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絵を鑑賞している時、人はその絵の外にあってそれを眺めている訳ですが、建築芸術において、人々はただ見るだけでなく、その内に参加するのです。 2020/11/7

 夜中に目が覚めて、阿久津隆『読書の日記』を読んで二度寝した。起きて風呂入ってこれまた『読書の日記』を読んでいたら、待ちに待った新しい携帯が届いた。Xperia5Ⅱである。細長い。実は一度もiPhone使ったことなくて、Android一筋でここまで来ている。

 で、愛用のキーボードhhkbをこのスマホとペアリングしてみてこれを書いているんだけど、なかなかに快適というかわざわざデスクトップの前に行かなくてもキーボードを持ってきてしまえばかける手軽さ。これはなかなか良いんじゃないかと思うのだけどどうだろう。

 おかげさまでコツコツと続けていると、コツコツとスキがたまって2000回もスキされたらしい。noteはこういう通知がくるのが良くできてるというか、モチベーションを期待していないタイミングで上げてくれる。この期待していないタイミングで上げるってのがとても大事なことで、予定調和じゃないところでやられると効果的、そういう設計はなんか見習いたい。

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 家の切れていた蛍光灯を取り替え、切れかけていた体重計の電池をエネループに変え、銀河英雄伝説の外伝を見ながら(流しながら?)、新携帯の設定をひたすら進める。おサイフケータイとかを始め、あらゆるアプリのインストールと再ログイン。このストレス丸ごと軽減できる移行プロセスないのかな。

 夜思い立って、走る。小雨降っていたけれど、気持ち良い。リノベをお願いする建築家に教えてもらった香山壽夫『建築意匠講義』を読み始めたのだけど、これがすこぶる面白い。やはり餅は餅屋というか、その分野の良書をご存知なのだなぁ。そしてこの本、ページの角がわずかにカットされていて、その造形がこれまたいい。

 ルイス・カーンのこの言葉から講義が始まるのだけど、その起源である「家」のことから話は始まる。

「建築は、大いなる超越に対する高遠な試みであって、私の知る限り最高の宗教的行為である。」
香山壽夫『建築意匠講義』P.4

 「家」は単なるシェルターという説に対して、それ以上の存在なのだ、と。洞窟から外に出てきて、シェルターとしての家を作ったんじゃないんだ、と。

 ルロワ・グーランというフランスの人類学者は、人類は言葉をしゃべりはじめると同時に建物をつくった。洞窟の中の遺跡は、ただ残り易かったから残っただけで、洞窟から出てきて建物をつくったのではない、と言っています。そして、建築は、言語とともに、人間が世界を認識するための道具だったと説明しています。
香山壽夫『建築意匠講義』P.7

 壮大な起源の話なのだけど、根っこにある部分をどう考えるかというのはとても大切なことだし、実にわかりやすく言葉にしてくれている。というのもこれは東大での講義をまとめたものらしく、初心者にもわかりやすく平易な言葉で書いてあって、なんというか、文章としてもとてもいい。読んでいて心地がいい。

 美学者のダゴベルト・フライは、具体的でわかり易い言葉で、模倣芸術、たとえば写実的な絵を見る時と建築を見る時の違いを説明しています。彼は、模徴芸術においては、私たちは観客であるが、空間芸術である建築においては、共演者であると言っています。すなわち、絵を鑑賞している時、人はその絵の外にあってそれを眺めている訳ですが、建築芸術において、人々はただ見るだけでなく、その内に参加するのです。その空間の内に身を置き、それに包まれ、その動きに身を任せなければ、建築を理解することはできないのです。
香山壽夫『建築意匠講義』P.9

 他にもレイモン・クノー『サリー・マーラ全集』なども読み始めた。こちらはまたもや色々とひねくれた仕掛けになった作品。夜更かししていたら、アメリカ大統領選挙、バイデン当確の報道が。歴史的瞬間を目の当たりにしているのだろうか。少し酒を控えて寝た。


自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。