指を咥えてみていたのだけど、どこぞのショールームで現物みたらコードがピョロりんと伸びていてクソダサイな、とコードに対して憎悪のようなものを感じたことを思い出した。なんなんだこのコード。多分、展示の仕方も悪かったのだと思う。でもこの世からコードなんか無くなれば良いのにと切に願うくらい、タリアセンからだらしなくのびたコードは不要だった。

 阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』をまたぱらぱらと読み進めてみた。なんというか、読書の日記なのだけど、とにかく日記として面白いんだよな、という感が増している。日記マシマシ。読書以外の日常とどちらがメインか分からなくなるくらい、いや、ひょっとするともう読書以外の日常に期待しているところも出てきてしまったかもしれないくらい、日記として面白く、そこに読書が加わるから3倍面白いという感が出ている。それは2冊目(になるくらい書き続けられてきた中で生まれてくる)の貫禄みたいなものなのだろうか。

 島尾敏雄の『死の棘』及び、『死の棘日記』を解き明かす『狂うひと :「死の棘」の妻・島尾ミホ』を読んでいるくだりが猛烈に面白い。

 敏雄の死後に刊行された『「死の棘」日記』では「ぼくはミホを自分の体の一部のように思い込み、自分の事ばかり考えてミホの犠牲の上で自我を押し広げ、ミホはひたすら従順に身を捨ててぼくに尽くした」云々という記述があるがこれは日記原本を調べると見当たらないという、つまりミホ自身が書いて挿入したという! 晩年のミホの夫婦の物語を書き換える努力というか、新しい狂気のようなもの、それがすごいし、その努力が一枚一枚剥がされていくそのことがまたすごい。
阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』P.225

もはや20年近く前になると思うけれど、『死の棘』を読んだ時の鮮烈なというか、衝撃を思い出しつつ、そんな面白い本が出ていたのかとこれまた鮮烈な、読みたいという衝動を掻き立てられている。


自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。